知育を頑張るほど、子どもが見えなくなることがある
SNSを見るたびに、
「もっと何かやらなきゃ」
「このままで大丈夫なのかな」
「私だけ何もできていないかもしれない」
そんな気持ちになることはないだろうか。
タイムラインには、
高価な木製玩具を揃えた素敵な部屋。
2歳でひらがなを読める子。
3歳で掛け算をする子。
驚くような運動能力を見せる子。
もちろん、その親御さんたちを否定したいわけではない。
ただ、それを見続けていると、気づかないうちに心がざわつく。
そして私は思う。
そのざわつきこそが、親子を苦しめる入り口になることがあるのではないか、と。
子どものためだったはずなのに
SNSで情報を集める。
本を読む。
教材を買う。
習い事を探す。
全部、子どもを思っての行動だ。
でも不思議なことに、情報を集めれば集めるほど焦りも増えていく。
すると親は、少しずつ「成果」を求め始める。
鉄棒ができるようになる。
ひらがなが書けるようになる。
数字が読めるようになる。
もちろん、それ自体は悪いことではない。
問題は、その成果がいつの間にか、
「子どものため」ではなく「親が安心するため」になってしまうことだ。
私自身、その感覚を何度も味わった。
子どもの成長を願っていたはずなのに、
気づけば他人と比べ、
気づけば結果を急ぎ、
気づけば「まだ?」と思っている。
そして余裕がなくなる。
余裕がなくなると、子どもにも優しくできなくなる。
子どものためだったはずの努力が、親子を苦しめることもある。
社会に出てから気づいたこと
ITベンチャーで働き、海外駐在を経験し、大企業でも働いてきた。
その中で、高学歴の人たちとも数多く仕事をした。
そこで意外だったことがある。
学力が高い人ほど、仕事で成果を出せるわけではないこと。
イキイキ仕事をして、活躍している人たちに共通していたのは、
「自分は何が好きで、何なら成果を出せるか」を理解していることだと分かった。
自分が何に興味を持ち、
どんなことに夢中になり、
どんな環境で力を発揮できるのか。
それを理解している人は強かった。
そしてそういう人は、自分で選択していた。
誰かに与えられた人生ではなく、自分で選びながら進んでいた。
社会に出ると、正解を当てる力だけでは足りない。
むしろ、
「自分は何なら勝てるか」を知っていることの方が重要になる場面が多い。
短期的な成果を追いかけると失うもの
短期的な成果には分かりやすさがある。
だから魅力的だ。
でも短期的な成果を急ぐほど、親の介入は増えていく。
正解を教える。
効率の良いやり方を教える。
失敗しない方法を教える。
すると子どもは、
自分で考える機会を失う。
自分で選ぶ機会を失う。
自分が何を面白いと思うのかを感じる時間を失う。
私が一番怖いと思うのは、
計算が苦手なことでも、
鉄棒ができないことでもない。
親子で出来ないことも含めて笑いながら過ごせたはずの時間が、
「できた?」
「まだ?」
に置き換わってしまうこと。
一見無駄な時間にこそ価値がある
公園でひたすら砂を触る。
落ち葉を集める。
石を並べる。
家で延々とプラレールを走らせる。
大人から見ると、
もっと意味のあることをした方が良いようにも見える。
でも私は最近、
そういう時間こそ大切だと腹落ちすることできるようになった。
脳科学には、
デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)
という考え方がある。
人がぼーっとしている時に活性化する脳内ネットワークだ。
この時間に脳は、
記憶を整理し、
自分を理解し、
創造性を育てていると言われている。
つまり、
何もしていないように見える時間にも、
子どもの内側では大きな成長が起きている。
私たちはつい、
「何かをしている=成長」
だと思ってしまう。
でも本当は、
何もしていないように見える時間もまた、大切な成長の時間。
子どもの将来をつぶさないために
私は教育が好きだ。
学生時代は講師のアルバイトをしていた。
社会人になってからも研修企画に関わってきた。
子どもが生まれてからは知育も好きになった。
だからこそ考える。
子どもの将来のために本当に必要なことは何だろう、と。
今の私なりの答えはシンプルだ。
子どもの好奇心を守ること。
そして、
「自分はこれが好き」と言える力を育てること。
幼少期に夢中になっていることを邪魔しない。
好きなことを言葉にする手伝いをする。
その積み重ねが、
学力以上に大切な土台になるのではないかと思っている。
有名な教育学者たちの話を読んでいても、
早期教育の優位性は長続きしないと言われることが多い。
一時的な先取りよりも、
長く学び続ける力の方が重要だからだ。
そしてその原動力になるのは、「好奇心」だ。
子どもを見ることに戻ろう
SNSの中には、
もっと早くひらがなが読める子もいる。
もっと計算ができる子もいる。
もっと運動が得意な子もいる。
これからも、そういう情報はいくらでも目に入ってくるだろう。
でも、目の前の子どもは世界に一人しかいない。
何に夢中になるのか。
どんなことに心を動かされるのか。
どんな時に目を輝かせるのか。
その答えは、本にもSNSにも載っていなくて、
目の前のその子の中にしかない。
だからたまには、先回りして情報を追いかけることを少し休んで、
「何を教えるか」ではなく、
「この子は今、何を面白がっているんだろう」と眺めてみる。
遠回りに見えるその時間こそ、
実は子どもの好奇心を育てることに繋がり、
親自身の心も満たしてくれるのかもしれないと思う。
親が子どもを理解しようとすること。
そして子どもが、自分の「好き」を見つけていくこと。
私は、それこそが本来の知育なのだと今は考えている。
私自身も焦ってしまう親のひとりだからこそ、
これからも「子どもを見ること」を忘れないように考え続けたい。
という、8ヶ月ぶりの投稿でした。
また、note投稿再開していきます。
