ところで物について語りたいです
初めまして。斎藤一新です。
「ところで物について語りたいです」と話を始めても、突拍子もないことで驚かせてしまうと思うのですが、この物について数年間悩み続けているので、どうしてもこのまま話を続けさせてください。
というのも、この物というのは一言でいうと形而下に位置するものです。今、ここに現れているもの。それについて知りたいし考えていきたい。そのことが人の成熟にとって必要不可欠だという確信があるのですが、どうもそれについて公に馬鹿正直に語る人も頻度も少ないように感じています。いるところにはいる。文壇だったり学問の中だったり、ただどうもその語り口が文学的だったり比喩として素晴らしいものだと理解することが難しい。
物と言葉、その関係性。何が形而下で、何が形而上なのかをはっきりと社会を生きる人が理解しているという確信を私が持てれば、私が語る必要もないのですが、どうも世間の流れがそれとは逆の方向に進んでいる気がしてなりません。それほどまでに自立して生活していくことが大変なのだと思いますし、実際自分も辛いです。ただここでは泣き言はやめておきます…
物と言葉、その関係性。これもあくまでも今の自分の理解の領域を出ないのですが、それを共有するために一個例え話を持ってきました。
例えば、ビッグバン発生から地球ができて水が発生するという現象があったとして、その様子を想像していただきたいです。爆発が起きて、土の塊ができて、その上に透明な液体ができた。そんな簡単なイメージで十分です。さあ、これからこの液体の中で地球史以上初の生命体が生まれ、今にも生命史が始まろうとしている、まさにその時を切り取っていただきたい。そこ、水という塊の目の前、海のそばで私と一緒に立っている。そこで私が問いを投げかけます。
はて、人間が誕生する前だから水という言葉はない。とすると、この液体は何なのだろうか。このものは、このものとしてここにあるだけではないだろうか?そうに違いないように思えるが。
そのような疑いを抱えたまま現代に戻ってきます。蛇口を捻りコップに水を入れます。この水の在り方について考えます。やはり、ここにある水も、水という言葉以前の在り方と同じようにここにあるということに気づきます。水という言葉で表現されるよりも、もっと別の在り方でただここにある。この"ただここにある"状態のものを形而下と私は呼んでいます。
中々説明が難しいです。でも、この物の見方が世界にある思想や宗教、科学を読み解くのに重要なものだと確信しています。
だから、みんなと共有したい。
青春を捨ててずっと塾の自習室に篭って問題集を解いている。そんな過去の私の目を覚ますまで、何度でも語りかけたい。
ここに謎がある。この世界そのものの謎があるよ。
