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《創作大賞2024・恋愛小説部門》「Hydrangea」第6章 無自覚な恋 第18話 それは、もう 第19話 好きな子に言われなきゃ

第6章 無自覚な恋

第18話 それは、もう

 仲直りをしただけで、見える景色はがらりと変わった。

 雨月ときちんと話ができてからは、胸を締めつけていたものがすっと消え、ため息をつくこともなくなった。
 元気のなかったわたしを見ていた生徒たちからは、「最近またよく笑うようになったね」と言われることも増えた。
 気づけば、学校へ向かう足取りも軽くなっている。
 たった一人の生徒に、こんなにも感情を振り回されるのはどうかと思うけれど……今は、それでもいいと思える。

 少しずつでいい。
 生徒と向き合える、自分なりのやりかたを見つけていこう。
 
 ……もちろん、この子とも、いちばんいい方法で。

「水嶋晴花」
「……似鳥さん」

 夕暮れどきの廊下で、ふいに後ろから声をかけられた。
 肩越しに振り返ると、そこには似鳥さんがいた。

 ちょうど美術部の活動を終えたところなのだろう。
 絵の道具を脇に抱え、静かにこちらを見つめていた。
 
 わたしと雨月のあいだのわだかまりは解けても、こちらの問題が解決したわけではなかった。
 似鳥さんの視線には、はっきりとした敵意がこもっている。

 わたしはそれを感じ取りながら、あえてにっこりと笑みを浮かべ、体ごと振り返って彼女と向き合った。

「部活の帰り? お疲れさま。今度、美術部のみんなで作品をコンクールに出すって聞いたよ。はかどってる?」
「最近また、夏野くんと親しくしているみたいですね」

 わたしの言葉などまるで耳に入っていないかのように、似鳥さんは挑発的な声で言い放つ。

 ――深く取り合ってはいけない。
 相手のペースに乗せられてはだめだ。
 これは、あえてわたしを困らせるための言動なのだ。
 
 わたしは努めておだやかに答えた。

「そんなことないよ。……夏野くんも、他のみんなも、わたしの大切な生徒だよ」
「本当にそう思ってますか?」
「お、思ってるよ……」

 似鳥さんはわたしを値踏みするように見つめながら、鼻を鳴らした。

「それなら、夏野くんだけを特別扱いしているのは、どうしてですか?」

 胸の奥が、どくんと波打つ。

 もちろん、特別扱いしているつもりなんてない。
 雨月も、他の子たちも、みんな同じように大切にしている。
 ……そのはずだった。

 けれど――お昼を一緒に食べたり、返事が返ってきただけで思わず笑みがこぼれたり。
 そのひとつひとつが、もしも特別扱いに見えていたのだとしたら。
 似鳥さんだけじゃない、他の生徒にもそう思われていたのだとしたら――。

 ……それは、教師として反省すべきことだった。

「……そういうふうに見えたのなら、ごめんね。でも、彼だけを特別扱いしているつもりはないよ。ほら、夏野くんはあんな性格だから、なんだか放っておけなくて……」
「そういうことなら、もう平気です。夏野くんには、あたしがいますから。これからは、あたしの許可なく、勝手に夏野くんと話さないでください」

 まるで、雨月は自分の所有物だとでも言うような口ぶりだった。
 そんな彼女の態度に、なぜかむっとする。
 
 どうしてそんなことを言われなくちゃならないのだろう。
 べつに、雨月は似鳥さんのものじゃない。
 ……はずだ、たぶん。
 そりゃあ、もちろん、わたしのものでもないけれど。
 
