ヴィヴァルディの春
小学校高学年の音楽鑑賞といえば、「ビバルディの春」か「ベートーベンの運命」しか記憶に残っていない。クラシックはこれしかないのかというくらいに、こればかり聴かされた、ように思う。
2つとも大嫌いだった。「ビバルディの春」、あの最初の8小節のタッタタラタッタタッタ〜ンという正しくも陽気な感じにうんざりした。「あなたたち子供は、この曲のように、快活で正しい振る舞いをなさい。」と先生に言われているようで嫌で嫌で仕方なかった。子供だからと言って皆が皆、陽気で、快活で、明るいとでも思っているのか!と言いたかった。実際、ぼくは根が暗くひねくれていた。
そうかと思えば、「ベートーベンの運命」のあの悲壮な感じはなんなのだ。出だしから悲壮感が出過ぎで、夜中に便所に起きたときに、あれがリフレインしたらチビる。なぜに、ちょうどいい加減の曲を授業で聴かせてくれなかったのか。振り幅が激しすぎるのではないのか。そう感じて、クラシックが大嫌いになった。今考えると残念の極みだ。
先日、イヤホンでSpotifyを聴きながら歩いていたら、『ザッザッザッザ、ティリリリティリリリ』というバイオリンの情熱的な音に心を掴まれた。曲名を調べようとスマホの画面を見たら「ビバルディ」とあるではないか。「冬」とあった。なぜ小学校の先生は、ビバルディを聴かせるときに「春」で止めてしまったのか、激しく腹が立った。「冬」はめちゃくちゃぼくの好みだった。そして当分、「冬」と「夏」ばかり聴いていた。
還暦を過ぎて、「ちょっと待てよ」と思い、あらためてもう一度「春・第一楽章」をちゃんと聴いてみた。今度は8小節で止めずに。もちろん主調はホ長調だが、途中でハ短調にもロ短調にも転調することに驚きを隠せなかった。「春」は快活で明るいだけではなかった。日本の初春は、よく三寒四温と言われる。実際今年も、気温が乱高下している。穏やかな陽光が射していると思ったら、午後から急に冷たい風が吹く。花粉症でくしゃみを連発して辛そうな人。春眠暁を覚えずで眠くて眠くて仕方ない人。自律神経が乱れて体調不良の人。春はこういう人が増える。陽気なだけではない。それを転調で見事に表現していた。ああ見事だ。
当たり前だが、“ヴィヴァルディ”はやはり天才だった。
偏食というのは、食べ物に限ったことではない。音楽も美術も、その他の科目もそうだ。自分が嫌だと感じるものも「食わず嫌い」を戒めて、子供の時、若い時には一度飲み込んでみるべきだ。学校の先生も親も、そうやって子供に接して欲しいと思う。だが最近は親自身が食わず嫌いなのではないかという疑念がある。先日マクドナルドで昼食を取っていたら、隣の席にお父さん、お母さん、子供の3人が座った。3人とも全く同じ関取のような体型だった。余計なお世話だが彼らの食生活を心配した、少しだけ。
嫌いなものも口にし、耳にし、触ってみたいものだ。ロサンゼルス・ドジャースのフレディ・フリーマンが雲丹の鮨を食べたように。
ぼくのように還暦を過ぎてあらためてヴィヴァルディに感激できるのは、やはり小学校の先生のおかげなのか。早死にしなくて良かったと、少し思った。
