今はリスク要素ばかり!人の食に必要な肥料は、スムーズな循環システムの中で生み出されていた
江戸時代の都市と農村が編んだ、肥料三要素の完全循環
農業に欠かせない肥料の三要素—窒素(N)・リン(P)・カリウム(K)—を、現代の私たちは地球の裏側から輸入している。モロッコのリン鉱山、カナダのカリ塩鉱、中東の天然ガスから合成された窒素。その供給線がいま、地政学的リスクにさらされている。
一方で、かつての日本の都市と農村は、この三要素を外から一切買わずに循環させていた。その設計は、現代の目から見ても驚くほど精巧だった。
※窒素については以下を参照
リン—「人の排泄物」に価値がある
リンは植物の開花と実りを左右する元素だ。人体にとっては、骨や細胞の材料でもある。現代では採掘することで生み出されている鉱物資源だが、江戸時代には「下肥(しもごえ)」という、人体を経由した循環が完成していた。
下肥は、窒素・リン酸・カリウムを含む「液状複合肥料の代表格」だった。農作物を食べた人体の消化・代謝を経て、食物中のリンが排泄物に凝縮される。それを農地に戻せば、またリンを含む作物が育つ。人の体が、リンの変換装置として機能していた。
この仕組みを洗練された経済的「市場」にまで育てたのが、江戸時代の都市と農村の関係だ。江戸時代には下肥は上・中・下と3段階に分けて質が評価されており、大名や公家、富裕な町人などの下肥を確保する権利が競われていた。
理由はいたってシンプル。豊かな食事をとる人の排泄物は、タンパク質・リンを豊富に含み、肥効が高い。農民はその差を知っていた。
長屋の共同便所は大家が管理し、農民が汲み取りに支払う代価はすべて大家の収入となっていた。20〜30人ほどが住む長屋だと、その金額は年間1〜2両になったという。便所の「汲み取り権」は財産として売買され、時に投機の対象にさえなった。
街のあちこちには農民が設置した小便桶があり、江戸時代後期の記録によれば日本橋・浅草・下谷・本所・深川などに160ヶ所ほどあったという。
都市から周辺農村への輸送は、馬・荷車による陸運、あるいは舟運が一般的だった。舟運は人手をかけずに一度に大量の下肥を運ぶことができた。京都の場合だと、伏見でつくられたお酒を運河(高瀬川)を用いて洛中に運び、帰りの舟には下肥を載せ、南部の農家へ運んでいったという。リンの「都市農村間輸送インフラ」が、物流網として完成していたのだ。
近代農芸化学の父と呼ばれるドイツの化学者リービヒは、この農法を「土地をいつまでも肥えたままに保ち、生産性を人口の増加に比例して高めるのに適した比類のない優れた農法」と激賞したという。
排泄物が都市に溜まらず、即座に農村資源へと変換されていたからこそ、江戸時代日本の都市は清潔だった。
現代のリンの循環システムも同様
東京の砂町水再生センター、神戸の「こうべ再生リン」、横浜の下水汚泥リン回収施設など、現代の技術が今ようやく実現しようとしているものは、構造としてまったく同じことだ。都市に集まった「食べたものの残り」を農地に返す。江戸時代の都市と農村は、400年前にそのサイクルを日常として回していた。
カリウム—すべての有機物は最後に「灰」になる
カリウムの循環設計は、さらに深く、そして美しかった。そのポイントは「灰」だ。
江戸時代には各家庭に竈(かまど)があり、燃料は薪や藁を使っていた。それらを燃やした結果、大量の灰が出る。この灰に目をつけ、町中から灰を集めて回る「灰買い」と呼ばれる人たちがいた。灰はカリウムを豊富に含む草木灰であり、農地へのカリウム補給源として機能した。
ちなみに農作から話は脇にそれるが、灰の用途は肥料だけにとどまらなかった。灰はアルカリ成分でもあるので、その機能を人々は十分に活かしてきた。
藍染めでは、原料の藍の葉からつくった「すくも」と灰を水に浸した上澄み液(灰汁)を混ぜて発酵させ、化学反応で藍色の染料を抽出した。日本酒づくりでは、醸造したもろみに灰を加えた「灰持酒(あくもちざけ)」は奈良時代から存在し、江戸時代にさらに進化してまろやかで透明な清酒ができるようになった。
つまり、灰は肥料であり、染料の触媒であり、醸造の助剤でもあった。
そして何より驚くのは、「灰になるまでの経路」だ。江戸時代の人々は、あらゆる有機物を段階的に使い倒してから、最後に灰にしていた。その典型が着物だ。