「クラスで打ち解けられない子と仲よくしようとしてくれるのは、わたしにとっても嬉しいことだよ。だからわたしも、先生として彼のことを……」
「先生? 違うでしょ」

 鼻で笑った似鳥さんは、悪意をたっぷり含んだ笑みを浮かべて、わたしに向かい――刺すように言った。
 
「いい? 水嶋晴花。――あなたは、夏野くんのことが好きなの」

 くらり、と視界が傾ぐ。

 息が詰まり、喉がかすかに鳴る。
 胸の奥を、熱い衝撃が打ち抜く。

 ありえない。
 そんなはず、ない。
 ……そう、思いたいのに。
 
 なのに、心と体は明らかに――彼女の言葉に、反応していた。
 
「……なに、言ってるの? 好きなんて、そんなわけ……」
「あれ、自分で気づいてなかったんですか? まったく、呆れるほど鈍感ですね」
 
 ゆるゆるとかぶりを振る似鳥さん。
 それから、まっすぐにわたしを見つめた。
 
「あなたと夏野くんの関係が、どんなものかは知りません。とても親しそうだけど、それでもきっとまだ恋人同士じゃないことは、あたしにもわかります。それから、あなたが抱く夏野くんへの想いが、生徒に向けるものじゃないってことも。ねえ、わかる? あなたは、一人の男性として、夏野くんを見てるの。意識しちゃってるの」
「ち、ちが」
「違わない」

 似鳥さんの声音が、すっと静まる。

「それはもう――恋、なんです」
 
 言葉を区切るように、はっきりと口にされ、視界が揺れた。
 
 わたしが、恋。
 ……雨月に、恋。
 
「……その反応、やっぱり図星だったんだ。教師が生徒に恋だなんて、本当にあるんだな。漫画やアニメだけの世界だと思ってたけど」
 
 くすりと笑う似鳥さんを、力のない瞳で見据えた。
 
 くちびるが渇く。
 喉が震える。
 耳を塞ぎたくなった。
 
 ……もう、なにも、聞きたくない。
 
「でも、あたし、諦めませんから。夏野くんのこと」
 
 くちびるに笑みを浮かべた似鳥さんは、くるりとわたしに背を向ける。
 夕暮れの赤に染まる階段を下りていく彼女を、見えなくなるまでずっと見つめた。
 
 彼女の姿がなくなってから、その場にへたりと座り込む。
 
「……わたしが、雨月に、恋……」
 
 舌の上でその言葉を転がすと、息苦しさと背徳と混乱の海のなかに、小さく息吹く甘やかなときめきの芽を見つけてしまった。
 
 違う。
 いけない。
 そんなことはあるはずない。
 ……そう思いたいのに、胸の中にすとんと落ちる雨月への想い。
 それと同時に、似鳥さんと関わるようになり感じてきたあの真っ黒い感情が「嫉妬」というものだったことにも、今さらになって気づいてしまう。
 
 胸を、ぎゅう、と押さえる。
 まだ鳴り止まない心臓の激しい音に、違う、違うと何度も自分に言い聞かせる。
 
 図星なんかじゃない。
 恋心なんて持っていない。
 だって、雨月はただのお隣さんで、幼なじみで、わたしの生徒。
 ただそれだけ。
 
 ……それだけのはず、なんだ。


第19話 好きな子に言われなきゃ

 仕事の帰り。
 その足で雨月の家に寄って、前に読んでみたいと言っていた小説を借りることになった。
 それだけだと寂しいから、少しだけ話がしたいと言って、雨月の部屋に上げてもらった。
 おばさんが淹れてくれた冷たくて甘いカフェオレをちびちび飲みながら、他愛のない会話をする。
 ……その中で、ふと彼女のことを言ってみた。
 
「そういえば今日、また似鳥さんに挑発されちゃったんだ」
 
 できるだけ空気が重くならないように、「困った子だよねぇ」と笑いながら眉尻を下げる。
 雨月はグラスを口につけたまま、むっと眉をひそめた。
 
「今度はなにを言われたの」
「なにって……」
 
 ――あなたは夏野くんのことが好きなの。
 
 耳の奥にまだ貼りついている、似鳥さんの声。
 脳裏にほくそ笑む彼女の姿が浮かんだ。
 
 ……だから、やめてよ。
 わたしと雨月はそういう関係じゃないんだってば。
 
 心の中でそう言って、頭に浮かぶ似鳥さんの姿を掻き消すように、ふるふるとかぶりを振った。
 
「……たいしたことじゃなかったけどね」
 
 手を振って軽く流す。
 なにも知らない雨月は、ふうんと鼻を鳴らした。
 
「晴花が平気って言うなら、べつにいいけど」
 
 雨月は一拍置いて、
 
「でも、いい加減うっとうしいんだ、あいつ」
 
 むっとした表情を浮かべる雨月に、わたしは少し驚いた。
 そんな言い方をするなんて、めずらしいと思ったのだ。
 いつもの雨月なら、だいたいのことなら「どうでもいい」と受け流すはずなのに。
 
