見出し画像

なぜ部活動に行かなければならなかったのか~とある中学生の素朴な疑問

私は平成育ち。小学校から中学校まではエスカレーターで入れる学校にいたので、中学の同級生はほとんどが小学校からの顔見知りでした(一部、中学受験して入ってくるメンバーもいた)。

そんな彼らが、中学入学と同時に当たり前のように部活動へ入っていく姿を見て、私はずっと不思議で仕方がありませんでした。「あれ、なんでみんな一斉にそっちの方向に行くんだろう」と。小学生までゲームや漫画で遊んでいたのに、どうして急に部活に行くのか。当時の私には、その変化が腑に落ちなかったのです。

部活動に行く理由が見当たらなかった日々

我が家は「部活は無理して行かなくていい」という家庭でした。

週末は家族で出かけるのが習慣で、「休みの日にまた学校へ行く」という発想そのものがありませんでした。

それに、学習指導要領でも平成10年(1998年)には必修クラブ活動が廃止されており、学校から強制される理由も無かったわけです。

それでも、学校にはどこか部活に入るのが普通という空気が漂っていました。学校からは正式な説明は無かったのですが、不思議と参加を強制される雰囲気。同級生のほとんどが入るのが「普通」というムード。そのため私も一応は部活に所属していましたが、ほとんど顔を出しませんでした。校内放送の部活勧誘で、私だけ呼ばれていなかったほどです。

しかし、不思議と罪悪感はありませんでした。「必要性を感じない」という気持ちの方が強かったのです。

私が学びの場を見つけたのは、学校の外だった

部活からももちろん学ぶことはあるのでしょうが、私はむしろ親戚や近所の人たちとの交流から多くを学びました。

戦争経験者、金融機関OB、農家さんなど、バックグラウンドの異なる大人と話す中で、学校では得られない視点に触れることができたのです。戦時中の南方戦線の話は、あまりに生々しく、子ども心に恐怖が刻まれました。一方、金融機関OBの方から聞いた話は、まるで授業のように体系的で、大人になった今でも役に立つ金融知識ばかりでした。

「同年代の同質的な集団の中で過ごすだけが、学びではない」

その実感があったからこそ、私は部活動の必要性を見いだせなかったのかもしれません。

部活動に行かないという選択肢

誤解のないように言えば、部活動に価値がないわけではありません。技術を学ぶ、仲間と成果を目指す、といった意義があるのは確かです。

ただ一方で、部活動が「半ば当然のもの」として扱われ、行かない選択肢が曖昧になる空気も確かに存在します。

本来は「行く・行かない」をもっと自由に選べるのではないか。そして、学校の外にも豊かな学びがあるのではないか。

部活動が“当たり前”になる前に、子どもたち一人ひとりの選択肢を考えても良いのではないでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!

シンさん|福島を観察するライター よろしければサポートお願いします!