見出し画像

読まれたい私と、読みにいく私

作品を書いて公開したからには読んでほしい。これは皆そう思うだろう。

ここ数日、Twitter(X)を眺めていると、『小説が読まれない』という話でちょっとした議論になっていた。ここで、去年十年ぶりに筆を取り直して創作を再開した人間の話を聞いてもらいたい。自戒も込めて。

私は筆を取り直す前、十年いや二十年以上前になるか。一次創作や二次創作が個人サイトでしか発表できない頃、小説を書いていた。その頃は誰が読むかもわからない小説、まさに誰が得するんだこんなの。そんな物を書いていた。サイトにカウンターは置いていたが誰が読んだか、どれだけPVがあるかなんて気にしなかった。

そして、pixivができた頃、二次創作をそちらで発表するようになった時、初めて反応があった。その時の胸の高鳴りはよく覚えている(当時のアカウントはないが)。その頃は、まだ純粋に自分の解釈からの二次創作を書いていた(そして一次創作も置いていた)。

時は流れ、育児に追われていつしか置いていた筆を取り直した。それが去年の五月のことだ。小説で賞レースに参戦するようになり、私の中にある欲求があることに気がついた。黒いもやのような渦巻くものに。

Twitterやnoteを見ていると、胸がざわざわする。それが『承認欲求』や『嫉妬』によるものなのか、と気付いた。キラキラした『受賞』『注目記事』などを見かけると祝福の気持ちの裏で胸の奥がぎゅっとなり、同時に黒いもやが渦巻く。

昔、個人サイトで発表していた頃とは明らかに違う。
『生み出したのに認めてもらえない』そういう感情が作品に付着するようになったのだ。それは、自分自身を何度も揺るがした。そして「誰のために書いてるんだ?」という問題。これは「自分のため」でもあるし「読まれないと悩みを抱えるあなた」へ向けた話だ。

読まれる努力をしろなんて言わない。むしろ、言えない。私だって筆を取り直して一年も経っていない零細も零細だ。ただ、書いて、他の人の作品を読んできた。誰のために書いている?答えは出ない。

そして臨んだ先日のカクヨムコン。正直、削れなかったと言ったら嘘になる。1PVでもあれば嬉しかったのがもっと上へ!もっと読まれたい!自分の中にこんな欲深い感情があったのかと驚いた。TLを見るたび渦巻く靄。SNS断ちをしたこともあった。ひとつでもPVを、★をと望んでしまっていた。自分は誰からも見られていないのではないかと錯覚するほどだった。

これは、削れる。かんなのように薄く、じわじわと削れていく。

でも、読まれなければ筆を折ると公言してしまうのは、どこか違うと思う。「読まれない」と嘆くより「もっと多くの人に読んでほしい」と言いたい。しかし、たまに私も筆を折りそうなときもある。それは承認欲求が前に出てしまった時だ。そういう時は、こっそり自分だけのための癖全開の文をNolaに書く。そして原点に戻る。

「読まれない、読まれたい」と「一人でも読んでくれたら嬉しい」は共存する。だから、私は今日も書くために読みにいく。読みに行くことは、世界が広がる。

そして、そろそろ新作の長編を練って書き始めよう。そう思った朝だった。


いいなと思ったら応援しよう!

凪砂いる いただいたチップで少し豪華なコーヒー飲みます!