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休みの日は『書きたい』が止まらない

 昨日は通院と子供の用事でカフェ休みのみ。
 水曜日……待ちに待った完全オフの日である。うずうずと書きたい欲が止まらない。キーボードの打鍵音がピアノのように滑らかだ。まるで書きたかった自分の脳内から言葉を掬いだすように。こんなにも書きたいことがあったのか。

 十二月になって、自分史上最大の挑戦を始めてから言葉を紡ぎたくてたまらず、毎日今までにないくらい書いている。これが本当に気持ちがいい。夫と子供を送り出してここからが本番だ。書く時間だ!と心が勝手に躍りだしている。言葉の断片からプロットを組み立て、肉付けしまた捏ね、組み立てていく、そしてカチリといい具合にハマった時に脳内で動き始める感覚。
それを描写していく感じで書いている。

 ちなみにnoteはほぼ即興である。その時思ったことをスケッチのように残しておく。手帳にも残す。数年経てばいい具合に熟成されたネタになる。嫌なことがあっても「書いとけば後々熟成されてネタになるか」くらいの気持ちで生きたいものだが、絹ごしメンタルな私はなかなかそうもいかない。誰かに貰うものではないが鋼のメンタルにならないものか。今年は絹ごしから木綿豆腐くらいには豆腐メンタルも進化した気がする。

 何が言いたいかって「読み書きって最高」ってことですよ。人間の深い所まで触れられる。心の微細な揺れも逃したくないくらい描写したい。そのためにはインプットして語彙をためて。人間の奥底まで書いたやつっていいですよ。っていうか、今年の五月からこれでもかと書いて、心の揺れまで微細に残すようになって、書いた結果が今年の集大成挑戦。来年も書きまくって来年の集大成みたいに積み上げていければ人間楽しいだろうなぁと。

 毎日毎日が一つのピースみたいなもので、今年の集大成というものが出来上がって、それをベースに来年も新しいピースを加えていく。生きている限り毎日が作品みたいなものなんじゃないか、と私は思うんです。良い日も、悪い日も、絶望したときも、病んだときも、ひとつの作品のピースとして毎日生きていけたらなぁと思う。

 毎日生きているだけで作品になる。人生の欲も、熱も、揺れも全部言葉にして残して毎日のピースで大きなものを作りたい。自分の寸分の揺れも逃したくない。それが言葉を残す意味なのかな、と最近思い始めた。

 書きたいだけで千文字近く書いている私はどうかしている。というか今月になってから書きたいしか言ってない気がする。というか、Nolaによると五月から先月までに小説だけでこれだけやっていたそうである。

これにnote毎日更新とかどんだけ書くのか。ちなみに十二月だけでこれを超えそうなペースである。恐ろしくなってきた。
#どうかしているとしか
#なんのはなしですか

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