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収納グッズと、根拠のない全能感について

「これがあれば、生活が劇的に変わる気がする」

そう思って、100円ショップの便利グッズコーナーで、プラスチックの収納グッズをカゴいっぱいに詰め込む瞬間。

私たちの脳内では、すでにモデルルームのように整った部屋と、そこで整然としたデスクを前に優雅にコーヒーを飲む自分が、鮮やかな映像として再生されています。

一つ100円という手軽さも手伝って、カゴの中には、これをこう組み合わせれば完璧だという万能感に近い期待がカチャカチャと積み上がっていきます。

でも、いざ持ち帰ってみればその箱たちは中身を詰められることもなく、部屋の隅でそれ自体が片付けるべき荷物としてホコリを被り始めているわけですが・・・。

自分では人一倍、慎重で現実的な人間だと思っているつもりなのですが、整理整頓という名の理想を前にした途端、私の脳内にはなんだか全部うまくいくような、根拠のない全能感がふわりと湧いてきてしまったようです。


私たちの脳がつく、ささやかな嘘

計画の誤謬(ごびゅう)なんて、少し物々しい名前がついた心理現象があります。

ノーベル賞を獲った心理学者のダニエル・カーネマンたちが明らかにした、私たち人間の不器用な性質のことです。

人は、過去にどれだけ同じような失敗を繰り返していても、新しい計画を立てる時だけは、今回は絶対にうまくいくと、根拠もなく信じ込んでしまうというのです。

まさに、今の私です。

去年の大掃除で、張り切って買った3つのファイルボックス。結局ラベルを貼ることもなく、今はクローゼットの奥で古い雑誌の入れ物代わりになっています。

普通なら、今年も使いこなせるわけがないと学習しそうなものですが、どういうわけか私の脳はこれを不都合なデータとして無視し、自分に都合のいい物語を書き換えてしまいます。

これが、カーネマンの言う内部視点の仕業なんでしょう。

「この箱ならサイズもぴったりだ」
「今の私は片付けモードに入っている」
「週末は時間がたっぷりある」

そんな好条件ばかりをパズルのように組み合わせて、完璧な整理計画を勝手に作り上げてしまう。

一方、去年の失敗という客観的な事実は外部視点と呼ばれますが、ワクワクしている時の私たちの脳にとって、この視点は他人の家の出来事くらい遠くに追いにやられてしまうようです。

レジで財布を開く時、私はプラスチックの箱を買っているのではなく、理想の自分への予約票を手に入れているのでしょう。


オペラハウスも、収納グッズも。

とはいえ、自分を責める必要はないのかもしれない、とも思うのです。

あの世界的に有名なシドニー・オペラハウスでさえ、この脳の罠には見事にはまりました。

当初の計画では、工期は4年、予算は700万豪ドル。

それが蓋を開けてみれば、完成までに14年かかり、費用は1億豪ドルを超えてしまったといいます。

世界最高の建築家や政府の専門家たちが、何年もかけて、当時の最新の知識を駆使して立てた計画でさえ、これほどのズレが生じてしまう。

プロたちが10年も見誤るのだから、一般人である私が、クローゼットの奥行きを数センチ見誤るくらい、人類の長い歴史から見れば誤差のようなものでしょう。

私たちの脳は、現実を正しく見るよりも、明日を少しだけ楽しく夢想することに特化して進化してしまった。

そう考えると、部屋の隅で静かに積み上がっている収納ケースも、なんだか不器用な人間味の証拠のように思えてくるから不思議です。


……なんて、もっともらしい理屈を並べてはみたものの。

この真っさらな箱たちは、すでに理想の象徴ではなく、眺めるだけで胸がチクリとする「宿題」になりつつあります。

理想の自分を予約するのは、たった数百円で手に入る、一番安上がりな夢物語なのかもしれません。

ただ実際にその予約を引き取って、クローゼットの中身をすべて引きずり出すエネルギーは、今の私にはまだ少し足りないようです。

さて、そろそろ現実に戻らなければ。

理想の片付け計画を立てる前に、まずは出しっぱなしになっている子供の、左右がちぐはぐになった靴を並べ直すべきなのでしょう。

揃えたそばから、また誰かに蹴散らされるとしても。


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

家では1円の節約に励むのに、旅先では驚くほど大胆になれる。あの「せっかく」という言葉に宿る、不思議な免罪符の正体について。

理想の計画を立てるのが得意な私たちの脳ですが、休日の睡眠だけは、なぜか非協力的なようです。

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