気がつけば国家ができてる
いろいろな意見はあろうかと思いますが、参政党の神谷さんは、率直にすごいと思います。国を憂い、大きな問題意識をもって、真剣に政治を変えようと考えられているように見受けられます。
ただ、そのやりたいことを成し遂げるために、政党を作るという時点で、いろいろな問題を抱え、その限界というものと向き合わなければならなくなるのも事実です。
例えば私自身、何度か参政党のイベントに参加したことがあります。メチャメチャ盛り上がります。
そりゃ、そうです。世の中がこんなにまでひどくなってしまって、それを何とかしようと思っている人たちが集まっているわけですから、自ずとものすごい盛り上がりになるにきまっています。
でも、ちょっとそこで気になるのです。
それらのイベントの前後では、音楽などで盛り上げる人たちがいます。彼らは、来場者の一体感を高めてくれます。それはそれでいいです。
ただ、その人たちの音楽性云々を別にして、正直、この参政党のイベントに出演することで、少なくともその分、勝手に売れてしまう人もいるだろうなぁ・・・とも思います。
もちろん、売れること自体、結構なことです。しかし、それがひとつの(小さな小さな)利権構造のようなかたちになりうることが気になります。その音楽をしている人たちが、本当のところ、どんな政治信条なのかは、正直、関係ありません。参政党に近づくことで売れていく(儲かる)という構図になるのは、どうしても避けられないことです。
実際、そのステージに上がっている人たちは、純粋に応援しているだけかもしれません。
しかし、それに目を付ける営利目的の事務所だったり、企画会社だったり・・・必ずそういう人たちはいるものです。そして、そういう人たちは、それが金になると分かれば、関係者たちを利用しようとするにきまっています。世の中、そういうものだと考えておかないといけません。
さらに、そうした金に目がくらんだ輩が、本筋の政治活動に影響を与えると、こういうことにもなってしまいます。
参政党は28日、会計事務の不正で廿日市市議を今月辞職した荻村文規氏(51)の除名処分を正式に発表した。除名は7日付。同党の神谷宗幣副代表は国会内での記者会見で、荻村氏が7月の参院選広島選挙区の選挙資金600万円を党広島支部の口座から自身の口座に移し、「少なくとも170万円を横領する意図があった」と説明した。党内調査に荻村氏は「事業で失敗した負債が残っていた」と答えたという。
「元廿日市市議、荻村文規氏の除名を発表 参政党」
2022年9月28日より引用
盛り上がっている参政党に近づけば、いろいろとオイシイ思いができてしまう側面もあるわけです。いろいろな人が集まるわけですから、金儲けのために利用してやろうなんて人が出てくるのも当然です。
「そんなの当たり前だろ?大した問題じゃないじゃないか。」
そう言われるかもしれません。
けれども、そういう人たちが入り込む余地があることで、スキャンダルだって、簡単に起こすことができるようになります。妨害工作だってありえます。金に目がくらんだ人たちは、より大きな利益を目の前にちらつかされたら、そちらになびいていってしまいます。いくらでも誘導されうるわけです。
神谷さんが自分自身を律することができたとしても、組織を構成する各個人を律することはできません。それらは各個人の問題です。
参政党が、本当に大きくなってしまったら、それを潰す側の人々も本気になります。当然、潤沢な資金と巨大な組織力で、ありとあらゆる手段がとられることでしょう。脇の甘い、あるいは金に目がくらんだ構成員(場合によっては工作員)の言動を制御することは不可能です。そこが弱点となって、組織は攻撃されることになるわけです。
組織にするということは、そういう弱みと向き合っていくことでもあります。これは組織の限界であり、結果、本来の目的を達成することができなくなることを意味します(いろんな意見があると思いますが、私はそう思って見ています)。
一方で、これからの時代にあって、社会を構成していく組織というのは、十分に鍛錬された個人が、自然発生的に集まって生まれてくると考えられます。
組織ありきで仕組みを作ってしまうと、弱い個人から突き崩されてしまいます。しかし、十分に鍛錬された個人が集まることで、そうした弱みは克服されます。
この場合、「鍛錬された個人」というのは、「目覚めた個人」と言い換えることもできます。ただし、その「目覚めた個人」は、高々「ワクチンの不条理に気付いた」とか、「世界に支配者層がいることが分かった」とか、そんなレベルのものではありません。
もっともっと深い意味で、「目覚めた個人」である必要があります。例えば、「自分教」というくらいの宗教観や死生観をもったり、宇宙の真理に到達するような「目覚め」が求められます。
「自分教」なので、自分自身が教祖様です。入信されても構いません。しかし、入信された瞬間、その人自身が「自分教」の教祖様になるだけの話です。組織にはなりません。自分が、勝手に「自分教」を開いて、自分自身が教祖様となり、自分自身が神様としての自覚を持つというだけのことです。
ここまで「目覚めた個人」だったら、それが弱みとなって、組織が突き崩されることもありません。そういう組織こそが、新しい社会を作っていくことになるでしょう・・・というよりも、そういう組織自体が、社会そのものになってくると思われます。
次の時代、社会というのは、そうした「目覚めた個人」が寄り集まって、自然と構成されていくような気がしてなりません。
国家だってそうです。組織ありきで考えるから、本末転倒な議論になってしまうのです。深い意味で「目覚めた個人」が寄り集まって、自然と生まれてきた組織が、気付いてみたら国家と呼ばれていたくらいがちょうどいいはずです。
個人的に、参政党には頑張っていただきたいと思います。しかし、それによって問題が解決され、私たちが望む社会が実現するなどと思うわけにもいきません。
私たちが望む社会は、私たち自身、個人個人が作り上げていかなければなりません。私たちひとりひとりが、「目覚めた個人」となることが先決です。
この記事のタイトル通りです。「国家の前に個人あり」です。
私たちが、きちんと「目覚めた個人」になっていったら、勝手に国家なんてものはできあがっているはずです。どこかの誰かが作った組織に頼るのではなく、そういうつもりでいきたいものです。
