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染まらないで帰って

⭐️⭐️⭐️⭐️
(星の数でこの記事のオススメ度を
5段階で評価しています)

皆さんこんばんは
フリックフラックの髙橋壱歩です。


いつも僕の記事を読んでくださり
本当にありがとうございます。





僕自身、
まだ完全には把握できていないのですが
noteにはバッチという制度があります。


記事の投稿数が
50本目、100本目などの
キリのいい数字になったり

閲覧数やフォロワー数などが
ある一定のラインを超えると
バッチが配布されます。


なにかしらの
特典とかがあるわけではないのですが


まあTwitterでも
誕生日に風船が飛んだりするじゃないですか


あれと同じニュアンスだと
思います。





でまあ、
今日noteのアプリを開いたらですね

あるバッジが配布されていました。



「1周年記念」



自分自身では
あまり意識していなかったのですが



どうやら気がつかないうちに
1周年を迎えていたようです。


ここまで続けてこれたのも
毎日のように記事を読んでくださる
皆様のおかげです
本当にいつもありがとうございます。






それにしても、
本当に1年も経ったのかなぁと


疑う気持ちと懐かしむ気持ちの
両方が僕の中にあったので
1本目の記事を
読み返してみることにしました。




これなんですけど




日付見ると
5月18日になってるんですね。



どういうことなんでしょうか



365日間を1年と換算するとしても
計算合わないんですが



去年閏年でしたけど

閏年で狂うのって1日だけですよね?




まあちょっとだけ気になりますけど



正直バッチとかどうでもいいんで
早速本題いきましょか


本日も駄文をつらつらと
書き綴っていこうと思います。


どうか最後までお付き合いくださいませ










さて、僕が上京して
ちょうど1ヶ月半経ちました。



と言っても
まだ何もはじまって無いんですけども



住む家が割とはやめにきまってて

バイトも運良くはやめに決まって

近所にいい感じのスーパーも
3軒ほど見つけて


まあ歯は2本抜いたんですけども




大阪で僕のことを
少しでも心配してくださってる方々に対して



僕は元気です!!!


