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保育園のお迎えが最後になった日のこと


先日、仕事でいろいろトラブルがあり、初めて保育園のお迎えが19時前になった。

いつもは18時前には迎えにいく。それでも1歳の娘はつかれ果て、家ではひどい癇癪を爆発させる。
手は洗わぬ、服は脱がぬ、風呂に入らぬ、ご飯は食べぬ。
ひとつひとつの生活動作すべてに全力であらがい、涙と絶叫が響きわたる。

それをそばで見守るのは、繊細でやさしい4歳の息子。
私が娘を怒れば悲しそうに縮こまり、私が匙を投げれば娘に一生懸命語りかけて、あやそうとする。そんな姿を見ると余計に罪悪感も募り、自己嫌悪と疲労感はいっそう深くなってゆく。

毎日毎日、そういう夜をすごしている。
これがあと一時間遅くなる。一体どうなってしまうのだろう。考えただけで泣きたくなる。

残業が決まってからは恐怖と罪悪感で一日中憂鬱だった。1ミリだけの期待を抱いて夫に連絡してみたけれど、「今週は全部宴席」だと連絡が入った。
今 週 は 全 部 宴 席。

せめてものお守りに、コンビニでスティックパンを買った。空腹で機嫌が悪ければ、帰り道に子どもに食べさせよう。夜道を甘いパンを食べながら歩けば、少しは楽しくなるだろう。
終業と同時に、クラウチングスタートを切った。

電車の乗り換えひとつひとつを、上京したてのごとく真剣にクリアし、やっと最寄りの駅に着いたとき、目に入った時計は18時半だった。

周りには電車から降りた学生さんがたくさんいる。駅を出ると空はまだほんのり明るく、「まだ夜ですらないよ」とささやいてくる。

そうだ。19時前なんてそんなに遅い時間でないはずだ。何をこんなに焦っているんだろう。
自分に言い聞かせながら、それでも園まで早足で向かう。

薄闇のなかたどり着いた保育園は、玄関部分だけが明るくて、あきらかに「閉店直前」の様相だった。

走り込むようにブザーを押す。同時に兄妹が振り向いた。案の定、園にはもうふたりしか残っていなかった。
一瞬胸がチクリと痛み、だけど次の瞬間には思い直す。しかたない。日本中すべての保育園に、毎日1組、「最後にお迎えされる子ども」が存在しているのだ。

逡巡する私の気持ちをよそに、うちの可愛い子どもたちはふたりして「ぱあぁぁぁ!!」っと表情を明るくし、転がるように走ってくる。
息子は大慌てで靴を履き、娘も靴をひとつずつ持ってくる。こんなに小さくてすべてがぎこちないのに、それでも娘が嬉しさのあまりにこんがらがっていることが、なぜだかちゃんと伝わってくる。

先生に何度もお礼を言って、バタバタと園を出て手をつなぐと、息子が興奮したように喋りだした。

「ほしょくにおいもたべたの!」

「〇〇ちゃんも一緒だったからさみしくなかったの!」
「〇〇ちゃんはおいもたべたら帰っちゃったの!」
「妹ちゃんもおいもたべたの!!全部食べてたよ!」

そうか補食がもらえたのか。妹も食べたのか。よかった。それならよかった。

心底安堵しながら、非日常に胸を躍らせた息子と話し、芋に満たされて、眠そうだけれど穏やかな娘を抱いて歩く。
娘はぺったりと張り付いて動かない。できるだけ広い面積でくっついていたい、とでもいうように。

家に着くとすぐに、冷凍庫にあったご飯とカレーをレンジに入れる。
温めるあいだに子どもたちと手を洗う。息子が興奮したまま喋っている。
全然大丈夫だったよ! と何度も言う。私が何度も謝ったから、気を遣ってくれているのだ。

息子は、「こういうことを言ったら相手がよろこんでくれるだろう」ということが見えるとき、つい張り切ってしまう。

とても優しくて、心から優しいのはわかっているけれど、大人になってもこの性質だといいことも悪いこともあるよな、などと考える。
相手を喜ばせたいのは、相手を喜ばせることが嬉しいからなのだ。だけどその気持ち自体は純粋な善意でもある。
悶々とするのは、この性質は完全に私に似たのだと思うからだ。夫にはこういう部分は微塵もない。

子どもたちがカレーをぺろりと食べてくれて(バーモントカレーの甘口が、大人がたべても十分に美味しいことを知ったのは去年のことだ)、三人でお風呂に入った。

罪悪感があるので、子どもたちに優しくできる。子どもたちはご機嫌だ。

すこし熱めの湯船につかると、自分が疲れ切っていることをひしひしと感じた。
疲れた。疲れて、つかれきって、もう沈んでしまいそう。

必死に勉強して大学まで行ってなんとか就職した。そこまでは男女差なんて考えたこともなかった。
だから結婚して出産して、それでも仕事を続けるのが当たり前だと思いこんで生きてきた。けれどそれは全然スタンダードな「誰でもできるコース」じゃない。
自分でいうのもなんだけど、心身ともにまあまあ頑張れて、そこそこ適当で要領がよくて、子どもがふたりとも健康でたぶん育てやすい、この私ですらギリギリギリだ。


気を抜いていると、最初は仲良く遊んでいた二人がおもちゃの取り合いを始めた。寄り添って、言い分を聞いて、仲介する気力なんて微塵もない。
かわりに、大声を出すほうを選ぶ。

「今日、かかが遅くてさみしかったひとー!」
「「はーーい!!」」
息子は大きな声で手をあげ、娘はよくわからないまま手をあげる。
ふたりとも満面の笑み。かわいい。子どもは本当に、楽しい雰囲気が好きだ。ころりとご機嫌になってくれる。

「さみしかったけど、今日一日がんばったひとー!」
「「はーーーい!!」」
かわいい。ふたりとも目がきらきらしている。安心しきっている。
やぶれかぶれに明るい声を出してみると、存外自分のテンションも上がってきた。

「じゃあ……、今日、かかがお迎えに行ったときに、うれしかったひとー!!」
「「はーーーーーい!!!」」

一瞬、私のなかの時が止まった。

湯船の中で、はだかんぼうの二人が、にっこにこで私のほうを向いている。息子は全力で、娘もわかったような顔をして。

この顔を見ることができたのは、今日、私が必死で働いて、お迎えに行って、疲れ果てても、最後まで子どもたちと楽しくいることを頑張ったからだ。

まったく。たまにこういう瞬間がある。育児ってやつは。

そのあとお風呂を上がって絵本を読み、歯を磨いて、みんなで一緒にベッドに入った。

何度も何度も、ありがとうと頑張ったねをふたりに言ってハグをすると、すぐにふたりの寝息がきこえだした。

ああ。がんばった。つかれた。つかれた。
だけど、総括するならば、今日はいい日だったと言わざるを得ない。

写真には残せなかった、全力で手をあげてくれた二人のことを思い出しながら、私もあっという間に眠りにおちた。



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黒木郁 私の、長文になりがちな記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。よければ、またお待ちしています。