立ち止まってみたら、たしかに「あい」だった
日曜日の昼下がり。リビングのひんやりとした空気にオレンジ色の光がさしこむ。
三人家族が、三者三様にここへ集まり好きなことをしている。
たまに他愛のない話をする。ときには喧嘩もするがなぜかその空間はふわりと暖かい。
私が渇望していた「あい」は立ち止まってみたら確かに存在していた。
こんな穏やかな午後を過ごしながら、ふと思い出す。
私がこの「あい」に辿り着くまでのことを。
昔、アラサーだった私は、何を考えたのかゆるい婚活というか話し相手が欲しく、婚活サイトにアクセスした。画面にランダムに表示されたそのプロフィールは、写真もなく、内容は無骨なメッセージ。普通だったらスルーするだろう。
ただ、その何も『映え』も何も気にしていない飾らなすぎるものに惹かれ、メッセージを送った。
話してみると偶然にも家は近く年も近い。話しているうちに何かが合う。自分のままで話せる。会ってみたら、あまりの飾らなさにふっと親近感が湧いた。
あっという間に付き合い始めやがて結婚し、子供も生まれ十数年の時がたった。
私はずっと、誰かの顔色をうかがわずにいられる場所を探していた。
話すにも顔色をうかがわず、言葉を選ばずにいられる場所。
ただ「ここにいていい」と思える場所が欲しかった。それが「愛されたい」という願いだった。
かつての私は、家でも顔色をうかがっていた。
言い方ひとつで、親に激昂されることがあった、いつのまにか、相手の機嫌を読み取る癖が染みついていた。
結果を出して褒められなければ、特別な何かがなければ見てもらえないし、愛されないと思っていた。
それが、私がいくら家事が苦手でもたまに怒り、ため息をつきながらも一緒にいてくれる夫。
そして、デコボコでうまく接することができていないかもしれないのに「お母さん、だいすき!」とニコッとしてくれる息子。
ああ、私は、ここにいて、いいんだ。
最近、やっと腑に落ちる感覚があった。
これが、「あい」なんだ。
特別なものはなくていい。私のままで安心していられる場所。
豪華な愛の言葉もドラマチックな展開もいらない。ここにいるだけでいい。安心できる場所。ただ、この平和な日常こそが欲していた「あい」だった。
昔の私が求めていたのは何だったんだろう。でも、今ならかつての私にも言える。
「『あい』も『居場所』も見つかったよ」と。
立ち止まってみたら、私の求めていた「あい」は、思いがけないほど静かな場所にあった。手の届く、すぐ近くに。
私は、見つけた「あい」と共に生きていく。静かだけど、安心できる家と、家族と一緒に。
モノカキングダム初めての挑戦!

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