医シン戦争 第2話
男の子を背負った医師とイカワは広場に放った煙玉の陰に隠れながら脱出し、暗い洞窟の中を進んでいた。医師はショルダーバックに入っていたランタンに火を点け、イカワの前を進んでいく。狭く、人がやっと一人通れるほどの幅しかなく、足元も石や砂利だらけだ。
追手は来ていない。そのことを確認したイカワは医師に問うた。
イカワ「これからどこに行くんだよ」
医者「病院」
イカワ「ビョーイン?あの大罪人が住んでいるっていう?」
医療行為が行われていた場所はかつて『病院』と言われていたが、今では大罪人が身を寄せる住処であると認知されている。
イカワは未だに気を失っている男の子を見ていた。
イカワ「コイツも病院に連れていくのかよ」
医者「あの場所に行けば検査ができる。あと治療も」
イカワ「本当に元気になるのか?」
気を失うほどの怪我など、イカワが知る限りでは死なないように祈るだけしかできない。正直に言って、ここまで酷ければ助からないというのは何となく分かる。諦めるしかない運命をこのオッサンなら変えられるかもしれない。
医者「信じられないというのなら、それでいい。僕は僕が出来ることをするだけ」
間もなく狭い道を抜けて、広い空間にたどり着いた。だが、まだ洞窟の中であることは変わりはない。ランタンの光が届かないほど天井が高く、暗い。
ここに来て初めて風を感じた。空間から伸びた別の洞窟から風が流れ込んできていた。
医者「こっちに行けば病院がある。バックのポケットを開けてくれるかい?」
イカワ「おう」
イカワはバックを地面に下ろして、煙玉があったポケットとは別のポケットを開けた。そこには何枚のお札が入っている。端が折れたり、グシャグシャになっているものがあるが、ざっと数えただけで10枚以上はある。普段、見ることはない大金に目が眩む。
医者「好きなだけ持っていくといい。とは言っても、そこにあるだけしかないけど」
イカワ「は?こんな大金を?なんで?」
医者「ここでお別れ。助かったよ」
バックを開けたままイカワは医師の顔を見上げた。医師は汗だくでどう考えてもここから一人でバックと男の子を抱えて歩いていけるような状態ではない。イカワは戸惑った。
イカワ「え?は?」
医者「これ以上、巻き込む訳にはいけない」
イカワ「言っただろ。オッサン。俺には家族は居ねぇって」
イカワの母親はイカワを産んだ瞬間に大量出血で亡くなった。それは父親の方から聞かされていたのだが。
イカワ「俺の父親は5歳の時に黒い斑点だらけになった。ちょっと打っただけでも大きく腫れてよ。汗も凄かったし、熱も出して。それでも祈るしかないって」
イカワの父親も運び屋だった。イカワとよく似ていて、屈強な体つきでいつも色々な人の荷物を持ったり、届け物をしたりして金を稼いでいた。
決して裕福な生活ではなかったが、洞穴を改築し、テーブルやベッドが置けるワンルームの家を作っており満足していた。
父の後ろ姿を見て育ったイカワは幼いながらも父親の手伝いをしていたものである。
ところが、ある日。イカワが5歳になった頃だった。父親は発熱するようになり、寝込むようになった。それでも体調がいい日には届け物をしていたが、その日の夜は全身赤黒い痣だらけになっていた。痣は何日も治らず、治ったかと思えば、また痣が出来ていた。食事はどんどん細くなっていき、寝ている時間も多くなった。
どうすれば父親が治るのか。その方法を知る人も居なければ、道具も何もなく歯がゆい日が過ぎていくのを見送るだけだった。
イカワの父親は息子を心配させまいと、自分に死が迫っていようとも笑顔をし続けた。イカワの頭を撫でる柔らかく優しい感触が今でも残っている。
祈るしかない。助けられない。父親がみるみる瘦せ細って、骨と皮だけになっていく。あの感情が11年経った今でも燻っている。
イカワは人助けが好きだった。運び屋をしていたのもそういうこと。誰かの助けになれることが喜びだった。何もしてやれなかった父親の罪滅ぼしの部分もあった。
イカワは正座をして問うた。
イカワ「オッサン。教えてくれ。俺の父親の病気は『医療』で治ったか?」
見知らぬオッサンは大罪とされた『医療』で男の子を治した。もし、この世界に医療があれば父親は助かっただろうか。もし、このオッサンと出会っていれば父親は治っただろうか。
祈るだけで良かったのかと自問自答した。他にも方法があったのではないか。その答えが目の前のオッサンが持っているのではないか。
医者はイカワの問いに目を泳がせた後、歯切れが悪そうに言った。
医者「分からない」
何とも言えない返答にイカワは落ち込むが、医者の話は終わらなかった。医者「ただ心当たりはある」
イカワ「心当たりって?」