古くなった着物は古着屋で中古品として売買されて、ユーズド着物として着られた。ボロボロになってきたら使える部分を縫い合わせて子ども用の着物に仕立てたり、襤褸(ぼろ)としてパッチワーク着物として着られた。端切れは端切れ屋に売り渡した。着物として駄目になっても、その次は子どものオムツ、下駄の鼻緒や雑巾に、さらに焚きつけとして利用した。そのかまどに最後に残る灰も、肥料や傷薬、洗剤、アク抜きとして利用された。着物には一切無駄がないといわれていた。
着物→古着→子供服→オムツ・雑巾・鼻緒→焚きつけ→灰→農地のカリウム→土壌→植物→綿・麻→着物。この一本の経路に、廃棄という概念が存在しない。
稲藁も同じ構造だ。収穫後の藁は縄・草履・俵・屋根葺きと多用途に使われ、最後は燃やして灰にした。その灰がカリウムとなって次の稲作を支え、また稲が育ち、藁が生まれる。完全に閉じたカリウムの環だ。
江戸時代の豪商・灰屋紹益は、名前が示す通り、こういった灰のリサイクルを生業として巨万の富を築いたと言われる。
江戸の街では1000に及ぶ組織が今でいうリサイクルを生業としており、焼継屋・鋳掛屋・古着屋・古鉄買い・紙屑買いなど、さまざまな職商人が活動していた。それぞれが循環の一段を担う、精密な経済社会設計だった。
ポイントは、これらの人々はサステナビリティ意識が高かったからではなく、生業として経済的に成り立ったからそうしていただけというところだ。
「ピークリン」と「カリ戦争」——失われた循環
江戸時代の都市‐農村の循環構造が解体されたのは明治以降、近代農法の普及が要因である。
化学肥料は劇的に収量を上げ、農業の生産性を飛躍させた。しかしその代償として、三要素の調達は世界の特定地域の鉱物資源に極度に依存する構造になってしまった。
現代のリンは鉱石から生み出されている。このリン鉱石はアフリカ北部のモロッコ(西サハラを含む)だけで世界埋蔵量の約71%を占め、わずか8ヶ国で97.5%を占めるという。そして質の良いリン鉱石はすでに地球規模で枯渇を始めており、「ピークリン」と呼ばれるこの危機は2030〜40年頃に顕在化すると言われている。
カリウムはカナダのみで世界埋蔵量の53%を占め、カナダ・ロシア・ベラルーシの3ヶ国)で生産量の3分の2を担う。塩化カリの販売はカナダのカンポテックス社とベラルーシのベラルシアン・ポタシュ社の2社に集約され、いまや売り手独占に近い状況にある。ロシアのウクライナ侵攻後、ベラルーシはロシアと緊密な行動をとっていることもあり、カリ肥料価格は世界的に急騰した。
そして窒素は、前回触れた通り、中東依存が激しい。
しかも、日本はさらに円安がそれに拍車をかける。戦後の日本は自動車に代表される製品の輸出によって稼いだ潤沢な資金で原油・食料、そして肥料などを購入してきたが、そういった輸出産業の弱体化やデジタル赤字など、様々な要因によって円安が進み、こういった輸入のための資金が欠乏していっているとも言える。
つまり、三要素すべての供給線が、現在様々な要因によって同時に揺らいでいるのである。
EDONOMYが問いかける現代における「循環の再設計」
整理すると、江戸時代の都市と農村が実現していたものは、三要素の完全な近郊地域内循環だったとも言える。
(もちろん国内全ての地域で完璧だったわけではないし、寄生虫の問題などもあったことは申し添えておく)
窒素は、人の体と植物(緑肥・根粒菌)という二つの経路で土に返された。リンは、食べて排泄して農地へ戻るという、人体を経由した環がつくられた。カリウムは、植物が蓄えたものをあらゆる有機物として使い倒したのち、最後に灰として凝縮され、農地へと還った。どの要素も、外から買ってくる必要がなく、資源のスムーズな循環の環を描いていた。

EDONOMYが問うのは、この関係に学び、技術も活用しながらの現代的な再設計・アップデートだ。
都市の下水処理場が農地のリン供給源になる。稲藁が最後は灰になって田んぼに還る。着物=有機物を用いた製品が最後まで使われ、その灰が畑に返る。それは懐古的に昔に還ろうというわけではなく、外部依存が機能しなくなりつつある現代への最も合理的なヒントを与えてくれる。
江戸時代の都市と農村は、何百年もかけて日本国内の自然の循環のリズムの範囲内で、その答えを磨き上げた。問題は、私たちがその設計図を読めるかどうか、そして現代にアップデートできるかどうかだ。
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