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《創作大賞2024・恋愛小説部門》「Hydrangea」第2章 雨の月 第7話 そっとしておいて

第2章 雨の月

第7話 そっとしておいて

「……友だちは、いるの?」

 目を伏せたまま、かすれた声でぽつりと問いかける。
 雨月の視線がこちらへ向くのを感じた。

「いそうに見える?」
「……見えない」
「そうだね。それで正解だよ」

 まるで冗談を言ったときのように、ふっと笑う雨月。
 友だちがいない――それは、まぎれもない本音で、素直な言葉で、事実だった。

 だから、わたしは一緒になって笑うことなんてできなかった。

 顔を上げると、雨月の笑顔がほんの少しだけ歪んで見えた。
 無理に作っていることくらい、わたしにもわかる。
 ……わかってしまうから、なおさら苦しかった。

 胸の奥が、ぎゅうっと締めつけられる。
 明るく振る舞えば振る舞うほど、その裏にある本音が透けて見えてしまって――余計に、痛い。
 
「作らないの? ……友だち」
「どうして今さら」
「寂しくないの?」
「寂しい? まさか。高校に入ってから……いや、小学校の頃から、ずっとこんなふうに過ごしてきたんだ。全然、寂しくなんかない」

 雨月は、氷の溶けきったカフェオレの残りを一口で飲み干す。
 こくりと喉が鳴り、白い首筋が静かに上下した。

「友だちがいたって、うっとうしいだけだろ」

 その言葉のすべてが強がりとは思わなかった。
 どこかに本音も隠れている。
 ……けれど、それでも。
 寂しくないわけがない、と思った。

 だって、雨月はむかしから――一人が嫌いな子だったから。
 今も変わっていないというのなら、その奥に隠している気持ちを、わたしはちゃんとわかっている。

 そっと、長いまつげの揺れる雨月の横顔を見つめた。

「雨月は、その……」
「…………」
「いじめられてるわけじゃ、ないんだよね……?」

 わたしの声に、ゆっくりとこちらを見る雨月。
 くちびるにかすかな笑みを浮かべ、どこか儚げな表情で、首をゆるやかにかしげた。

「そう見える?」
「あ、いや、その……見えるわけじゃ――」

 と言いかけた言葉を、途中で飲み込む。
 再び視線を落とし、くちびるを結んで、それでも絞り出すように。

「……見えなくは、ない、かも」

 うそはつけなかった。
 だって、あんなふうに言われているところを見てしまったら――そう思っても、仕方がないから。

 ぼそりと漏らした声に、雨月は、ふは、と笑う。

「正直だね、晴花」

 飲み終えたグラスの縁を、指先でなぞるように撫でる。
 その細くしなやかな指は、まるで女の人みたいにきれいで――わたしは思わず、目を奪われた。
 
「大丈夫。晴花が心配するいじめみたいなことは、なにもないよ」
 
 よかった。
 その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。
 ほっと安堵しかけた、その直後だった。
 
「おれは、ただの、空気なだけ」
 
 空気、と確かめるようにつぶやく。
 くちびるの端から漏れた言葉に、雨月は「そうだよ」とうなずいた。
 
「あいつらにとって、いてもいなくても一緒なんだって。だから、おれは空気だ。見えない空気はいじめられない。触れられもしない。ずっとシカトだ、痛くも痒くもない」
 
 感情の起伏を見せないまま、淡々と語る雨月。
 まるで、それが当たり前のことのように。

 ――ちく。
 胸の奥が、またひとつ痛んだ。
 細くとがった針で、心臓のやわらかいところをそっと突かれたみたいな、そんな痛みだった。
 
 わたしの顔を覗き込んだ雨月が、ふっとくちびるを歪める。
 
「なに、その顔。そんなにおれのことが心配?」

 ――わたし、今、どんな顔をしてるんだろう。
 くすりと笑う雨月の顔が、まともに見られなかった。
 目を合わせることすらできない。
 
「……つらくは、ないの……?」
「全然」

 即答だった。
 
「うそ。だって雨月は……」
「うそじゃない」
 
 わたしの言葉に、強く重ねるように割り込んだ声。
 言い聞かせるみたいな、けれど逃げ場のない、強引な声色で。
 
「うそじゃないんだ、全然」
「……雨月」
「らくだよ」
 
 らく。
 空気のように扱われて、らく。
 
 ……うそ、だ。
 だって、わたしなら、そんなふうには思えない。
 きっと悲しくて、寂しくて、一人でいるのに耐えられなくなる。
 
 ……雨月だって、そうなんじゃないの?
 
