劇場のこと、祖母のこと
二月十四日は祖母の命日だった。
祖母はクリスマスに倒れて、翌年のバレンタインデーに旅立った。
隼町の国立劇場に、最初に連れていってくれたのはおそらく祖母だ。国立劇場はお堀に面した正面左手に大劇場があり、右手に小劇場がある。大劇場での歌舞伎に幾度もお供した。わたしは小さな子どもだったけれど、大人しくしていられたし歌舞伎が好きだった。きれいな赤姫の姿を一生懸命、目で追いかけた。その隣で祖母はよく寝ていた。竹本からはアルファ波誘発物質が出るのだ。ほの暗い、大きな劇場の客席で祖母は寝入り、わたしは伝統芸能というものに出会った。
幕あいになると、祖母は売店でアイス最中を買ってくれた。わたしは幼い頃から体が小さくて、普段は四角いアイス最中は半分しか食べられなかったけど、劇場では一つみんないただいた。ロビーは吹き抜けになっていて、その高い天井から球形のシャンデリアが下がる。二階席へ続く広い階段が両手にあり、鈍く光る真鍮の手摺りをつたって階段を昇ると、二階の壁には大きな絵がいくつもいくつも並んでいた。ロビー中央では鏡獅子が見栄を切る。ぐるりと衣装の裾まで垂れる白い獅子の髪。椅子も扉も黒く重厚で、漆塗りめいた静かな光沢を帯び、そこここのあかい提灯と呼応していた。品のよい日本らしい佇まい、陰翳。厚い絨毯を踏んで歩く国立劇場は、間違いなくわたしのハレの場所だった。
長じて後はその右手の小劇場に足繁く通った。きっかけは原宿で観たラフォーレ文楽で、こんなすごいもの面白いものがあるのかと驚き、感動した。文楽は東京では国立劇場の小劇場が常箱だと知って、年に何回かの公演を夢中で観た。夢中か。ほんとうにそうだった。
好きになり過ぎると、時に頃合いというものを忘れて、火の粉を被ったり冷や水を浴びせられたりもした。自業自得なのか何なのか。遺恨がある、などと嘯いてしばらくの間、文楽を観に行かなかった時期もある。
話がそれた。
祖母は歌舞伎に連れて行ってくれたけれど、特に可愛がられたというわけではない。祖父はずいぶん可愛がってくれたが、祖母との心の距離はいつも一定程度あり、親密な情愛というのとは違った。逆に言えば偽りの親さを感じたことはない。率直な人であったとも思う。それでもわたしを歌舞伎に連れていってくれたのは、わたしのことを理解していてくれたのかも知れない。
祖父がこの世を去り、祖母は一人暮らしになった。母や伯母が折に触れて通い、やがてどうした理屈でか、わたしが祖母の家に泊まって身の回りのことを手助けすることになった。美大なぞを出た人間は、そうでもさせてやれということだったのか、どうか。実際わたしはその頃アルバイトの身の上で、他の従兄弟たちは名だたる商社勤めだった。
朝7時、若いわたしには充分に早い時刻に目を覚ますと祖母はすでに起きていて、手拭いを姉様被りにして洗面所やお手洗いを掃除していた。母や伯母やわたしが暮らしの手助けをするなどと言っても、祖母には長年そうしてきた習慣や時間軸があり、それは微塵も揺るがない様子に見えた。わたしが買ってきた食材やお菓子をへええ珍しいねえと評し、下手で時間のかかる料理を残さず食べてくれたが、祖母にはむしろ迷惑なくらいであったかも知れない。
さやちゃんのお料理は、盛りつけがすごくきれい
と母や伯母に言ってくれたのだったかどうだったか。祖母の家の食器棚であまり使われずにいた器を、あれこれと選んで使うのは楽しかった。ごく短い期間、それも週に幾日かだけの共同生活。今思えば、わたしが学び、経験を増やすための時間だった。
祖母とともに散歩か買い物かに出た時の帰り道、家のすぐ脇の道で祖母は通りかかった人に
ここを曲がるとバス通りに出ますか?
と聞いていた。祖母は、方角音痴というのとは少し違って、道順や何かを一切覚えない人だった。もちろん認知機能がどうというのでもない。祖母は、とにかく筋金入りのお嬢さんだった。常に自分以外の人が身近におり、行くべきところへ伴ってくれる生活環境で育った。昔の、ほかの人々と同じように、沢山の苦労をした人だけれど、そんなところにその片鱗は残り、よく父はそれを嘆いたりもしていた。お世話になっている人のお宅も、親戚の家も何度案内しても覚えない。相手の手前、義理がわるいというのだった。
祖母が倒れたという知らせを聞いて、職場を早退したのはそれから何年後だったのか。わたしはフルタイムで働くようになっていた。泊まり込んだ日々は過去のことになり、わたしは自分で手一杯、いや、ただ自分のことだけを考えて生きていた。
おばあちゃん、ごめんね
その報せを受けて、ひとり口の中でそう呟きながら職場から駅へと歩いた。
祖母が旅立った日の晩も、予定していた文楽の公演を観に国立劇場へ行った。ともに行くはずだった母が
私は行かれないけれど、あなたは行きなさい
行きたいんでしょうから
と言ってくれた。劇場の前栽の梅が香る。舞台の上でも紅梅が咲き、傾城のお人形がその幹にもたれ、花びらがはらはらと舞った。祖母の法名には紅梅の二字が入る。あなたのことをもっと理解できればよかった。いま、思い出の国立劇場は眠ったままだ。叶うなら劇場のこと、父のこと、そして母のことを祖母と話したい。料理の腕は相変わらずだけど、少しだけ、わかるようになったこともある。心の距離を、今なら埋められる。
庭の梅は盛りを過ぎ、その後ろで白椿が咲きはじめた。二月は逃げ、心持ち春が近づく。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたサポートは災害義援金もしくはUNHCR、ユニセフにお送りします。