同年8月30日(木) 大きな栗の樹の下で
住まいのベランダは半分、ドイツ語では Kastanie の木で覆われている。カスターニエはマロニエ(栃の木)なのか栗(マロン)なのか、よく分からない。辞書をみると番号を振って列記されている。昨日の夕方に、坐って見上げながら撮ったのが以下である。

紅葉が早いというべきなのか、すでにかなり葉が散っている。もう7月からどんどんと葉が落ちていた。それにしても大きな木だ。しかも幹はどっしりと風格がある。これをほぼ毎日、ほろ酔い気分で眺めてこの夏を過ごしたことになる。心なき他者とは思えない。脇の窓からも見える。木霊という言葉を思い出した。
Kastanie は英語ではchestnut。「クリスマス・ソング」という名のクリスマス・ソングがあり、作曲はジャズ歌手のメル・トーメ本人である。冒頭にchestnuts が出てくる。木でいうと mistletoe も登場する。音だけで覚えていたが、宿り木のことだった。
25年前にベルリンに来たときは10月の初めだった。すでに紅葉が始まってもいた。11月になると、巨木からの落ち葉が一晩で、停車している車も埋まるほどに落ちてくる。感嘆の息を呑んで散歩したことを思い出す。このあたりもその秋は壮観だろう。
今日は久しぶりの長い雨だ。それにしても淡々と毎日が過ぎていく。前にも書いたとおりである。日常に変化が起こらない。だから日常というのだ。しかし日本はせわしない。酷暑だと思えば、台風が襲う。天災だけではなく地震までも。まさに踏んだり蹴ったり。私たちが、目まぐるしく変わる毎日に慣らされ、さらには馴らされてしまう。なにもない日常こそが不安を誘う。こうして、いつしか変化それ自体に鈍感となり、さらには、変化しないこと、不変であるべきものにも感度を失う。
