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《創作大賞2024・恋愛小説部門》「Hydrangea」第2章 雨の月 第5話 ちゃんと先生らしかった

第2章 雨の月

第5話 ちゃんと先生らしかった

 ソファを半分空けてくれた雨月にお礼を言い、その隣へ腰を下ろす。
 彼はしおりを挟んだ本をテーブルに置き、氷が溶けて薄くなったカフェオレをくいと飲んだ。

「晴花、本当に先生になったんだ」
「そうだよ。そのためにずっとがんばってきたんだもん。雨月だって知ってるでしょ? わたしが一生懸命勉強してきたこと」
「まあ、知ってるけど」

 じろじろと、こちらを見つめてくる雨月。
 ……なによ、その目。

「……なにか言いたいことでもある?」
「いや、べつに」
「べつにって顔じゃないでしょ」

 なにもないなら、そんなに見ないし。
 そう思った瞬間、雨月はまっすぐわたしを見てから……ふいと顔をそらした。

「なんか、もう、本当にスーツが似合わないね。晴花は背が小さいから、子どもが着てるみたい。変だよ、それ」
「はあ? う、うるさいな! 言いたいことってそれ? ホント腹立つ……」

 どうせおこちゃま体型ですよ。
 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 ……なによ。
 学校にいるときは、あんなに素っ気ない態度ばかりで、ちっとも話してくれなかったくせに。

 それが今は、まるで人が変わったみたいに――憎まれ口ばかりとはいえ、こうしてちゃんと会話をしてくれる。
 目もちゃんと合わせてくれる。
 学校にいるときも、こんなふうに話してくれたらよかったのに。
 ……そりゃあ、他の生徒の前で悪態をつかれるのは困るけど。
 一応、幼なじみってことは隠してるわけだし。

 でも――わたしは、雨月と、こういう他愛ない話を、学校でもしたかった。
 みんながわたしに気さくに声をかけてくれるように、雨月にも、そんなふうに話しかけてほしかった。

 どうして学校ではあんな態度だったんだろう。
 ……本当は、ちょっとだけ、寂しかった。
 
「ハルちゃん」

 名前を呼ばれて、はっとする。
 キッチンからおばさんの声が聞こえてきた。

「飲みもの、ハルちゃんもカフェオレでいい?」
「あ、うん。ありがとう。お砂糖たっぷりで、あまーくしてほしいな」
「ふふ、わかった。とびきり甘くしておくわね」

 この年になっても、苦いものはどうしても苦手だ。
 コーヒーもビールも、まだ一度もおいしいと思えたことがない。

 わたしは、自他共に認める、かなりの甘党。
 カフェオレにはお砂糖をたっぷり。
 パンケーキにはシロップをこれでもかってくらいかける。

 食べものも、飲みものも、言葉も、態度も――なんでも甘いほうが、絶対いいに決まってる。
 甘いは正義だ。
 異論は認めない。

 ……なのに、そんなわたしを、雨月は目を細めてじっと見てくる。
 この目は、たぶん、あれだ。
 呆れてるときの目だ。
 
「……なによ、そんなじっと見ちゃって」
「おれ、カフェオレは無糖派」
「ふうん、そう。わたしは甘いほうが断然好きだけど」
「大人なのに」
「大人でも甘いのが好きな人はいっぱいいるもん」
「晴花はいつまでたっても子どもだな。これが先生だなんて信じられない」

 ……その言い方、ちょっとひどくない?

 そう思ったけど、言い返したってどうせまた言い返されるだけだ。
 だから、む、とくちびるをとがらせるだけにしておく。
 言い返せなくて、すねるしかできない。
 そんなところも子どもなのだと、きっとまた雨月に笑われるのだと思う。

 べつにいいもん、とつぶやいて、頬を膨らませながら顔をそらした。
 
「その頬を膨らますのも子どもっぽい」
「あー、もう知らない」
「そうやってすぐ怒るところも子どもっぽい」
「どうせ子どもですよーだ」
 
 大人になりきれていないことなんて、自分でもとっくにわかっている。
 だからこそ、こんなふうにしか反応できない。
 うまい言い訳なんて、わたしにはできないから。
 
「晴花は、本当になにからなにまで全部子どもみたい」

 雨月は、カフェラテを一口飲む。

「でも、さ」
 
 水滴のついたカフェオレのグラスを、細い指先でひと撫でして――雨月が、ぽつりと言った。
 
「教壇に立ってるときは、ちゃんと先生らしかった。かっこよかったよ、晴花」

 ……一瞬、呼吸が止まった気がした。
 
 薄い笑みをくちびるに浮かべ、わたしを見つめる瞳に鼓動が速くなる。
 その視線が、さっきの彼とはまるで違って見えた。
 
 今までずっと意地悪なことばかり言ってきたくせに。
 こんなふうに、急にまっすぐな言葉を言われたら。
 
 ……ああ、もう。
 そういうところ、本当にずるいよ。
 
「……ありがと」

 素直に喜ぶことができなくて、ちょっとだけすねたみたいにお礼を言った。
 ちょうどそのとき、おばさんがカフェオレを運んできてくれたから、わたしはそのタイミングに乗じて、ぐいと一口。
 舌の上に、やわらかな甘みが広がっていく。

 それからは、二人でたくさんくだらない話をした。
 先生と生徒としてじゃなくて――気を使うこともなく、肩の力も抜ける、昔からの友だちとしての会話。

 好きな歌手のこと。
 はまっている漫画の話。
 ふいに思い出した小さなころのエピソード。
 たわいもないやりとりが続く中で、ふと隣に目をやると、雨月は楽しそうに笑っていた。

 学校では絶対に見せない、その笑顔を見て……きっと、雨月もわたしと同じく、この時間を楽しいと思ってくれているんだろうなと思った。
 
 時計に目をやると、長い針は軽く一周していた。
 気づけば、一時間以上がたっていたらしい。

「もうこんな時間なんだ」
 
 そうつぶやいた。
 帰ってきたときはあんなにお腹がすいていたのに、今はそれほどでもない。
 きっと、雨月と話しているうちに、時間の感覚がどこかへいってしまっていたのだ。

「もう帰るの?」

 時計に視線を向けたままのわたしに、雨月がぽつりと声をかける。

 たったひとこと。
 それでも、なんだか少し嬉しかった。

 表情の読みにくい彼だから、気持ちを汲み取るのは難しいけれど――それでもこの言葉には、ほんの少しだけ名残惜しさがにじんでいた気がしたから。
 
「そうだなあ、もうそろそろ帰ろうかな。まだ夕飯も食べてないし」
「うちで食べていけば?」
「悪いし、いいよ。それに、うち今夜はクリームシチューなの。デザートにはおばさんもらったケーキもあるし、家で食べなきゃ」
「シチューで喜ぶなんて小学生かよ。食べものの好みまで子どもだな」
 
 む。まだ言うか。
 
「ふうん? じゃあ聞くけど、そういう大人な雨月の好きな食べものはなんなのよ。それだけ言うんだから、さぞ大人っぽいものなんでしょうね」
「馬刺しと塩辛。あと、もつ煮」
 
 即答だった。
 ……なんていうか、まあ、うん。
 
「大人っぽいっていうか……おじさんくさいね」
 
 勝てるわけないや。
 わたしは、くすりと笑った。


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