親友になれなかった私たち
そのとき私は年長の園児で、保育園の教室にいた。
先生の机にホッチキスがあった。
それがどうしても気になり、手に取り、みごとに針で指を刺した。
いけないことをしてしまった。
だから大声で泣いたり助けを求めたりはできなかった。
だけど、血はボタボタととまらなかった。
教室には先生がいなかった。(だからそれを触れたのだ。)
「血が落ちてる!」床に連なる血痕に、クラスの男の子が大声を出した。
「なんでもない!」私は慌てて手を隠して、職員室にかけこんだ。
その職員室に、なぜか、ひぃちゃんのお母さんがいた。
ひぃちゃんの七五三の写真を、先生たちに見せていた。
ひぃちゃんは同じクラスのお友達だ。
ひぃちゃんはかわいい。かなりかわいい。幼心にそれは分かっていた。
ぱっちりとした二重。静脈が青く透けるほど白い肌。栗色の髪。瞳も少し薄い色をしていた。つやつやの細いおさげ髪、先っぽにはいつも、可愛いゴムがついていた。
そのひぃちゃんがどこかで撮ってきた台紙つきの写真を、先生たちは見ていた。
口々に「かわいいー」「さすが!」と盛り上がり、私のほうには誰も一向に気がつかない。
結局、先生のひとりが気づいてくれるまで、私は何も言いだせなかった。
ただじっと、その様子をながめていた。
◇
ひぃちゃんは保育園の女の子のなかで、ゴム飛びが一番うまかった。
そしてそれは、私たちの一番お気に入りの遊びだった。
どんなに高くなっても、細いところでも、ひぃちゃんは飛べた。
ひぃちゃんと同じチームにいるとき、ひぃちゃんは私たちの救世主になり、スターになった。
一度だけ、ゴム飛びを失敗して、そんなひぃちゃんの足を踏んでしまったことがある。
それはもう、大変なことになった。
ひぃちゃんは痛い痛いとボロボロ泣き、先生も、友達も、人という人が集まってきた。
私がいくら謝っても、ひぃちゃんは俯いて「いたい」と言うばかりだった。
これ見よがしに足を引きずって歩き、その日はゴム飛びをしなかった。
遠くから目が合うと、百年の恨みを込めたような眼でぎろりとにらまれて、私は暗澹とした。
――そんなに痛いかな、って。
上履きのゴムの上から、ちょっとだけ踏んでしまっただけだったのに、って。
ちりりと思っていたけれど、そんなこと決して、誰にも言えなかった。
◇
12月の発表会で、年長の女子はふたつのグループに分かれることになった。
背の低い子たちが、ピンクの扇子をつかったお姫様みたいな舞い踊り。
背の高い子たちが、赤いはっぴを着た太鼓の演奏。
その直前の身体測定で、ひぃちゃんと私は、身長がまったく同じだった。
背の順に並ぶとき、先生が「うーん、ひぃちゃんのほうがちょっぴり高いかなぁ?」なんて言い、私がひぃちゃんの前になった。ひぃちゃんは満足そうにニンマリしていた。
ふたつのグループの説明を聞きながら、「ピンクの扇子の舞がしたい」と私は思った。
そして背の順に並んでみると、その身長の境目が、私とひぃちゃんの間にきた…!
私は嬉しくて仕方なかった。
本当は私だって背の順はうしろがよかった。でもだからこそ、ピンクの扇子のほうに入れたのだ! ——すると先生が、私たちのほうにきて、言った。
「うーん、郁ちゃんとひぃちゃん、身長同じだったよねぇ?」
そして私とひぃちゃんの腕をとり、くるっと順番を入れ替えてしまった。
その衝撃はすさまじかった。
腹の底からくやしくて、かなしくて、泣きたくて泣きたくてたまらなかった。
いまなら、大声を出せると思う。
私だって、ピンクの扇子の舞がいい!
どうして私とひぃちゃんだけ入れ替えるの?
背の順でひぃちゃんが高いと決めたのは先生じゃない。
私よりひぃちゃんがピンクの舞が似合うから?
ひぃちゃんのお母さんが、ピンクの舞が好きそうだから?
