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映画感想「ドクトル・ジバゴ」(1965制作)

 映画感想「ドクトル・ジバゴ」(1965年制作1966年日本公開)
2025.5.3  石野夏実
 
モスクワ旅行記を書いている最中に探し物をしていたら、目に留まったDVDがあり、途中下車して映画を観てしまった。
 
封を切らないで放置されていたDVDの「ドクトル・ジバゴ」(発売元ワーナーホームビデオ)が目に入り、裏を見たら2枚モノで本編の合計は200分。
 翌日から4連休に突入という解放感の2日金曜昼下がりということであるなら、夕食前に一気見できると思い、マグカップに熱いコーヒーを入れポータブルビデオプレイヤーで観ることにした。
久しぶりのビデオプレイヤーの出動である。
 
この一大叙事詩映画こそ大きなTV画面で観たかったのであるが、ひとり静かに味わいたかったので自室におとなしくコモった。
途中で居眠りすることもなく、中座することもなく、映画館のように1枚目が終わったところで5分ほど休憩を入れ、夕食準備の準備。
右良し(炊飯器)左良し(冷蔵庫)と人差し指で確かめ、プレイヤーが待つ愛用デスク(次女が置いて行った勉強机、今では私のもの)に戻った。
 
 2枚目の後半スイッチオン。
目と耳と心を十分に開いて、人生3度目の視聴ムービー「ドクトルジバゴ」を楽しんだ。
 2年ほど前に隣り町のSC内にある本屋さんで、廉価版DVDが回転棚に並べられていて、思わず衝動買いをした2本のうちの1本である。
もう1本は「アラビアのロレンス」(1962年制作、1963年に日本公開)
共にイギリスが誇る映画監督デビット・リーン(1908~1991)の作品。
 世界的に有名な監督であるが、この大作ふたつを立て続けに発表(「戦場にかける橋」1957年制作も有名)とは凄い人であるとあらためて思い、今すぐには無理ではあるけれど、もう少し他作品を観てみたい監督であるとの思いが強くなった。(※学生時代に「ライアンの娘」を観た記憶があるが、内容は全く覚えていない)
 
この「ドクトル・ジバゴ」も「アラビアのロレンス」も、なぜか好きな洋画なのである。
「アラビアのロレンス」は高校3年生の頃、近所の2番館で観たし、「ドクトル・ジバゴ」は同じ頃、封切館で観た(17歳頃だからやはり高3?)けれど、同じ監督が作ったことも知らなかった。
次に「ドクトル・ジバゴ」を観たのは高校生から半世紀後の映画の会。
当番ではなかったので3時間20分に耐え切れず集中力が欠如、居眠りを。
もういちど観たいと思いながら、やっと本日DVDで視聴完了したわけで、偶然を生かして3つの点と点と点を線で結びたい。

主題歌「ララのテーマ」は美しいバラライカの調べで画面全体を盛り上げる。
最初に聴いた時は、旋律が頭から離れずトリコになった。
 今日も食事の準備をしながら口ずさんでしまうほどの映画音楽名曲中の名曲である。
モーリス・ジャールの作曲。モーリス・ジャールはフランスのリヨン出身の映画音楽の巨匠で、数多くの映画音楽を手がけたとwikiを読んで知った次第。
 
ところでなぜロシアに行ってみたかったのかの理由のひとつに、この「ドクトル・ジバゴ」の映像が目に焼き付いていて、それは大雪原とそこを走る逞しい列車、、モスクワの街と建物、ロシア人の人となり、、などなど実際に自分の目で見てみたかったから。
 実際のロケ地はソ連の許可が下りるはずもなく、スペインの色々なところで撮影したようだ。
あとは大掛かりなセット。鉄道場面はカナダでも撮ったとのこと。フィンランドでもロケをしたそうである。
 
もうひとつの理由は、絵画のカンディンスキーや映画のタルコフスキーの作品が好きなのと彼らの書いたものを読むのも好きで、チャイコフスキーの超人的でダイナミックで幅広い音楽性も好きなのと、もちろんロシア文学は世界の最高峰であるし、彼らを育んだロシアの大地の雄大さと奥の深さ、大自然の厳しさ美しさ。北回りの飛行機から見下ろすロシアのツンドラ地帯。。
その手ごたえを実際に目で見て何かひとつでも実感したかった。
あとひとつは、ロシア料理が好きだから。。
これらのことは、モスクワ旅行記に書いていることと重複するので、このあたりで終了にして。。
 
「ドクトル・ジバゴ」は、ロシア帝国から労働者人民の国ソ連へと国の形が変革するロシア動乱革命期で、同胞同士が殺し合う悲惨すぎる内戦映画ではあるけれど、それだけではなく。。。
 
詩人であり医師でもあるユーリ・ジバゴ、彼が最初の出会いから見惚れてしまっていた美しい娘(17歳のラーラ)は、夫を探すため志願看護婦として戦地にやってきた人妻になってしまっていたラーラその人であった。
 
17歳で観た1回目は、ふたりの表情や心情を慮ることなど出来るはずもなく、「愛し合っていても結婚しているから別れて幸せになれなかったふたり」くらいにしか思うことができず、長編の原作の内容も知らなかったため話の展開について行かれないことも多くあった。
内戦と悲恋とララのテーマ、その3つで十分だった17歳の「ドクトル・ジバゴ」感であった。
 
それでもジバゴ役のオマー・シャリフは「アラビアのロレンス」出演時のかっこいい部族長と違う役柄でありながら、何十年経ても好きな俳優のひとりであり黒くて光を放つ大きな瞳は彼の一番の魅力であろう。
ユーリの思いを、オマー・シャリフがあまりにも詩人らしく真実と向き合う心で、常識にとらわれず情感豊かに、それをあの目で表現するので、今回は「不倫」について考えてしまった。
 
このところ、永野芽郁と田中圭の「不倫?」騒動で芸能ニュースは持ちきりであるが、この不倫とジバゴとラーラの不倫には、違いがあるのだろうかとか。。。
 
夫婦が正式に結婚した後に誰かを好きになり、ま、自分の心の中だけで思うくらいは自由であるが、双方の意思で恋愛関係に発展してしまった時は、結婚制度を選択し結婚相手だけを愛するという約束が破られることになり、相当の責任を負うことになる。
 
ところが文学における恋愛は、世の常識とか、人の道とか、こうあるべき姿の建前を、悩んだり、踏み外したり、飛び出したり、否定するところから始まり成り立つものである。
 
世界中の人々のおよそ半分から40%くらいは、結婚していても不倫をするそうである。
日本人は他の国に比べ少ないといわれていたが、最近は%的には増えているとのこと。
結婚する人は減っていても、結婚している人の母数で見れば増えているそうだ。
石田純一は「不倫は文化だ」と言って世間からバッシングされたけれど、正直な発言だったのかもしれない。
 
不倫する人は、何度でもするそうである。
しない人は、しないままで終わるそうである。
2種類しかいない。 確かに。。。
「ドクトル・ジバゴ」のユーリの最期は、あれでよかったのだろうか。

 

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