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ゲームの枠組みそのものを疑うような感覚

こんにちは。今日もお疲れ様です。
今日も今日とて物について語りたいです。
どうも私の問題意識はその領域を出ないみたいです。
ただ、同時代を生きている全てのものに共通している大問題な気もしています。つまり、物と言葉の関係性に関する問題はあなたの問題でもあるわけです。
いきなり知らない人にそんなこと言われても興味ないというのが本音ですよね。(初めて私の言葉を読んだ人に興味を持っていただけるように語り方も変えていかないといけないな)

でも、今日はこのまま盛大な独り言を続けさせてください。
そう、物と言葉の関係性について考えていたのでした。いつもどういうことを考えているかというと、例えば、今私の目の前にコップに入った水があります。これを水と呼ばれているものと水という言葉に分けて観るわけです。水から水という言葉を剥がすような感覚です。

今日は別の切り口で話しますけれども、水を水ではないもっと別の何かとして見た時、さっきまでの私は水を水と呼ぶことに何の疑問を持っていなかったことに気が付きます。
さっきまで水と呼んでいたが別に水と呼ばなくても良い物質Aと水という言葉をイコールで結んで認識していたことに気が付きます。
物質A=言葉
この物=言葉を同一性と私は呼んでいます。
(私の読みはそうだという話で誤読しているかもしれません)

私はどうも人間精神にある同一性を徹底的に揺さぶって破綻させたいという欲求があり、こんなnoteを始めました。

おそらくこの物の見方を万物に適用すると、仏教でいうところの空になり、物と物との境界線が流動的に溶けて動き続ける世界認識が幽玄、存在Aが観念世界における全ての言葉に接続可能性があり探索の根を広げる様子がリゾームなんじゃないかと思っています。

ここに狂気があると同時に、真善美も救いもある気がしているわけです。
科学が始まった理由もこの世界描像の中にある。

だから、みんなに必要なことだと思うけど今日もうまく説明できた気がしない。またトライさせてください。

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