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大阪人なのに面白くない人【創作大賞2025】

 以前、こんな漫才を書きました。北海道の舞台だったので、大阪の紹介をツカミにしようと次のようなやりとりに。
 口演は、松竹芸能の漫才コンビ・なすなかにしさん。


なす「大阪は笑いの本場と言われまして」
なか「実際、大阪は漫才師が多いんです」
なす「土地柄やなあ、これ」
なか「ある調査でわかってんけど、なんと大
  阪の住民は、四人に一人が漫才師やて」
なす「え!?すごい割合よ!?四人に一人て
  多すぎへん?」
なか「あ、ちゃうわ。ごめん」
なす「そやろ、ちゃうやろ」
なか「二人に一人が漫才師」
なす「増えとるがな!住民の半分が漫才師
  て、どんな街や」
なか「あとの半分が落語家です」
なす「百パー芸人やないかい!」
なか「そやから大阪人は笑いに厳しいのよ」
なす「ああ、そうかもなあ」
なか「とにかく話にオチを求めよるんです。
  なんか言うたら『で、オチは?』て聞く
  んです」
なす「確かに。これはあります」
なか「ほんまにそうなんです」
なす「……うん」
なか「……」
なす「……」
なか「……」
なす「で、オチは~~~!?」
なか「ね?厳しいでしょ」
なす「言わすなよ」

 という内容でした。
 いつの頃からか大阪はお笑いの街というイメージが根付いていて、私も地方の徳島でいた十代の頃までは「大阪には面白い人しかいない」と信じていました。
 ところが実際に大阪で住んでみて、「そうでもない」ということに気付くのでした。
 二十代、大阪で勤めた会社にいた先輩(男性)。大阪生まれの大阪育ちと言ってたけれど、とにかく話しが面白くない。そして長い。「で、オチは~~~!?」と何度(内心)ツッコんだかしれません。 
 そのオッサンの笑いと言えば……もうそのオッサンと言って良いでしょう。そのオッサンの笑いと言えば、他人の容姿をあげつらって囃し立てるぐらい。私なんぞは「ジブン、動きがクネクネしててウナギみたいやなあ」と言われ、なぜか!!いつしか!!そいつに「ウナギ」とあだ名を付けられる羽目になったのです!!

 誰がウナギやねん。

 こんなもん、どこがおもろいねん。

 幼稚か。
 
 センス小3男子か。

 いや、小3男子に悪いがな。

 つかクネクネしてるてなんじゃい意味わからん。

 言いたいことは山ほどあったが、

 大阪人やのにこんなおもんないやつおんねんな。
  
 そう唾棄することで溜飲を下げた、平成の頭頃。

 後に、「リズム感のない黒人」が何かのネタになっていましたが、それと同じように「面白くない大阪人」という言葉も私の記憶の引き出しに仕舞い込まれました。

 時は流れて2019年の春。東京の噺家、桂右團治師匠から新作落語台本のご依頼がありました。
 ただ右團治師匠と言えば、江戸噺のきっちりした古典をされるお師匠さん。私のようなふざけたネタばっかり書いている作家で大丈夫なのか??という不安がありました。が、ご依頼文にあった
「私は神戸出身ですので、上方弁でも東京弁でも結構です」
という一文にピコンと閃いたのでした。

 普段、粋な江戸噺をされている右團治師匠が突如としてキレッキレの上方弁を喋り出したら……このギャップはえげつない。

 ならば、大阪人と東京人の攻防のような噺ができないものか。

 その時、私のことを「ウナギ」と囃し立てていたアイツが引き出しからひょっこり出て来たのです。

 『大阪人なのに面白くない人』

 おったな。

 そうだ。これをテーマにした落語にしよう。

 あの頃、あんなにムカついてた相手が、こんな風に創作のヒントになるとはな。

 人生、どんな経験も棄てるところなし。
 (My座右の銘)
 
 さて問題は、どういう人物として描くか、です。あれこれ考えた挙句、『大阪人なのに面白くない人』をストレートに描くのではなく、『大阪人は面白いと思い込んでいる人』を描こうと決めたのです。

 そしてキャラクターを練り上げていく段階で、『大阪人は面白いことが何よりの存在価値である、と思いこんでいる、東京人の偏見』が噺の柱になりました。えらい長い柱やけど。

 この噺は、大阪人にそんな偏見を持った生粋の東京人が、ある事情でとんでもなく流暢な大阪弁を喋り出すというのが大きな笑い所になっています。
 つまり、物語の登場人物のギャップを笑いにしながら、演者さんご自身のリアルなギャップをもうひとつ乗せるのです。

 これはめちゃくちゃ楽しくて強いネタになる。

 そんな予感がありました。 

 こうして新作落語『完全マスター』は生まれました。が、お気づきの方もおられるでしょう、この設定は桂文枝師匠の『大・大阪辞典』とよく似ています。
 その噺は、大阪生まれ大阪育ちの夫と銀座生まれ銀座育ちの妻が大阪に転勤することになり、妻は大阪弁を勉強するため『大・大阪辞典』を買ってきて特訓する。いよいよ大阪に行き、部長の妻から招かれたタコ焼きパーティに……というものです。
 設定、激似です。
 ただ圧倒的に違うポイントは、当作は主人公のマイ(東京生まれ東京育ちのお嬢さん)が、彼(大阪生まれ大阪育ち)のことが大好きで、彼の両親に気に入られたいという「女の子のいじらしさ」が行動の根底にあるところです。
 その一生懸命さゆえに、後半の「ちょっとマイちゃん!それ、どえらい大ボケになってまっせ!」で笑いになる……という構成になっています。
 東京のハイスペック女子がひたむきに喋る大阪弁と、粋な江戸噺で知られる演者さん(右團治師匠)が喋るキレッキレの大阪弁。この「ギャップO Nギャップ」により、笑いがパワーアップしていくという仕掛けです。
 
 人はみな偏見の中で生きています。しかし現実は、面白くない大阪人がいるように、カレーの嫌いなインド人だっているはずです。
 抱いていたイメージと真逆のアイデンティティが垣間見えた時、その人の思わぬ人間味に触れて私たちはハッとしたりグッときたりするものなのです。そうです、それが「ギャップ萌え」。その妙味は落語という表現に実によく似合うと思うのです。
 そうそう。
 この噺には「×××な京都人」や「××な秋田人」「×××な鹿児島男児」というギャップなキャラクターも参加し、盛り上げてくれています。
 新作落語『完全マスター』、機会があればぜひお聞きくださいませ。
 
 最後になりましたが、作品をスクスクと育ててくださっている桂右團治師匠に感謝申し上げます。
 先頃、こちらの会にお招きくださいました高田馬場ばばん馬さん、作家の台本を育てる会の皆様にも感謝申し上げます。

ついでに、大阪人やのにちょっともおもんなかったあのオッサンにも

礼ゆーとこか。

(了)


台本はこちらから全編お読みいただけます⬇️
冒頭の漫才で書いた「話しにオチを求める大阪人」が物語の大きな鍵に!!ぜひ⬇️

#創作大賞2025   #オールカテゴリ部門


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