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エッセイ「秒針は踊る、されど……」

 今日の予報も灼熱を宣告している。こんな日こそ不要な外出は避けるべきだろう。しかし一日中寝転んでいては体が鈍っていく。幸いにもわたしは朝のうちに起きることができた。時計が進めば進むほど、太陽は熱量を増して逃げ場のない光線を何ら罪のない道端に走らせる。

 動くなら今だ。

 Tシャツにハーフパンツという軽装で帽子を被り、さらに日傘にアームカバーという太陽対策を施したわたしは、アップダウンの激しい街を散歩する。そして格安トレーニングジムの門を叩いた……もとい、ジムのドアにスマホのQRコードをかざした。

 無人運営のジムの中には、いつ来てもトレーニング客はいる。ただ朝も早い時間なので客はわたしの他に一人だった。軽くストレッチをして、いつもの器具で同じようなルーティーンを繰り返す。重りを設定して15回〜20回の3セット。上半身、下半身、腹筋をまんべんなくこなす。ここの会員になって半年ほどが過ぎるが、働いているときよりも時間と運動する習慣ができたためか体が引き締まってきた。

 お金と時間を使わなければ健康な肉体を維持できないというのは、貧乏人には酷な世の中だ。きっと何かが間違っている。

 一通り運動をした後に、時計を確認した。ジムに備え付けの壁掛け時計だ。パッと見ておかしいと思った。わたしは午前9時過ぎに家を出て直接ジムに来たのに、時計の針が3時少し前を指していたのだ。

 わたしは反射的に目線を外したが、時計が止まっていると直感した。そしてその事実を確認しようともう一度時計を見た。よく見てみると時計の針は9時49分を指していた。

 見間違いだったか。

 そう思ったがやはり違和感が残る。ジムの中を見渡すと客はわたし一人になっていた。わたしは注意深く時計を見た。カチカチ動く秒針が3の数字の少し上を踊っている。ああ、だからさっき、3時少し前だと思ったのか。今見てもそうなっている。だとすれば時計は合っていそうだ。言い訳をするなら秒針がやや太すぎる。

 ん? 今見てもそうなっている?

 わたしはもう一度時計を見た。少し時間を置いてみたのに、秒針は同じ場所を指していた。カチカチと一定のリズムで震えているが、針は前に進んでいない。前にも後ろにも進まないムーンウォーク。パントマイムの名手のようにその場でステップを刻む足さばき。

 やはり時計は止まっていた。

 いつから止まっていたのだろう。我慢できなくなってスマホを取り出し、画面に表示される時計を見た。時刻は09:50。あれ、時計合ってる。ということはたった今止まったのか、もしくはちょうど12時間前に止まったということになる。

 わたしはそれからランニングマシーンの上の人となった。ここで15分間を時速9.0kmで走ることを自分に課している。これでも半年かけてこの負荷にギリギリ耐えられるくらいだから、元々体力はない。このコンベアの上ではマシンに表示されるデジタル時計の数字と向き合うしかない。5分ぐらいは気がつけば過ぎている。7,8分ぐらいで呼吸がきつくなってくる。調子がいいときはここを耐えれば10分あたりから落ち着いてきて、もうすぐ終わるという気持ちになってくる。

 落ち着いてくると、目の前にある数字が頭の奥の方に飛んでいき、わたしはあの壁掛け時計のことを考え始めた。わたしが走っている位置からは、あの時計が見えない。無人のトレーニングジム。備品の不具合は確かスマホで報せるんだったか。入り口付近にQRコードがあって、それでフォームに飛んで……、実に面倒くさい。それにわたしがやる必要もない。無人であるが故のサービスの悪さは仕方がないにしても、利用者の良心を刺してくる制度設計は実に居心地が悪い。

 目の焦点を現実に戻すと、マシンのデジタル時計は15:00を表示していた。わたしはクールダウンしてランニングマシーンを下りた。わたしはもう一度壁掛け時計を見た。10時10分を指していた。

 あれ、時計、動いてる?

 目を凝らして見ると、長針と短針はゆっくりと前に進んでいるが、秒針だけが3のちょっと上のところでずっとステップを踏んでいる。その時計は秒針だけが止まっていたのだ。

 そんなことある?

 わたしはこの事象を報告しようという思いを完全に捨て去った。「時計は動いているんですが、秒針だけが動いていないので直してください」はきっとクレームにあたるだろう。

 わたしはジムから外に出た。太陽は熱を増していた。日傘を指して坂を上りながら考える。

 秒針のとまった時計は、アナログ時計と言えるだろうか。

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