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東京の父親は不機嫌だという話


日曜日にベビーカーを押しながら、東京の街を歩いた。

さすがは東京。人の数がハンパじゃない。
横断歩道を渡るときは合戦が始まるのかと思ってしまう。

そんなわけで、子連れは移動が大変だ。
子連れの家族はみんな大変そうなのだが、父親の顔を見ていると大概不機嫌そうな顔をしている。
家族の中で何かあったのかもしれないが、それだけじゃなさそうだ。

朝の駅に響く舌打ち


休日に限らず、平日の昼夜問わず、東京を歩く父親は不機嫌なのである。

平日の朝、娘を学校に送迎するときに電車に乗るのだが、改札を歩く中年の社会人の95%(内訳⇒男性:65%、女性:35%)(※)が不機嫌だ。
※当社調べ

ジーパンTシャツで歩いているだけで舌打ちされるほどである。

通学路が同じ子の母親とよく一緒になるのだが、その母親も(わざと?)肩をぶつけられて舌打ちされたそうだ。
朝の駅では、私服の民は肩身が狭い。

不機嫌の正体


なぜ不機嫌なのか。

それは、本人の中で何かがうまくいっていないからだ。

理想の仕事ができていない。仕事がうまくいっていない。お金がない。
東京で成功するはずだったのに。

思い描いた理想からは遠く、自転車操業に近い毎日。
結婚して幸せのはずなのに、教育費と住宅ローンの支払いで手一杯。
でも東京にはこだわりたい。まだ勝負は終わっていない。
周りの人間はみなライバルだ。

そんな気持ちが顔に出てしまっているのではないか。
現状に満足していないから、不機嫌なのだ。

自分は自分、と思いながらも、
無意識に上昇志向になり、競争意識に煽られ、息苦しい社会生活に飲み込まれてしまう。
それが東京だ。

父親同士で仲良くなれない


競争意識が常にあるから、他人を見る目も厳しくなる。
父親はそれが顕著だ。

幼稚園、小学校などで母親同士はよく会話するが、父親同士で会話することはあまりないように思う。
僕の考えすぎかもしれないが、父親はビジネスのレンズを通して他の父親を見る。眼光が鋭い。

どんな仕事をしているのか?
年収は自分より上か下か?
平日に送迎に来れるということは、生活に余裕がある(年収が自分より上)からなのか?

とにかく気持ちに余裕がない。

子どもと楽しそうな会話をしているふりを頑張ってしているが、実際は不機嫌なのだ。
その証拠に、他の親とすれ違う時に、断固として道を譲らない。
譲らない母親同士が正面衝突したとき、睨み合ったままお互いしばらく止まっていた。RPGの村人か。

かつての自分も不機嫌だった


何を隠そう、僕自身がまさに当てはまっていたことだらけだ。

今は気持ちに余裕(というか諦め)があるので、人を自分の物差しで測るようなことはしないが、数年前までは完全に闇落ちしていたと思う。

気持ちに余裕がないと、あらゆることが自分を責めているように感じてしまう。
他人の目が

「どうせ稼げてないんだろ?」
「都心に住めていない負け犬でしょ?」

などと言われていると勝手に思い込んで、勝手に腹を立ててしまうのだ。
自分で自分にストレスをかけてしまっているのである。

まぁ実際はそれほど稼げていないし、都心に住めるほどの経済的余裕もなければ、品格もない。
都心からはお呼びでないのだ。

諦念の境地


ちなみになぜ気持ちに余裕ができ始めたのかというと、諦念の境地に至ったからである。

…というと大袈裟になってしまうが、一つの確固たるもののようなものが自分の中にできつつあるからだと思う。
腹を括ったからでもある。

僕の性分だと思うが、どうしても仕事が充実していないとプライベートも充実しない。というかオンオフを分けることができない。
なので、仕事を充実させるために、自分自身が納得する"何か"を見つけなければならない。
"何か"を見つけるためには、覚悟も必要なのだと最近気づいた。
要するに、これで食っていくという覚悟である。

思いにブレがなくなることで、他人を意識することが減った。
自分との競争で手一杯だからだ。

自分が納得するものを見つけて、自分との競争に打ち勝つことに集中すれば、他人を意識せず、東京の街も楽しく歩けるのではないだろうか。

少なくとも僕は、少しずつ楽しく歩けるようになっている。

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