消えかけた紅茶を、もう一度。亀山に残る「紅誉」の記憶を訪ねて
三重県亀山市。
ここに、一度は姿を消しかけながら、再び人の手によってつながれてきた紅茶があります。
その名は、紅誉(べにほまれ)。
日本で最初の紅茶用品種として知られ、かつて亀山でも盛んに栽培されていた紅茶です。
けれど私自身、少し前までその存在をほとんど知りませんでした。
紅茶といえば、ダージリンやアッサム、ウバ。
どこか海外の飲み物という印象が強く、日本、ましてや三重県亀山市に紅茶の歴史があることさえ、詳しくは知りませんでした。
なぜ亀山に紅誉があるのか。
なぜ一度、姿を消しかけたのか。
そして、なぜ今、もう一度この紅茶を飲むことができるのか。
その背景を知るため、亀山・関宿の紅茶専門店「アールグレイ」を訪ねました。
長年紅茶と向き合ってきた店主の中川さんの話を聞きながら、紅誉の記憶をたどります。

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亀山に、紅茶があった
今では「和紅茶」という言葉を目にする機会も増えました。
けれど、亀山と紅茶の関係は最近始まったものではありません。
その歴史をたどると、明治以降の日本の紅茶づくりへとつながっていきます。
当時、日本では海外への輸出を目的に紅茶生産が進められ、各地で紅茶用品種の研究や品種改良が行われていました。
その流れの中で生まれたのが、紅誉です。
紅誉は、日本で最初の紅茶用品種として知られる品種。
そして亀山は、その紅誉が栽培され、国産紅茶づくりが盛んに行われた土地のひとつでした。
中川さんも、紅茶について調べていく中で、
「亀山で紅茶を作っている人がいる」
と聞いたことから、地元の紅茶の歴史を知っていったそうです。
今ではあまり想像できませんが、かつて亀山には、紅茶を作る景色がありました。

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紅茶畑が消えていった時代
しかし、その景色はずっと続いたわけではありません。
海外から安価な紅茶が入ってくるようになり、国産紅茶は価格面で厳しい状況に置かれていきました。
亀山でも、紅茶の生産は次第に減っていったといいます。
紅茶の木を抜き、より需要のある緑茶へ植え替える。
農家にとっては、生計を立てるための現実的な選択でした。
中川さんは、当時の流れをこう振り返ります。
「海外のお茶が安く入ってくるでしょう。そしたら国産の紅茶は売れなくなって。紅茶の木を抜いて、緑茶を植えたんです。」
そうして、かつて亀山の景色の一部だった紅茶畑は、少しずつ姿を消していきました。
紅誉もまた、歴史の中へ埋もれていきます。
ただ、すべてがなくなったわけではありませんでした。

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畑の片隅に残っていた紅誉
時代が流れ、亀山に紅茶の歴史があったことが改めて見直されるようになります。
そして、
昔の紅誉の木が、どこかに残っていないか。
そんな動きが始まりました。
実際に亀山市内を探すと、古い紅誉の茶樹が残っている場所が見つかったといいます。
ただし、商品として茶葉を収穫するために大切に管理されていた畑ではありませんでした。
中川さんの言葉を借りれば、
「ほったらかしに近かった。」
草が生え、収穫もされず、それでも茶の木は残っていた。
かつて亀山で紅茶が作られていたことを、静かに証明するように。
そこから、残された木をもとに紅誉をもう一度増やしていく取り組みが始まります。
古い茶の木から挿し木を取り、育て、また茶葉を摘み、紅茶にする。
新しい品種を生み出したのではありません。
一度消えかけたものを、もう一度つないだ。
紅誉の復活には、そんな言葉がよく似合います。
茶樹を探す人。
育てる人。
茶葉を摘む人。
紅茶へ加工する人。
それを伝える人。
そして、飲む人。
いくつもの手を経て、紅誉は今につながっています。
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紅誉は、どんな紅茶なのか

歴史を知るほど、次に気になるのはその味です。
実際に紅誉を飲んでみると、まず印象に残るのが、柔らかな香り。
花を思わせるような華やかさがありながら、決して強すぎません。
そして、砂糖を加えていないのに感じる、自然な甘み。
私自身、初めて飲んだ時に最も驚いたのも、この甘みでした。
強い渋みや香りで押してくるというより、口の中へすっと入り、静かに味が広がっていく。

中川さんは、日本の紅茶について、
「やっぱりストレートがいいと思う。」
と話します。
海外の紅茶には、ミルクと合わせることで魅力がより引き立つものもあります。
一方、日本の水は軟水。
日本で育った紅茶の繊細な香りや味わいを知るなら、まずは何も加えずストレートで飲んでみる。
紅誉そのものを知るには、一番素直な飲み方なのかもしれません。

