人類滅亡!?どうでしょう?
noteやツイッターなどのツールは、情報発信をするためであると同時に、人と人とを繋ぐ役割もあると思います。
先日、そんな情報発信をきっかけに知り合った方と、リアルでお会いしました。その方、普段は海外にいらっしゃるため、めったにお会いすることが叶いません。しかし今回は、一時帰国されたとのことで、都内で会って、いろいろとお話をさせていただきました。
元々、個人的なメッセージもやり取りさせていただいていたので、それまでの間、いろいろと聞いていた海外での状況について、あらためてお話を伺いました。
まぁ、とにかく、大変そうです。
そして、いろいろと情報交換させていただく中で、私が行きつく結論は、「今の人類は、やはり一旦、滅亡じゃないでしょうかね?」でした。
「え?希望はないんでしょうか?」
滅亡なんて、できればしたくないです。私だって嫌です。
もちろん、違うシナリオもあるかもしれません。けど、そういう結論もアリだと思ったのでした。
だからというわけではありませんが、希望もあると思っています。
ただし、今の人類、やはりボタンの掛け違いがあったように思うのです。一旦は、リセットするしかないという視点も、あって然るべきです。
グレートリセットなどという言葉がありますが、コアのコアのコアの・・・そのまたコアにいる人間は、あの言葉の真の意味を「人類のリセット」くらいに考えているのかもしれないという気すらしています。
人類の歴史は、過ちからスタートしたとも言えます。
聖書にも、そのことが書かれています。
イブが知恵の木の実を食べてしまったことは、問題だったかもしれません。その後、二人の子供であるカインとアベルの間では、殺人が起こってしまいます。人間の本性なるものは、所詮、その程度であったということです。
そのことは、日本神話も同様です。
あまりの恐ろしさに、伊邪那岐命は逃げ出してしまいました。
自分の姿を見られた伊邪那美命は、髪を振り乱してその後を追いかけました。
黄泉の国の入口まで逃げてきた伊邪那岐命は、大きな岩でその入口をふさいでしまいました。
伊邪那美命は自分を見ないでという約束が破られたことを悔しがり、「あなたの国の人を一日千人殺してしまおう」といいました。
これに対し伊邪那岐命は、「それならば、私は一日に千五百人の人を生もう」と告げました。
それ以来、一日に多数の人が死に、より多くの人が生まれるようになったということです。
「黄泉の国」より引用
まぁ、日本神話の場合、神様の話ではあります。ただし、こうした神様の子孫として、今の人類がいると解してよいでしょう。イザナギとイザナミの諍いは、多くの人を殺すのと同時に、多くの人を産むという、両神様の競争によって、この世界が成り立っていることを示唆しています。
結局、人類はスタート時点で、いろいろと間違いだらけだったということです。なんだかんだ、誤魔化しながらここまでやってきましたが、いよいよ限界を迎えようとしているということなのではないでしょうか。
どんなに立派な建築物を作ったとしても、所詮、基礎がきちんとできていなかったら、いずれ土台から崩れ去るのは自明です。今まさに、人類はそういう崩壊のとき、清算のときを迎えているような気がしてならないのです。
だから、今の人類は一旦、滅亡ということで・・・。
けれども、それ即ち、私たちの死滅を意味するわけではないとも思っています。うん、進化しちゃいましょうって話です。
それを「神人」と呼ぶべきなのかどうかは知りません。けれども、今の人類とは違う存在に進化することは、できなくないと思うのです。
単純に物質と物質の間で、電荷の交換がなされ、それがある種のネットワークを構成していたら、そこには思考があると考えられるわけです。例えば鉱物や雪のような塊が、ひとつのところに停滞した場合、それが思考する可能性があるのではないかということです。これは地球上のみならず、宇宙空間まで含めれば、その思考する「何か」はいろんなところにあると考えられます。
このように考えていくと、宇宙空間にはそうした思考するだけの生命体がいてもおかしくないのではないかというのが、この動画における最大のポイントです。この思考するだけの生命体が、「体が必要だ」と思えば、生命の源となるタンパク質を作ったと考えるのが妥当だというのです。
私は、生物の進化が、突然変異の積み重ねによってできているとは、考え難いと思っています。
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これは他の記事でも書いたことですが、こんな風にランダムにキーボードを叩いて、それが意味を成すばかりではなく、とても素晴らしい文章になるなどということは、たとえ何十億年という歳月をかけたとしても、ありえないと考えます。ジャンクはジャンクです。
今の生物が、でたらめな突然変異の積み重ねによって、素晴らしい機能を獲得できるようになったという進化論は、都合がよすぎるような気がしてなりません。
生物の進化は、まず意思があって、そのかたちとしての物質化によってもたらされると考えた方が、より自然な説明になりえます。そのためには、そもそも「生命」なるものの定義から、考え直してもいいかもしれません。
少々、ぶっ飛んでいると思われるかもしれませんが、私たち日本人的な発想でいえば、「山も川も生きている。あらゆるものに魂が宿っている」というような八百万の神の考え方は、古来よりあるものです。そうぶっ飛んだ話でもありません。また、このように考えれば月も、地球も、太陽も・・・宇宙全体が生命体であると言うことができます。
こうした「思考するだけの生命体」のことを「神」と呼ぶこともできると思います。私はあまりそういう言い方は好きではありませんので、ここではそのようには扱いません。しかし、そう呼ぶ人がいてもおかしくないでしょう。
そう、まずは意思なのです。
「今の人類が滅亡するとしても、そのまま終わってらんない。この先、新しい人類として生き残ってやる!って思ったら、そうなっちゃうかもですよ?」
そんな話をさせていただきました。
併せて、そんな人類のリセットにあたっては、今の人類文明だって、どこまで残るのか分かりません。例えば、一旦「無」に帰したとしても、火起こしくらいはできるかもしれません。しかし、文明を再構築するとしたら、今の技術をどうやって残していくのかは、大きな課題です。
そんなところにまで話が及んだところで、その方曰く「テレパシーじゃないですか?」だって・・・すごーい!
ふふふ、そうかもですねー。進化した人類だったら、それくらいできちゃうかもしれません(笑)。
結果、なんだか止めどない話になってしまいましたが、これからの世界、いろいろと大変ながらも、私たちが生きるにあたっては、なかなかにスリルと夢と希望に満ち溢れているかもしれないという話でした。
そしてまた、こんな自由奔放な話ができるようなご縁をいただいたことに対しても、あらためて感謝です。
