友人の家の匂いはわかるのに、なぜ自分の家の匂いは「無臭」なのか
友人の家の玄関をまたいだ瞬間に、ふわっと鼻をくすぐる匂いがあります。
それはお洒落な柔軟剤の香りだったり、使い込まれた畳の匂いだったり、あるいはその家族特有の、名前のつかない生活の気配だったりします。
別にクンクンと鼻を鳴らして品定めをしているわけではないのですが、他人の境界線を越えたことを教えてくれる、最も原初的なアラームのようにそれはやってきます。
なのに、自分の家に帰ってきたとき、そこには驚くほど何のエスコートもありません。
鍵を開けて一歩踏み込んだ鼻の奥に広がるのは、完全なる無臭の空気です。
他人の家の玄関で、いつも少し立ち止まる
いくらお気に入りの柔軟剤を入れて洗濯しても、お洒落なルームスプレーをリビングに振り撒いても、私の部屋はあっという間に無臭の空気に塗り替えられてしまいます。
もちろん、我が家が無臭なわけはありません。
友人が遊びに来れば、そこには我が家特有の生活の匂い、例えば子供たちが持ち帰った砂の匂いや、昨日の夕飯の余韻、あるいはクローゼットの奥で静かに育つ部屋干しの湿った気配が混ざり合った何かが漂っているはずです。
ただ、その家に住む私自身だけが、自分の家の匂いに気づくことができません。
これは私の鼻が悪いわけではなく、脳が仕掛けた嗅覚の順応という生理現象のせいです。
私たちの鼻の奥には匂いを感知する受容体がありますが、同じ匂いの分子が結合し続けると、細胞レベルで信号の送信をストップしてしまうそうです。
さらに脳の一次嗅覚野である梨状皮質も、持続する匂いを背景のノイズとして認識から排除してしまいます。
なぜ脳はそんなせっかちな検閲を行うのでしょうか。
それは、新しい匂いに即座に反応するためだと考えられています。
常に漂っている安全な我が家の匂いに鼻の帯域幅を奪われていると、万が一のガス漏れや、トースターの焦げ臭さ、あるいは食べ物の腐敗臭といった、生存を脅かす新しい異臭を察知できなくなってしまいます。
つまり、我が家の匂いがわからないのは、脳がそこを完全に安全なシェルターだと認定し、リラックスしてくれている証拠なのです。
鼻の奥の静寂は、生物学的な安らぎの証明、なのかもしれません。
決して開けられない、自分宛ての秘密の手紙
そう考えると、なんとも健気な機能なのですが、一方でこのシステムは、自分の家の匂いが自分にとってだけは永遠のミステリーになることを意味しています。
世界中の誰でも嗅ぐことができるのに、自分だけが絶対に嗅ぐことができない。
それはまるで、自分宛てに書かれているのに、自分だけが読むことを許されない秘密の手紙のようです。
脳はこうして、私たちの知らないところで感覚のボリュームを勝手に調整しています。
脳は不要なノイズをカットし、必要な情報をブーストするために、常に私たちの感覚に優しい補正をかけ続けています。
それでも、自分の家の匂いをどうしても嗅いでみたくなることがあります。
この事実を知った時、私は洗いたてのハンカチを鼻にぴったりと当てて一分間呼吸し、鼻の奥に無臭の環境を作ってからハンカチを外すという、傍から見ればかなり怪しい実験を試したことがあります。
一分間の無酸素運動ならぬ無嗅覚運動のあと、そっとハンカチを外してみましたが、結果はやっぱり無臭でした。
脳の警備員の目には、私のささやかな抵抗など全く通用しませんでした。
そして私は、小指をぶつける
唯一、脳の検閲をかいくぐれる瞬間があります。
それは、旅行や帰省で数日間家を空け、久しぶりに帰ってきた最初のドアを開けた、まさに一呼吸目です。
ただいま、と呟きながら吸い込んだ空気の中に、一瞬だけ我が家の匂いが立ち上ります。
どこか懐かしく、同時に少しだけ他人の家のような、不思議な匂い。
しかし、靴を脱ぎ、荷物を置いてリビングへ進む頃には、その匂いは霧のように消え去り、いつもの無臭の空気へと戻っていきます。
おかえり、と脳の警備員が安全スタンプを押した瞬間です。
安全な我が家に戻った私は、ささっと荷物を片付けようとして、リビングのローテーブルの角に左足の小指を思いきりぶつけます。
なぜ何年も暮らしている我が家なのに、脳はあのテーブルの位置をミリ単位で誤認し続けるのでしょうか。
脳の安全センサーとは全く別系統の激痛が走り、私はただいまの声にならない悲鳴を上げます。
それでも、痛みに悶えながら、いつもの部屋を見渡すとき、私はやっぱりこの無臭の空気に満ちた我が家がとても安心できる場所のように思えてくるのです。
▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ
鼻の奥から匂いを消してしまう脳は、時に目の前にある物を視界から完全に消し去ることもあるようです。
不要な匂いを背景に沈める脳がある一方で、一度意識した特定の情報だけを急に世界から浮かび上がらせる理由について。
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