保育園児なんて、大声で泣いて主張しても誰もおかしいと思わないだろう。
思いのたけをぶつければ、先生だって悪かったと思ってくれたかもしれない。
だけど残念ながら、私は保育園で号泣したり、大声で怒りをぶつけたりできない性分だった。
ただ口を真一文字に結んで、我慢するしかなかった。
表面張力の限界まで、目に涙がたまっていたことを、その視界の映像を、はっきりと覚えている。
もとから太鼓チームだった女の子が、「あっちがよかったよね」と慰めてくれたり、扇子を自慢してきた背の低い子に、めちゃくちゃイライラしたことまで、鮮明に。
◇
ちいさなすったもんだはありつつ家が近いこともあり、小学校にあがってすぐの頃には、よくひぃちゃんの家に遊びに行っていた。
ひぃちゃんの家は、大きな一軒家だった。
お兄さんと歳が離れていたこともあってか、ひぃちゃんにはすでに一部屋が与えられていた。
そしてそこは、全てがサンリオのキャラクター・マロンクリームで統一された空間だった。
ピンクの花柄でいっぱいの、マロンクリームの絨毯。
ベッドシーツも、枕も、学習机の上にも、椅子にさえも。もちろん文房具も、全部全部マロンクリームだった。
はじめてその部屋を見たとき、私はすっかり圧倒された。
いいなぁ、いいなぁ、と見て周り、最後、カゴいっぱいの色とりどりのヘアゴムを見せられたときには、私の羨望はピークに達した。
嫉妬だった。
七五三できれいな写真を撮ることも、ゴム飛びがうまいことも。
可愛い「女の子」のためのお部屋も、可愛い髪ゴムたちも、それらを揃えて与えてくれたのだろうあのお母さんも。
そのころは、ひぃちゃんのすべてが羨ましかった。
ひぃちゃんが1年A組で、自分はC組であることすら、羨ましかった。
ひぃちゃんとは小学1年から習いに行っていたピアノ教室も同じだったけれど、そこで渡される発表会で弾く曲ですら、いつもひぃちゃんのほうがいい曲に思えた。
3年生の頃、自分が受けたピアノのグレードの進級試験を、まだひぃちゃんが受けさせてもらっていなかったことがあった。
それを聞いたとき、私は心の底で小躍りした。
はじめてひぃちゃんに勝った!
ひぃちゃんはその後しばらくして、ピアノを辞めてしまった。
◇
私が通っていたピアノ教室はスーパーの裏手にあり、私は教室の前に、お小遣いでおやつを買い、そのベンチで食べるのが楽しみになっていた。
小学5年生くらいだっただろうか。
その日は、68円のわらびもちを買った。
いつも家族4人で分けっこするわらびもちを、ひとりで1パック食べるのが夢だったのだ。
ルンルンでスーパーを出たところで、ひぃちゃんのお母さんに呼び止められた。
「何買ったん」
ひぃちゃんのお母さんは、私が持っていた袋をガサッと開いて中身を確認すると、「ええもん買ってらっしょ」と言い捨てて立ち去って行った。
あきれたような、軽蔑するような、生意気だといいたげな、とにかくなんだかイヤな言い方だった。
夏だった。日射しがつよく、アスファルトに陽炎がうかんでいた。
なにか突然刺されたものが、棒立ちになっている自分の中に残っていた。
そのあと気を取り直してベンチに座り、わらび餅を食べたけれど、それまでの高揚感はもう、失われてしまっていた。
その前後から、ひぃちゃんによくテストの点を聞かれるようになった。
ひぃちゃんにも、おそらくその向こうにいるお母さんにも、張り合われていることには気づいていた。
私はテストの点はよかったから、なんだか複雑な気分だった。
なんだか感じが悪くてイヤなんだけど、ちょっといじわるな、イヤじゃない気持ち。
ずっとうらやんでいたひぃちゃんに、どうやらライバル視されていること。
そしてテストでは大概勝てることが、私のプライドをくすぐった。
ひぃちゃんにも意地があり、体力測定のシャトルランで、私より1回だけ多く走ってやめたり、そんなことが度々あった。
全然、たまたまですよ、って顔をしていたけれど、あれは絶対わざとだった。ひぃちゃんは絶対に、そういうことをするタイプだった。
◇
中学に入ってからはクラスが増えたこともあり、ひぃちゃんと関わることはなくなっていた。
だから二年生の冬、ひぃちゃんが不登校になったときも、何があったのかは全然わからなかったし、気づいてもいなかった。
中学なんて、みんな苦しい時期だ。
私だって、行かなくていいなら行きたくなかった。毎日死にそうになりながら登校して、薄氷を踏むように友達と話して、順番にシカトされるのがいつ回ってくるのか、ひやひやしながら生きていた。
だから、ひぃちゃんが不登校になっていると聞いても、そっかぁ、としか思わなかった。
いざとなったら頑固で思い切りのいい、ひぃちゃんらしいなとすら思っていた。
そのころ、私はよく学校帰りに買い出しにいき、晩ごはんを作っていた。
スーパーでひぃちゃんのお母さんに会ったときも、もう動じなくなっていた。
「ひぃちゃん、学校行かんっていうのよ」
