日焼け止め会議のはじまりは、夏休み最終日の代償だった
あれは中学2年の夏休み最終日。宿題をなんとか済ませた私は、後輩とプールへ遊びに行った。
地元の子供は一度は遊びに行ったことがあるであろうそのプールは、夏休み最終日だというのに芋を洗うかのごとく混み合っていた。
夏休みくらいおしゃれな水着を着ればいいのに、無頓着だった私と後輩は紺色のスクール水着。どこまでも真面目なのである。
そして、プール用の日焼け止めは当時もあったのかもしれないが、私たちはそこでも無頓着だった。
度入りゴーグルがまだ高価だった時代。裸眼の私には輪郭が曖昧に見えるプールでたゆたい、大人気のウォータースライダーに並び、プールサイドになぜか売っていた肉まんを頬張っていた。
その時の私は、まだ知らなかった。日焼け止めの重要性を。
家に帰ると、なんだか体が熱い。そしてヒリヒリとした痛みは、やがてズキズキと脈打つような痛みに変わっていく。
『日焼けはやけど』その意味を身を持って知ったのである。
椅子に座れない。服を着ていると肌をトゲで常に刺されているような感じがし、痛くて寝るに眠れない。
見かねた母が冷蔵庫にあったカラミンローションで手当をしてくれて、眠れないほどの痛みは次第に引いていった。
地獄を見たのは翌日、始業式。学校指定の白い帆布製のカバンを肩にかけた時。
「いったーーーー!!!!」
思わず家の中で叫ぶほどの痛みに悶絶する私。対策などせずプールに1日いれば、こうなるのだ。
ぎゅうぎゅうと重さで遠慮なく圧迫してくるカバンを逆恨みせずにはいられない。今思えば自業自得だ。
その痛みと数日戦う羽目になったのである。しかも通っていた中学校は始業式早々に実力テストが始まる。色々な意味で地獄だった。
そんな大人気だったプールも、老朽化で今は営業されていない。
静かになったプールの横を通る時、ふと思い出す。
日焼けをなめて地獄を見た中学時代の苦い思い出を。
日焼け止めの重要性を身を持って知った私は、それから毎年店で日焼け止めを吟味するようになった。
今年も梅雨入り早々の台風だ。日焼け止め会議が始まる。
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