と胸を張って言えるくらいには
ちゃんと生活できているつもりです。






大阪で過ごした最後の3ヶ月間くらいで

友達とか親しくしてくれた知り合い達に
よく言われた事があります。



「お前、東京行っても染まんなよ!」


とか


「壱歩が大阪帰ってきて
標準語なってたら、嫌やなぁ」



とか



まあこういうのは

上京する者に対しての
定型分というか
形骸化された
決まり文句のようなものですよね。




そんなことを言われる度に
僕は思っていました。



そんな事なるわけない








自分自身が
みんなが冗談っぽく言うような
状態になるとは
微塵も考えていませんでした。



それにはちゃんと幾つかの理由が
あったのです。




まず言葉について


僕は自分で言うのも何ですが

かなり濃い、

ネイティブの関西弁話者だという
自覚を持っています。


関西弁にネイティブという概念も
何もないやろと思う方もいらっしゃる
でしょうが、

関西弁話者の中には
他の地域に住んでいる人には
想像できないほどの
誇りを持っている人々も
沢山存在しているのです。



大学時代、僕は京都に住んでいました。



京都人と僕と地方出身者の
3人で話している時、

「2人とも同じような喋り方ですよね」

と地方出身者が言って


「いやいや、全然違うやろ」

「一緒にすんなよ、
壱歩は大阪弁やけど俺は京都弁やろ」



という謎の争いの流れに何度かなったのを
覚えています。



京都も大阪も兵庫も奈良も和歌山も滋賀も


厳密には少し違うのです。


僕自身も
己の濃い関西弁に割と誇りを持っています。



だから、移るわけないと思ったのです。




むしろ
移るなら周りだと


僕が影響される事はないと



そんな根拠のない自信が
僕の中には確かに存在していたのです。






次に「都会に染まる」という事について



これも僕は絶対に無いと思いました。




なぜなら、これも自分で言うのは何ですが


僕は今までも割と都会で暮らしてきた
という
自覚があったからです。



僕の記事を毎日のように
読んでくださっている方は
もう把握してくださっていると思うのですが



僕は大阪府の堺市というところで
生まれ育ちました。



高校3年生までそこで過ごして

大学は京都市内に住み、
留年してからの半年間は
大阪市内に住んでいました。



ずっと政令指定都市です。




確かに僕の実家は
住所は堺市ですが
家の前の道は
大阪府狭山市という60,000人ほどしか
暮らしていない街で

その境界線というか


ギリギリの場所で生まれ育ちましたが


僕は堺市出身だという
誇りはずっと持っていました。



中学生の時にグループを組んで
堺市をテーマに新聞を作るという授業が
あったのですが

そこでは
学年で1位に選ばれました。




東京に引っ越してすぐ
家の近くの飲食店に行った時

店長らしき人に話しかけられ、

「どこから来たんですか?」

と聞かれました。


「出身は大阪府の堺市です」


と答えると


「そうですか、私は堺の包丁を
使っています。」



と言われて

嬉しかったことを僕は忘れないでしょう


遠く離れた場所で見つけた
小さな小さな『地元』
吹き上がるような喜びを感じた僕は



自分も使いたいなと思い、


そのあとすぐ実家に連絡して
包丁を送ってもらいました。



そう、
堺市は包丁の街なのです。





政令指定都市は
住所を書く時、都道府県を省略してもよい

という事実を知ってからは


これ見よがしに
『大阪府』を省略したりもしました。




でも最近はちゃんと
実家の住所を書くときは
『大阪府』から書きます。



自分が生まれ育った街だから


『大阪』が故郷だから



そのくらい僕の心の中は
大阪への温かい愛で溢れているのです。




溢れていたのです、



溢れていたと思っていたのです、










数週間前のある日

夕方より少し前の時間、
遅めの昼食を摂った僕は
満腹になった体を揺らしながら
東京の街を歩いていました。





そしてふと思いました。



「馬鹿でかいコーヒー飲みたいな」





僕の周りの方は知っていらっしゃると
思うのですが

僕は人よりも摂取する水分の量が
多いのです。



どれだけ摂取量が少ない日でも
日本人男性の平均より
約4倍は飲むと自負しています。




そして、僕はコーヒーが好きなのです。



僕の家族、

父親、母親、僕の3人は
僕の記憶の中では
味覚の価値観がほとんど合ったことが
ありません。


各々が違う食べ物を好み、
違う食べ物を食らう

そんな家族でした。


しかし、ほぼ唯一
3人ともが好んで毎日のように口にしたのが
コーヒーだったのです。



父と母の2人ともが
僕が小さい頃から僕に見せつけるように
コーヒーを
飲んでいたからでしょうか



僕も比較的早い段階で
コーヒーを好むようになり、

今でもその趣向は変わりません。



もはや、これは遺伝と言えるかも
知れないです。



僕がこの記事を書いている今も

父や母は
大阪のどこかでコーヒーを
嗜んでいることでしょう。




