大人の「また今度」は、放っておくと永遠に来ない。
大人になってから、人間関係のルールが変わったことに気づきました。
子どもの頃、友だちとの距離は「頻度」が決めていました。同じ学校、同じ通学路、同じ公園。努力しなくても毎日顔を合わせ、会っていること自体に特別な意味なんてありませんでした。
けれど大人になると、事情が変わります。
仕事、家庭、体力、生活のリズム。誰かと会うためには、予定を調整し、移動時間をつくり、疲れも計算に入れ、ときには別の用事を後回しにする必要があります。
つまり、大人にとって「会う」とは、自然に発生する出来事ではなく、意志による“選択”になります。
かつて、私は「そのうちまた会える」と思ったまま、疎遠になった人がいます。嫌いになったわけではありません。ただ忙しくて、LINEの返信を先延ばしにしていただけでした。
きっかけがないまま、人は驚くほど静かに生活の外側へと移っていきます。ケンカも、裏切りもない。ただ「更新」が止まるだけです。
大人の人間関係が終わる理由は、憎しみよりも、忙しさの中で風化していくことの方が多いのかもしれません。
だからこそ、月に一度でも会う関係は、思っている以上に意味を持ちます。
それは「気が合う」以上に、お互いが相手のために生活の中の時間を確保している、ということだからです。
惰性では続きません。お互いに少し無理をして、ようやく続いていく“現在進行形”の関係です。
一方で、年賀状や、年に数回SNSで近況を眺めるだけの関係もあります。
ほとんど会わない。今の悩みも知らない。それでも繋がりが残っているのは、現在ではなく「過去の自分」を共有している相手だからかもしれません。
何者でもなかった頃の自分、青かった自分、役割に縛られていなかった頃の自分を知っている人。
細い糸のような繋がりは、会話というより存在確認に近いものです。「あなたを人生の登場人物から消していません」という、静かな合図のように感じます。
年齢を重ねるほど、昔の自分を知る人は減っていきます。だから、ふとした瞬間に届く名前を見て、少し安心することがあります。今の自分だけでなく、過去の自分も確かにここにあったと感じられるからです。
毎月会う人は、今の自分を支えてくれる人。
細く繋がる人は、これまでの自分を思い出させてくれる人。
どちらが大切ということではなく、どちらも、大人の生活の中で静かに効いている関係なのだと思います。
会う回数が多いから大切なのではありません。誰かの生活の中に、自分のための時間が残されていること。それだけで十分なのかもしれません。
もしこの記事を読んで、ふと思い浮かぶ顔があるなら、その「また今度」が遠くへ行ってしまう前に、こちらから連絡してみてもいいのかもしれません。
「元気?」という、たった一言の更新ボタンを押すために。
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