あうぇあねす⑤─「私」をパソコンに例えて考えてみる─
観察瞑想気づきメモ。自己観察による私見です。
画面に映る世界
「私」は、視覚を通して、外の「世界」を見ている。
この様子をパソコンに例えると、外の世界をカメラで
撮影し、画面に映しているようなものだ。
カメラが「視覚」で、画面は「意識」。
「視覚」というカメラで、外の世界を撮影し、「意識」
という画面に映し出している。
だが、そこには、世界について、反応し、考え、アクション
を起こす「個」としての「私」はまだいない。
イメージはワイプ、思考は字幕
イメージや思考をパソコン上で表現するとどうなるか?
画面には、「私」とおぼしき肉体が映っている。
カメラ(視覚)を通して見る自分なので、首から下しか
画面(意識)には映っていない。
「私」は、ふと、昨日、会社で、上司に叱られたことを思い出す。
パソコンに例えると、上司のイメージは、「ワイプ映像」として、画面の隅に現れている。
「私」は、「あー、会社行きたくないなぁ」と考える。
画面の上には、「会社行きたくないなぁ」という「字幕」が表示される。
「私」の気分が重くなる。
画面の中が暗くなり、暗めのBGMが流れる‥‥‥
といった感じだろうか。

意識のカーソル
何か、大きな物音がすれば、そちらに「注意」が向く。
その音を「認識」「確認」「把握」しようとする。
この「注意」「認識」「確認」「把握」しようとして、
その位置に意識の矢が向かうことを、例えとして、
「意識のカーソル」と呼んでいる。
思考の変形
「意識のカーソル」は、「思考」の変形である。
材料は「思考」と同じ、意識の一部。
意識が「言語」に流れれば「思考」になり、「言語」に流れずに、
特定の対象に向かえば、「注意=意識のカーソル」になる。
この「意識のカーソル」が「思考」を指し示した時、つまり、
思考が思考を見る時、「自意識」が生まれると考える。
(不定期連載)
いいなと思ったら応援しよう!
応援お願いします!