「大容量の水分を摂取したい」

「コーヒーが好きだ」


この比較的相性の良い2つの
欲望が融合され、

僕に


「馬鹿でかいコーヒー飲みたいな」

という感情を芽生えさせたのです。




しばらく歩いていると


視界の端が
スターバックスコーヒーを捉えました。



僕は人生で
スターバックスコーヒーには
両手両足で数えるほどしか行ったことが
ありませんが


何かのプレゼントに
ギフトカードを頂いて
はじめてスターバックスコーヒーに
行った時に


なんかええなぁ


と思い
何度か足を運んだ経験があったのです。




その時も入店することを決めました。




コンビニのコーヒーでも良かったのですが


その時近くにあったコンビニチェーンでは


でかいコーヒーしか無く、
馬鹿でかいコーヒーが無かったのです。



スタバに馬鹿でかいコーヒーが
ある事を何度かの入店で確認していた僕は

何の迷いなく入り口に
誘われていました。




列に並んでいると
数分ほどで僕の番が来ました。




「ドリップコーヒーをください」



僕は伝えました。




すると僕と同い年くらいでしょうか


油断すると吸い込まれそうな瞳を携えた
小柄で魅力的な女性
が聞いてきました。




「サイズはどういたしましょう」









この瞬間、僕の脳内に
大阪にいた頃の記憶が蘇ってきました。









僕が人生ではじめてスタバに行ったのは
高校生くらいの頃でしょうか



たしか難波でした。



難波の街に膨大な数が存在するスタバの中の
一軒に友達と一緒に入り、
お互いに慣れないながら

必死にはじめてではない、
慣れているフリをしながら
注文をしたのを覚えています。


その時も聞かれました。


「サイズはどういたしましょう」






その時僕は


「いっちゃんデッカいやつでお願いします」


と答えました。

この時から飲み物の摂取量は
多かったんでしょうね。


その答え方が正しくない事は
当時丸坊主だった壱歩少年にも
わかっていました。



しかし、恥ずかしかったのです。




意味のわからない、
英語なのか何語なのかもわからないような
単語を使って伝える事




もしかしたら間違って伝わってしまう
かもしれない。



そういった羞恥心が僕の口から

「いっちゃんデッカいやつでお願いします」

という言葉を放出させたのです。




その時、店員さんは


「一番大きいやつですね!
かしこまりました!」



と僕の言葉をほとんど訂正する事なく
笑顔で答えてくれました。





それが嬉しかったのか

その日から僕はスタバに行くたび、


毎回

「いっちゃんデッカいやつでお願いします」


という伝え方を訂正することは
ありませんでした。



次第に、何の恥ずかしさも無くなり


この、程よく大阪弁が混じった表現を
むしろ気に入り


自分は今後も
ずっとこう伝えるんだろうなぁと


妙に達観したような思いに
辿り着いたのです。










そしてあの日から何年も経った今、


目の前に笑顔で立っている店員さん、


僕の後ろには止むことのない都会の喧騒


良い意味でも悪い意味でも成長してしまった僕








「ベンティで」








自分の口から出た言葉に
驚きを隠せませんでした。




「俺今なんて言うたんや?」

「ベンティってなに?」




都会のど真ん中で立ち尽くした僕をよそに

周りの時間は足早に流れていき


気がつけば
目の前には
巨大なコーヒーが置かれていました。



「ありがとうございます」



僕は顔を真っ赤にしながら外を出ました。







入り口付近でコーヒーを一口飲みます



その日は春の到来を告げるような
温かい日でした。



もう既に散ってしまった桜に変わって
更に僕の頬が紅く染まるのを
店内外を隔てるガラスが
スクリーンのように
映し出していました。






その時僕はある曲の歌詞を思い出しました。



都会の絵の具に

染まらないで帰って
染まらないで帰って





これは僕の好きな太田裕美さんの名曲
『木綿のハンカチーフ』、


その中でも特に好きな歌詞でした。




そうか



僕はもしかしたらもう
都会に染まってしまったのかもしれない。




あれだけ染まらない自信があったのに





僕はその日
僕自身から飛び出した
未だに意味も
どこの言語かもわからないような言葉に

一種の恥ずかしさのような
罪悪感のような
よくわからない感情を抱えながら
ビル街をしばらく歩きました。



陽が落ちて少し気温が下がったのでしょうか



半袖からはみ出た僕の二の腕の周りを
少し冷たい風が通り過ぎました。



思わずぶるっと体を震わせ、

まだ少し残ったコーヒーを一口





その頃にはもう完全に
冷え切ってしまったコーヒー

いつもならもう飲み切っているはずなのに




その時僕は思いました



寒くなってきた




はやく家に帰ろう

帰らないと






僕は

僕は帰らないと










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