「……めずらしいね。雨月がそんなに嫌がるなんて」
「あれだけしつこくされたら言いたくもなるよ。あいつ、おれを悪く言うくせに、ずっと近くにいるんだ。昼休みだってわざわざ屋上に来て、なにが楽しいのか横でずっとおれをけなしてくるんだよ。最近じゃ教室でもつきまとってくるようになったし。『根暗』『地味』『陰気くさい』って、そればっかり言ってくる。そう思うなら離れればいいのに、意味がわからない」
 
 つっけんどんにそう言う雨月は、きっと似鳥さんの気持ちをまだ理解していない。
 一度はっきりと口にはされたけれど、まだ信じてはいないんだ。

 わたしはそっと自分の手もとに視線を落とす。
 憎まれ口を叩いても、隣にいたいと願う彼女の気持ちは。
 
「……好き、なんだよ」
 
 ぽつりとつぶやいた言葉に、雨月の視線がこちらに向くのを感じる。
 わたしは雨月を見られなかった。
 
「ほら、だって言われてたじゃない、屋上で。……雨月のことが、好きなんだって」
 
 信じられなくても、疑っていても、それはきっと本当のことで。
 似鳥さんが雨月を悪く言うのも、愛情の裏返しだ。
 あるいは、ひどいことばかりを言って改心させようとしているのかもしれない。
 ……根暗も地味も陰気くさいも、決してうそではないのだから。
 
 二人の部屋に落ちる沈黙。
 時計の秒針の音だけがちくたくと響く。
 
 ほどなくして、小さく息を吐き出す音が聞こえた。
 
「……嬉しくないよ」
 
 苦々しい雨月の声。
 わたしは思わず顔を上げた。
 雨月を見つめ、おうむ返しに問う。
 
「嬉しく、ない?」
「ちっとも嬉しくない。……そんなのは、好きな子に言われなきゃ、意味がない」
 
 すねるようにむすっとした表情は、まるで恥ずかしさをこらえているように見えた。
 まじまじと見つめると、それに気づいた雨月がわたしからふいと顔をそらす。
 耳がほんのり赤みを帯びていた。
 
 え、うそ。
 その反応、もしかして……。
 
「……雨月、好きな子が、いるの?」
 
 神妙に聞くと、雨月は、きゅ、とくちびるを引き結ぶ。
 わたしから顔をそらしたまま、
 
「いちゃ悪いかよ」
 
 と鼻を鳴らした。
 
 わたしは目を丸くする。
 数秒ほどして、慌ててかぶりを振った。
 
「あ、ううん、悪くないよ、全然悪くないっ」
 
 気恥ずかしいのか、単に虫の居所が悪いだけなのか、雨月は小さく舌打ちをした。
 カフェオレのグラスに視線を落とす。
 吐き出したいため息をぐっとこらえた。
 
 雨月には、好きな人なんていないと思っていた。
 あんな学校生活を送る彼だから、好きになるような人ができるとはちっとも思えなかった。
 
 ……だけど、いたんだ。
 好きな人が。

 わたしの知らないあいだに、雨月は誰かに密かな恋心を抱いていた。
 ほんの少しだけショックだった。
 雨月はいつまでも弟のような存在で、これからもずっとわたしが支えていかなくちゃだめなんだと思っていたから。
 今日、似鳥さんと話しているときに「雨月はあなたのものじゃない」と強く思ったはずなのに……無意識のうちに、わたしのほうが雨月を自分のものだと認識していたのかもしれない。
 
 ああ、嫌だ。
 どうしてわたしはこうなんだろう。
 傲慢な自分に嫌気がさす。
 なんでこんなに暗い気持ちになっているのかもわからない。
 雨月の灰色な高校生活が色づくチャンスになるのだから、喜ばなくちゃいけないのに。
 ちっとも嬉しいと思えない自分が嫌だった。
 ……わたしがなにを思おうが、誰を好きになるのも雨月の勝手で、わたしになんて関係ないはずなのに。
 
「そっか。じゃあ、実るといいね。……その恋」
 
 くちびるに笑みを浮かべると、雨月はわたしと目を合わせないまま、また鼻を鳴らした。
 
「大きなお世話」
 
 うん、わかってる。
 ごめんね。


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