マツゲンの精肉売り場の前で、お母さんは困り果てたように言った。
「郁ちゃん、朝、迎えにきてやってくれへん?」
そのお願いは、意外だった。
そしてなぜだか、私はそれを引き受けた。
つぎの日の朝、私は待ち合わせの場所にいた。
やっぱり来ないかもしれない、と思った頃に、ひぃちゃんは来た。
ひとりで、ムスッとして。
だけど同時にどこかオドオドしながら歩いてきた。
私もひぃちゃんも、何も言わなかった。
ろくに目すら合わせなかったと思う。
そのまま互いに何も言わずに、学校までの300メートルほどを、一列になって黙々と歩いた。
次の日も、その次の日も、その次の次の日も。
その無言の登校は数か月間続いた。
それはひぃちゃんにとってはもちろん、私にとっても苦行だった。
毎日毎日、何のために、こんなにぐちゃぐちゃな気持ちになるのだろうと思いながら歩いた。
私はどうしてこれをしているのだろうか。
いい子ぶりたいのだろうか。
貸しをつくりたいのだろうか。
ひぃちゃんのお母さんは、これでひぃちゃんが学校に行けば満足なのだろうか。
私がこうしていることが、何よりもひぃちゃんを傷つけているのではないのだろうか。
そのことに気づかないようなひぃちゃんのお母さんにも苛立っていたし、こんなことになってしまっているひぃちゃん自身にも苛立っていた。
そんな玉じゃないくせに。ひぃちゃんのくせに。
おとなしそうに見えるひぃちゃんのプライドの高さも、負けん気も、気の強さも、私はきっと、誰よりもよく知っていた。
現に今だって。
他の子が相手だったら、きっと、もう少し愛想を振りまくはずのひぃちゃんは、ふくれっ面をして、縮こまっているくせに意地を張りながら、私の3歩うしろを歩いてくる。
本当はきっと、何か優しい言葉をかけるべきなのだとわかっていた。
なんてことない話をして、笑わせてあげればいいのに。こんなときくらい下手に出て、おどけてみせればいいのに。
そう思いながら、その端緒も見つけられないまま、私もまた、むっつりと黙ったまま前を歩いた。
ここにきて、かつての年季の入った嫉妬たちが、私の邪魔をしてくるのだった。
可愛いくせに。大事にされているくせに。
なんでも持っているくせに。なんども自慢してきたくせに。
勝手に私のことを意識して、張り合って、仲良くするわけでもなく、でもずっとずっと、近くにいたのに。
どうしてもっと上手に助けてあげないんだろう。
明日はもっと優しくしようと思っていても、朝会うと、どうしてもむっつりしてしまう。これでいいはずがない。このままでは、私のせいで不登校にしてしまう。
毎日毎日悶々として、でも優しくすることもできず、毎朝集合場所にひぃちゃんがくると、心の内で溜息をつきながら、同時にめちゃくちゃ安心した。
そんな日々が、最後どうやって終わったのかが記憶にない。
ひぃちゃんから直接断られたのか、家に電話がきたような気もする。
どちらにせよ、最後は穏便に断られ、私は心底ほっとしつつ、心底自分がいやになった。
それからすぐに進級とクラス替えがあり、ひぃちゃんは、私のクラスよりも楽しそうなクラスになった。それは私を安心させた。そして私はまたすこし、羨ましいと思った。
◇
その後、ひぃちゃんは目立った欠席もなく中学を卒業し、地元の高校に入った。
一度だけ、高校のブレザーを着て、私の知らない友達と歩くひぃちゃんを遠目で見たことがある。
栗色の髪の毛。ぱっちりとした二重。色白の肌。
あごの右下には、青く透ける静脈があるだろう。瞳は透き通るような薄茶色だろう。
すごくリラックスした表情のひぃちゃんを見て、私はひと知れず安堵した。
隣を楽しそうに歩く知らない子を、すこしだけ羨ましく思った。
そして私は羨ましがられるよりも、ちょっと羨ましいくらいが一番気楽なのだと思った。
その思いはいまでも心のなかにある。
嫉妬されるのは寂しい。
手の届かない場所で育った厄介な感情は、相手を簡単にひとりにさせ、自分にも跳ね返る。
あれだけ活発だったひぃちゃんが、大人になるにつれてすっかり表向きは大人しくなってしまったこと。
人を固めて、押し込めてしまう嫉妬という感情を、私はいまも、やっぱりあまり好きではない。
大人になってからふと思い出し、ひぃちゃんの名前を何度か、Googleに打ち込んでしまったことがある。
ひぃちゃんにつながる何かは出てこず、それを確認するたびに、私はどちらかというとほっとする。
どこかで幸せになっていてほしい、と、思う。
離れているからこそそう思えるのだということも、わかっている。
#嫉妬祭り にすべり込み参加させていただきます! もう間に合わないかと思いました…
斉藤ナミさんの連載。ぽろっとこぼれる本音がすごくリアルで手触り感があって、じんじんきます。
いいなと思ったら応援しよう!
私の、長文になりがちな記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。よければ、またお待ちしています。