医者「調べてもないし、君のお父さんにも会ったことがないから分からないけれど、おそらくは血液に異常があったのかも」
イカワ「ケツエキ?」
医者「血のことだよ。100年前の医療技術なら抗ガン剤で何とかするんだけどね」
イカワ「こ、こうがんざい!?んだ、そりゃぁ?」
医者「僕も医シン戦争後に生まれたし、文献もその当時しかないものだから分からないんだ」
イカワは地面に座って胡坐を掻き、首を傾げる。
イカワ「分からない、分からないって。オッサンは何も知らないんだな」
医者「100年前の資料は殆ど無くなってしまったからね。分からないことは多いよ」
医者は男の子を下ろして座り込む。そして靴の中に入った砂利をジャラジャラと出していく。
医者「それに分からないものを、さも分かっているかのように喋るのはそこら辺の詐欺師と一緒。大罪人とレッテルを貼られている以上はこういうのに注意しないとね。みんなの誤解を解くためにも」
イカワは「ふーん」と言った後で石ころを1つ暗闇に放り投げた。
イカワ「オッサンは何で医者になったんだ?」
大罪人とされている職業をわざわざ選ぶのは勇気が要ること。
医者は溜息を1つ。
医者「僕には昔、妹が居たんだ。会ったのは死んでからだったけどね」
イカワ「どういうこと?」
医者「死産。母親も出産で大量に血を出して一緒に」
似たような境遇にイカワは目を丸くした。
イカワ「俺の母親と一緒だ」
医者「そうか」
イカワ「それで医者になったのか?」
医者「あの日の答え合わせをしたくてね」
イカワ「で。どうだった?」
医者「色々探した。どうすれば良かったのかと答えを探した。方法を考えた。どうやれば助かったか。で、絶望した」
絶望?イカワは聞き返した。
イカワ「医療でも助からなかった?」
医者「その逆だよ。この時代に居なくて、医療がある時代なら助かる可能性が大いにあった」
イカワ「なぁ、オッサン」
医者「オッサンじゃなくてマエカワね。僕。君の名前は?」
イカワ「イカワ。なぁ、マエカワのオッサン」
医者「オッサンは絶対に付けるんだね。……で、何?」
イカワ「俺にも医療は出来るか?」
イカワは両方の拳をペチッと合わせる。医療の道は決して優しくないだろう。どう勉強して何が起こるのか全く分からないが、気合だけは十分だった。
イカワ「人を助けたいんだ。もう死を待つのだけは嫌だ」
医者「大罪人になり、追われることになる。それに医療の道は優しくないよ。見たところ、君は教育されていない。学校とか通ったことあるかい?」
イカワ「ない」
スラム街出身のイカワには然るべき教育機関で学問を教わったことがなかった。父親と一緒に働き、その父親亡き後も生活をするために運び屋で働いてきた。仕事上、最低限の読み書きは出来たものの、それだけだ。
マエカワは真剣な眼差しで問うた。
マエカワ「おそらく君は人一倍努力しないといけない。それでもやるかい?」
イカワ「やる」
マエカワは手を差し出した。イカワもそれに応えるように手を差し出す。2人は固い握手を交わした。
マエカワは男の子を背負い直して立ち上がる。イカワも立ち上がった。
マエカワ「しばらくは君の足の方が役に立ちそうだ」
イカワ「どういうこと?」
マエカワ「全国には放置された廃病院がたくさんある。そこには辛うじて残った蔵書もあるだろうし、薬もある。まずはそこから。環境が整わないと十分に医療は出来ない」
イカワ「分かった。足なら任せろ。オッサン」
風が流れ込んでくるその先へ行こうと歩き始めた時だった。
カタンッ。カタカタッ。
金属音のような木製のような無機質の固い物同士がぶつかる様な音がした。暗い空間に響き渡る。広い空間の端にあった大岩に目が行った。
マエカワ「あ……」
マエカワの顔は真っ青になっている。その目の先にはあの大岩。その陰から小さな物体がこちらを見ていた。
イカワもよくよく目を凝らす。
イカワ「カエルの……おもちゃ?」
イカワの膝までの大きさしかないカエルの玩具が動いている。機械仕掛けなのかと思うが、その動きは滑らか。カエルはペチペチと自らの手足の吸盤を使って大岩を上っていく。
マエカワ「神(シン)だ」
イカワ「シン?」
マエカワの額には大粒の冷や汗。玩具は決して怖い形相でも、大きな物でもないのに彼の怖がり様は尋常ではない。
カエルは大岩の頂上に立った時、吸盤のある片手を高らかに天へ突きあげた。
カエル「信仰は力なり!科学は大罪なり!神(シン)を乗っ取る大罪人は処するべし!」
カエルは器用にパチン!と指を鳴らした。すると、暗闇から岩の陰からカエルの玩具がたくさん出てくる。あるカエルはシンバルを持ち、あるカエルはドラムを叩く。さながらパレードだった。
