過去とアートが残した熱を、言葉に
私の母は、元美術部だった。
実家には古びた画材があり、母から譲り受けた画材を持って学校に行き授業を受けた。
家では、絵を描いては母に絵の描き方を教えてもらった。
そして、子供の頃から秋になると毎年母と美術館に行く。
秋の美術館のまわりの色づいてきた葉と、柔らかいどこかオレンジ色を纏ったような空気は、毎年変わらずそこにある。
そして、毎回母が足を止める絵と私が足を止める絵は違った。
私が足を止める作品は昔からどこか暗い絵。
透明感のある絵。
何より、作品自体から熱を放っているような絵。
そういう作品に吸い込まれそうになり立ち止まった。
それは今でも変わらない。
アートとは、人の持つ感情、熱、余白、持つもの全てをぶつけたものだと、私は感じるのだ。
絵を描いてきた日々から、今は文章を書く日々へ。
手にする道具は変わっても、そこに込めるものは同じ――その時々の感情と熱だ。
しかし、時々自分がわからなくなり、迷い、立ち止まる。
そんな時、忘れかけていた自分の過去の文章に触れ、思い出した。
若さゆえの粗削り。しかし、テンポも余白、そして熱も今の私にはまるでないものだった。
全て読み返し、私は思い出した。
カタン……パリン!
その時、私から何かが落ち、剥がれ、割れた気がした。
そうだ。
――私はなんのために書く?
自分のためだろう。
自分のために、自分の物語を紡ぐのだ。
完璧なんて求めなくていい。自分を、ぶつける。
曖昧な感情さえ、言葉として作品へ昇華させる。
自分の持つ喜怒哀楽、欲。全ての感情を昇華させて、そこに読む人が入り込む余白を残す。
かつての芸術家たちが、そうしてきたように。
今書いている私たちも自分の持つ感情を昇華させて、作品にして、書いていい。
それこそが熱を持った、あなただけの物語。
私も、自分をぶつけて物語を紡いでいきたい。そんな文章を書きたい。
たとえ負の感情だって、ぶつけて昇華させれば、立派な作品になる。
それも、あなたにしかできない。
それぞれの物語を、選び取って、紡いでいけばいい。
だから今日も書いていこう。
自分だけの、物語を。
灯火さん、2回目の挑戦です!よろしくお願いします🌈
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