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【北中米W杯】守田英正「選外」の波紋。経営者(森保監督)の「ドライな決断」

本日、北中米ワールドカップに挑むサッカー日本代表メンバーが発表されました。

エースの三笘薫選手、そして前線で違いを作れる南野拓実選手が怪我により選外となったことは非常に残念ですが、こればかりはコンディションの都合上、仕方のないことと受け止めるしかありません。

しかし、今回の発表において、日本のサッカー界のみならずメディアをも揺るがす大きな波紋を呼んでいる決定があります。それは、UEFAチャンピオンズリーグでベスト8に進出したスポルティングCPの絶対的軸であり、現在の日本中盤において世界基準のクオリティを持つ守田英正選手の「選外」です。

キャプテンの遠藤航選手が所属クラブでの怪我から回復途上にあるという現状を踏まえれば、実力・実績ともに申し分のない守田選手の落選は、純粋な「フットボールの論理」だけで見れば常識的にはあり得ない判断です。

当然、ファンの間では「なぜ守田が外れるのか」という疑問や不満が噴出していますよね。私も守田選手が大好きでポルトガルに試合を見にいきたいと思っていたくらい。そこには、アジアカップでベスト8敗退を喫した際、守田選手がメディアを通じて発した「チームとしての規律や戦術的なアプローチ」に対する苦言が、森保一監督への「批判」と捉えられ、それ以降の招集見送りに繋がっているのではないかという、いわゆる“更迭論”や“感情的な対立”を勘ぐりたくなる背景があるのも事実です。

私自身、高校時代はサッカー部に身を捧げ、現在は欧州チャンピオンズリーグをはじめ、セリエA、ラ・リーガ、プレミアリーグを現地で観戦し、日々DAZNで貪るように観戦している、自他ともに認めるサッカーフリークです。一人のサポーターとして言わせてもらえれば、鎌田大地選手と並び、現在の日本代表でトップクラスの「サッカーIQ」を持つ守田選手を外すことは、戦術的に大きな損失であり、極めて悔しい決定です。

2018年 イングランドプレミアリーグ スタンフォードブリッジ
2025年3月埼玉スタジアムでのアジア最終予選サウジアラビア戦
2025年11月 レアレ・アリーナでのレアル・ソシエダ久保選手の復帰戦

しかし、一歩引いて、別の視点からこの事象を眺めてみると、全く異なる景色が見えてきます。

私はサッカーフリークであると同時に、一人の「経営者」でもあります。この「経営者(マネジメント)の目線」から森保監督の決断をフラットに分析したとき、私はこの一見不条理に思える「守田選外」という判断に、深い納得感を覚えざるを得ません。

なぜなら、サッカーの代表チームも、企業の組織も、その本質は「チームプレー」であり、マネジメントが直面する課題は驚くほど酷似しています。

本稿では、なぜ守田選手の選外という決断が下されたのか、サッカーファン(多くの場合は組織における『プレイヤー/サラリーマン』の目線)では見えにくい、監督(経営者)の合理的な思考プロセスについて紐解いていきたいと思います。


1. 組織を悩ませる「優秀だが、組織の和を乱す存在」というジレンマ

経営の現場において、多くの経営者やマネジャーが一度は直面する、ある「古典的な難問」があります。

それは、「個人としては圧倒的に優秀で実績もあるが、組織の規律や方向性に対して公然と異議を唱える、扱いづらい社員をどう処遇すべきか」という問題です。

守田選手は間違いなく世界レベルのMF。ピッチ上での戦術眼、危機察知能力、ビルドアップの質、どれをとっても日本トップであることは疑いようがありません。しかし、アジアカップという公式の場で、チームの根幹に関わる戦術的課題をメディアの前で口にしたことは、組織マネジメントの観点から見れば、非常にリスクの高い行為だと感じました。

一般の従業員(プレイヤー)の視点から見れば、「成果を出している人間が、組織を良くするために正しい正論を言っているのだから、経営陣はそれに耳を傾けるべきだ」と思うかもしれません。実際、守田選手の指摘は的を射ていた部分も多かったでしょう。

しかし、経営者の視点は異なります。 どれほど正論であっても、リーダーの頭越しに、かつ組織の外(メディアや公の場)に向かって「方針への疑問」を発信することは、組織の統制を根底から揺るがす行為になり得ます。

組織のトップである監督の立場からすれば、それは単なる「意見」ではなく、「指揮権への挑戦」であり、「チームの求心力を低下させるリスク」と映るのです。

2. 私の苦い実体験。コロナ禍での組織崩壊と「放置」の代償

実は、私がここまで森保監督の判断に納得するのには、単なる教科書的な組織論だけではない、私自身の経営者としての「血の滲むような苦い教訓」があるからです。

数年前、世界中が未曾有の混乱に陥ったコロナ禍のときでした。私の会社も急激な変革を迫られ、組織全体が極限のストレス下におかれていました。まさに、カタールアジアカップで不測の事態に直面した日本代表と同じような、一寸先が見えない緊急事態。

その際、社内に優秀だが問題を起こす社員がいました。彼の個人能力の高さは誰もが認めるところでしたが、会社の方針が二転三転せざるを得ない激動の状況下で、経営陣の決定やマネジメントの方針に対し、周囲の社員を巻き込む形で公然と批判や不満の声を上げました

当時の私は、「彼は優秀だし、会社のことを思って正論を言っている部分もある。何より今の苦しい時期に、優秀な社員を失うわけにはいかない」と考え、その不穏な言動を目をつむり、放置してしまいました。売上という「目先の数字(サッカーで言えば個人の実力)」に目がくらみ、経営者としてドライになりきれなかったのです。