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「渋みも、旨味なのよ。」
紅茶のおいしさについて話していた時、中川さんのある言葉が強く印象に残りました。
「渋みも、旨味なのよ。」
私たちはつい、甘いからおいしい。
渋いから飲みにくい。
そんなふうに、一つの味だけで飲み物を判断してしまいます。
けれど、紅茶のおいしさはもっと複雑です。
カップに注いだ時の色。
立ち上がる香り。
口に含んだ時の甘み。
適度な渋み。
味の深み。
そして、飲み込んだ後の喉越し。
それらが重なって、一杯の紅茶になります。
だから、渋みも決して邪魔なものではない。
甘みを引き立て、味に輪郭をつくる。
そう考えてから紅誉を飲むと、これまで気づかなかった味まで探したくなります。
ただ「飲みやすい紅茶」として終わらせるのではなく、一口ずつ、香りや渋みまで含めて味わってみる。
それが紅誉をより楽しむ方法なのだと思います。

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日本の紅茶には、日本のお菓子を
紅誉と一緒に楽しむなら何がいいのか。
中川さんから出てきたのは、意外にも和菓子でした。
カステラ。
おまんじゅう。
おはぎ。
紅茶といえば、ケーキやスコーン。
そんなイメージが強かった私には、少し意外な組み合わせでした。
けれど考えてみれば、紅誉は日本の土地で育ってきた紅茶です。
日本のお菓子と、日本の紅茶。
それは特別な組み合わせではなく、むしろ自然なのかもしれません。
おまんじゅうをひと口。
その後に、ストレートの紅誉をひと口。
和菓子の甘さの後に、紅誉のやわらかな渋みと香りが重なる。
そんな飲み方も、和紅茶の楽しみ方のひとつです。
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日本にも、紅茶の歴史がある
今回、話を聞く中で何度も感じたことがあります。
私たちは「紅茶」という言葉から、あまりにも自然に海外を思い浮かべています。
ダージリン。
アッサム。
ウバ。
世界には、もちろん素晴らしい紅茶がたくさんあります。
けれど同時に、日本にも紅茶があります。
しかも、最近になって突然生まれたものではありません。
その後ろには、日本で紅茶を作ろうとしてきた人たちの歴史があります。
亀山にも、その歴史があります。
中川さんは言います。
「日本の紅茶って、まだあんまり知られてない。紅茶って言ったら外国産だと思ってる人が多いでしょう。」
そして、
「日本にも、おいしい紅茶があるっていうのを広めたい。」
この言葉が、今回の話を象徴しているように感じました。
海外の紅茶と競う必要はないのだと思います。
ダージリンにはダージリンの良さがあり、
アッサムにはアッサムの良さがある。
そして、亀山には紅誉がある。
その土地で育った紅茶を、その土地の歴史と一緒に味わう。
そんな楽しみ方がもっと広がれば、日本の紅茶を見る目も少し変わるのかもしれません。
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残してくれてあったものを、次へ
茶の木は、ただ植えられているだけでは残りません。
手入れする人がいなくなれば、畑は荒れていきます。
作る人がいなくなれば、技術も消えていきます。
そして、飲む人がいなくなれば、作り続ける理由もなくなります。
中川さんの、
「残ってくれてあったものを、ちゃんと育てていかないとね。」
という言葉も心に残りました。
紅誉は、一度消えかけました。
それでも亀山の畑に、古い茶の木が残っていた。
その木を見つける人がいた。
挿し木をして育てる人がいた。
紅茶にする人がいた。
そして今、その紅茶を飲む人がいます。
復活したから、物語は終わり。
ではありません。
誰かが作り、誰かが飲み、誰かがその存在を知る。
その繰り返しがあって、初めて次の世代へ残っていく。
紅誉の物語は、まだ途中にあります。
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一杯の向こうに、残っていた景色
今回、紅誉について知る前。
僕にとって紅誉は、
「日本で最初の紅茶用品種」
「亀山に残る希少な紅茶」
という存在でした。
ですが、話を聞いた今は少し違います。
一杯の紅誉の向こうには、
かつて亀山に広がっていた紅茶畑があり、
時代の変化によって消えていった景色があり、
それでも畑の片隅で生き続けた茶の木があります。
そして、その木をもう一度つなごうとした人たちがいます。
紅誉は、ただ残ったのではない。
人の手によって、つながれてきた。
そう知ってからは
紅誉を見ると、カップの中の琥珀色が少し違って見えました。
土地の記憶は、
建物や写真だけに残るものではありません。
香りとして。
味として。
一杯のお茶として。
残っていくもの。
亀山に残された、紅茶の記憶。
まずは一杯、ストレートで。
その味の向こうにある景色まで、感じてもらえたらと思います。

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一服一景|第一景 亀山
一杯の向こうに、まだ知らない景色がある。
土地を巡り、お茶を訪ねる。
次回は茶畑を訪ねます。