 奥歯を、きり、と噛みしめた。
 だけど、それでも――わたしには、もうなにも言えなかった。

 気の利いたことでも言えればよかったのに。
 でも、今のわたしがなにを言ったって、きっと雨月には届かない。

 わたしが目を離しているあいだに、雨月は我慢することを覚えてしまったのだ。
 中途半端な弱音なんて、もう吐いたりしない。
 それが痛いほどわかってしまうから、結局わたしはどうすることもできなくて。
 ただ小さく、「……そうなんだ」と相づちを打つしかなかった。

 くちびるを引き結び、じっと黙り込んでいると、隣から「ねえ、晴花」と声をかけられる。
 重い頭を、のそりと持ち上げた。
 力ない瞳で雨月に目を向ければ、その視線とぴたりと交差する。
 
「晴花が今日見た学校でのおれを、どんなふうに思うかは晴花の勝手だけど」
「……だけど……?」
「まわりにどう思われようが、おれは高校を卒業するまでは、ずっと今のこの生活を続けたいと思ってる。おれが変わると、まわりに迷惑がかかるんだ。だから、晴花」
 
 ゆっくりとしたまばたきをひとつ。
 それから雨月は、わたしをまっすぐに見据えて、言った。
 
「おれをあいつらと打ち解けさせようだとか、そういう変な考えは起こさないでね。……絶対に」

 吐き出された言葉には、有無を言わせないような強い語気がはらんでいた。
 まるで「迷惑だ」と言わんばかりに、鋭い視線が突き刺さる。
 
 心の中を見透かされているみたいだった。
 わたしがどうやって手を差し伸べようとしているのか――雨月はすべてをわかっていて、それを、かたくなに拒絶する。

 なにも言えずに、ただじっと、雨月を見つめ返す。

「晴花になにを言われても、おれは変わらない。変わりたくないんだよ。……だから、わかって」

 余計なことはするなと、暗に釘を刺される。
 わたしは膝の上で、ぐっと拳を握りしめた。

 ――でも、だけど。
 このままでいいなんて、思えない。

 だって、雨月には楽しい学校生活を送ってほしい。
 高校最後の一年間を、誰よりも笑って、誰よりも幸せに過ごしてほしい。

 それは、教師として。
 そして――幼なじみとして。

 ……でも、そんなふうに願うことすら、雨月にとっては迷惑なのかな。
 
「でも、ほら、これからいろんなイベントもあるし……」
「いいよ」
「一人よりもみんなと一緒にいたほうが、絶対楽しいと思うんだけどな……」
「いいんだよ」
 
 雨月はきっぱりと首を振った。
 
「このままでいい。おれは、今のままがいい。自分の殻に閉じこもって、暗い場所で、ただじめじめしてるだけの、今の生活に満足してるんだ」
 
 空のグラスを手に取って、雨月が立ち上がる。
 しとしとと降る雨のような、湿った瞳で、わたしを見降ろした。
 
「だから、そっとしておいて」
 
 この一言を残し、キッチンへと消える雨月。
 もう、ため息しか出てこなかった。
 深く、重く、息を吐き出して、わたしはてのひらで顔を覆う。

 そっとしておいて、なんて。
 そんなことを言われても。
 
「……放っておけるわけ、ないよ……」
 
 かすれた声でつぶやいたひとりごとは、キッチンへ向かった雨月の耳には届かない。
 
 テーブルの上に置きっぱなしの甘いカフェオレは、もうすっかりぬるくなってしまった。
 そのグラスを伝う水滴が、つう、と細く、一筋の跡を残して流れ落ちた。


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