その結果、何が起きたか。 彼の発する「経営陣への不信感」は、見えないウイルスのごとく、不安を抱えていた他の社員たちへと瞬く間に伝染していきました。組織のベクトルはバラバラになり、信頼関係は冷え込み、最終的には組織崩壊とも言える致命的なダメージを会社に与えることになってしまいました。後に彼が去ったとき、残されたのは荒廃した組織と、マネジメントとしての私の深い後悔だけでした。

会社はチームワークです。サッカーも全く同じです。 どれほど個人の能力が秀でていようとも、組織の和を乱し、全体のベクトルを狂わせる「反乱分子」は、長期的にはチームにプラスをもたらさない。有能であっても、組織の根幹を揺るがす存在は、時として非情に排除しなければならない。私はこのことを、会社を潰しかけるほどの痛烈な実体験から学んだのです。

3. 組織のパフォーマンスは「個人能力の足し算」ではない

多くのサッカーファンは、11人の個人の能力の合計が最も大きくなるようなスカッドを望みます。「調子の良い選手、実力のある選手を1番から11番まで並べれば勝てる」という発想です。これはビジネスで言えば、「トップ営業マンばかりを集めたドリームチームを作れば、売上は最大化する」という考え方に似ています。

しかし、現実のマネジメントはそれほど単純ではありません。組織の総合力は、決して「個人能力の足し算」ではなく、「個人能力の掛け算(シナジー)」であり、時には「不協和音(マイナス要因)の排除」によって決まります。

どれだけ有能な人間であっても、その存在がチーム全体の疑心暗鬼を誘発したり、監督の戦術に対する迷いを生み出したりする場合、組織全体のパフォーマンスはむしろ低下します。

特にワールドカップという、短期間で極限のプレッシャーがかかる一発勝負の舞台においては、「チームが完全に同じ方向を向いていること(アライメント)」が何よりも重視されます。長友選手選出の理由は正にここにあります。彼のこの涙を見た瞬間、私は森保監督の考えを全面的に支持しようと思いました。

もし守田選手を中核に据えた場合、チームが一度逆境に陥った際、再び「戦術への疑念」がチーム内に伝染するリスクを森保監督は恐れたのではないでしょうか。「あいつが監督の方針に疑問を呈しているのだから、今の戦術は間違っているのではないか」という迷いが11人の中に1%でも生まれれば、ピッチ上でのコンマ数秒の判断の遅れに繋がり、致命傷となります。

平時ならイエスマンだけを揃えるのはそうなのかと思いますが、W杯は最長2ヶ月の短期決戦。だから個人の実力だけでない要素も加味してはんだんするのです。

森保監督は、守田選手という「個の最大値」を捨てるリスクを冒してでも、チーム全体の「ベクトルの統一」という安定性を選択した。これは経営者が、どれほど数字を上げるスター社員であっても、企業文化や規律を乱す存在であれば、苦渋の決断として組織から外す判断を下すのと、全く同じ力学なのです。

4. 「情」を排したドライな決断こそが、トップの責任

今回の選外について、「森保監督の器が小さい」「感情的な報復だ」という批判的な声も散見されます。しかし、私はそうは思いません。もしそれが単なる感情論であれば、それこそ「二流のマネジャー」です。森保監督がこれまでのキャリアで築いてきた実績を見れば、彼が私情で動く人物でないことは明白です。

むしろ、今回の決断は極めて「ドライで冷徹な合理的判断」の結果であると見るべきです。

経営者は、時に「義理人情」や「周囲からの評判」をすべて捨ててでも、組織の目的(=勝利、あるいは企業の存続・成長)のために最も確率が高いと思われる選択をしなければなりません。

守田選手を外せば、当然メディアやファンから激しいバッシングを浴びることは監督自身、百も承知だったはずです。それでもなお外したということは、彼をチームに入れることによる「組織崩壊のリスク」の方が、外すことによる「戦力低下のリスク」よりも大きいと、冷徹に天秤にかけた結果なのです。

好かれることがリーダーの仕事ではありません。結果を出すこと、そのために最も機能する環境を整えることこそが、トップの責任です。世間からの批判を一手に引き受ける覚悟で、自身のマネジメントスタイルに合致しない要素を排除した森保監督の姿は、ある種の冷徹なリーダーシップの体現であると言えます。

結論:私たちはこの決断をどう見るべきか

サッカーファンとして、守田英正という稀代のプレイメーカーがワールドカップのピッチで見られないことは、本当に寂しく、悔しいことです。彼のプレーには、観る者を魅了する知性と技術が詰まっています。

しかし、一歩引いて、組織を率いるマネジャーの目線に立ったとき、森保監督の決断を「愚策」と一蹴することは私にはできません。私自身のコロナ禍での手痛い失敗を振り返っても、組織の統制とベクトルの統一を最優先にしたこの決断は、一貫性のあるマネジメント戦略として非常にロジカルです。

「個の能力」を最優先すべきか、「組織の規律」を最優先すべきか。 この問いに、絶対的な正解はありません。結果だけが、その正しさを証明します。

もし日本代表が北中米W杯で素晴らしい結果を残せば、森保監督のこのドライな決断は「組織を勝利に導いた英断」として歴史に刻まれるでしょう。逆に、悲惨な結果に終われば、「有能な個を排除した独裁的なミス」と指弾されることになります。

すべての責任を背負い、孤独な決断を下した森保監督。そして、世界最高の舞台を前に、自身の信念と発言の代償を払う形となった守田選手。どちらが正しいか、間違っているかという二元論ではなく、これが「組織と個人」が織りなす、プロフェッショナルのシビアな現実なのだと、私は一人の経営者として、そして本物のサッカーサポーターとして、静かにその行方を見守りたいと思います。

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