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短編小説 | すべて失われる者

これ以上、何を失えば心は許されるのか。
あさひが丘駅のホームに立ち、俺は今日も探している。

電車が去るたび、残された風が頬を撫でる。
路地裏の窓、交差点の影。そしてこの駅にたどり着く。
探さずにはいられない。

あの夜を境に、俺の生活は変わった。
婿養子として迎えられ、家の姓を継ぎ、責任を背負い、義父に頭を下げる日々。妻は優しかった。優しさは時に、鉄の鎖になる。
その鎖を断ち切るように、たった一晩、俺は逃げた。

出会いは偶然だった。同じクラスのマドンナ。
ふるさとから遠く離れた駅での、偶然の再会。
これは運命だと思った。

大人になったあの人。昔は纏っていなかった気品。その瞳は月の光のようにやわらかく、それでいて確かに俺を照らした。一晩だけの約束。罪だと知りながらも、その瞬間だけは救われたと思った。

だがすべては露見した。
家を追われ、職を失い、妻の笑顔も消えた。
残ったのは、あの人にもう一度会いたいという思いだけ。

ホームを歩く人々の顔を凝視する。
彼女の顔はそこにはない。
喉の奥で言葉が渦を巻く。
「願いがもしも叶うなら、今すぐ会いたい」
それだけだ。会えさえすれば、何もいらない。

過去を忘れて生きることはできない。
俺には、この思いだけが呼吸であり、罰であり、支えだ。

電車が到着する。流れ出す人波。
俺は目を凝らす。
心臓が跳ねる。息を止める。
そこに、彼女がいる気がする。
今にも現れる気がする。

「……今日もいるよ」
自販機に寄りかかっていた高校生が、笑いながらそう言った。
俺は集中を切らさずにただ目を走らせる。

もう一度だけ。もう一度でいい。



その老人は、あさひが丘駅の名物だった。
近所の河原に住み、毎日入場券を買い、十九時から数時間、行きかう人を凝視しながら、駅構内を彷徨っている。
もうニ十年間も。

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