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【小説】光が並ぶ【PANDA inori 虹 NOVELS

 20代最後に書いた小説。5分くらいで読めます。

 街路樹がライトアップされた冬の御堂筋は、それはそれは荘厳で綺麗なもので、自然と溢れるため息はわずかに白かった。
 道ゆく人は皆、一様にもの静かで、都心にいるはずなのにまるでそれを感じさせない。アメ村や道頓堀あたりのアホみたいな喧騒も、そりゃ、好きではあるけど、それに疲れると私は意味もなくキタを目指すことにした。
 大学の冬休みは短い。
 春や夏のような、途方のなさみたいなものが、冬にはない。年が変わった途端にスパッと終わりやがる。金のない大学生が、この短い休暇期間に選べるものなんて、だから、実家に帰るか帰らないかくらいのもので、就活を言い訳に後者を選んだ私は、生まれてはじめて、年を越すまでの数日と、越してからの数日をひとりきりで満喫する予定だった。お正月めいた装飾や食事を用意して、優雅に日々を生活しようと思った。思ってはいたものの、気がつけば大晦日の前日で、私は未だ、大掃除すらろくになされていない自室から逃げ出すように、目的もなく街へと繰り出したのだった。
 少し歩くと、難波神社が見えてきた。
 イルミネーションのなかに自然に溶け込む石造りの鳥居を前に、そういえば今年に入ってから、まだ一度も神社に足を運んでいないことを思い出す。
 初詣としては早いのか遅いのかわからないが、せっかくだし手だけでも合わせておくかと、気まぐれに鳥居をくぐったら、賽銭箱の前に見知った顔があった。
「あ、センパイ」
「げ、安藤」
 向こうが先に私に気づき、手に握った小さな紙袋を揺らしながら、とてとてと近づいてくる。
「センパイ、どうしたんですか、こんなところで。初詣ですか?」
 揶揄うような口ぶりで、安藤が訊いた。普段と同じ、小綺麗な古着ファッション。生産された年や誰かの評価がそのまま価値につながる古着というジャンルが私にはまるで理解できないが、そういうことを口にするといつも決まって「センパイ、だるいよ」と、妙に嬉しそうに言われる。
「偶々、寄っただけだよ。お前こそ、なんでこんなとこいるの」
「私も偶々です」
 近くで買い物したついでです、と、おそらく堀江あたりの古着屋にでも行っていたのであろう安藤が笑う。
「でもセンパイと会えたし、ラッキーでした」
 安藤は大学の後輩だ。一個下の、二年生だ。就活もゼミもない、大学生活で一番気楽な時間に、安藤はいる。あと、もうひとり、あかねさんという一個上の先輩がいて、私たち三人は学年もゼミも何一つ同じところがないのに、なぜか一緒に過ごすことが多かった。キッカケすら覚えていない。たった、一年か二年ほど過去の出来事のはずなのに。
「ねぇ、センパイ。せっかくだし、どっかで飲んでいきましょうよ」
 今年二十歳になってお酒の味を覚えると、安藤はことあるごとに私を飲みに誘うようになった。気分が乗れば付き合ったし、乗らなければ断った。安藤は素直に諦めたり、しつこく粘ったりと、そのときどきで態度を変えた。私が返す言葉も、だから、その場その場でいつも違った。
「やだよ」深く考えず、私は答える。「キタ目指してんの、私」
 答えてから、自分が年末の御堂筋を歩くというシチュエーションに、自分で思っている以上に執着していることに気づいた。
「? なんかあるんですか? 目指す理由が?」
 安藤が首をかしげ、尋ねる。
 理由を問われると何もないというのが答えの私は言葉に詰まった。
「まあ、いいですけど。じゃあ、地下鉄で梅田行って、そっちで飲みますか」
「いや……それは」
 言いかけ、止まる。
 冬のイルミネーションに心惹かれていると安藤に思われるのが、どういうわけか、私には気恥ずかしかった。
「センパイ、何も答えてくんない」
 押し黙る私に、安藤は唇をすぼめ、わざとらしく拗ねてみせる。こいつの、こういうリアクションが、私には耐え難い。
「……酒、コンビニで買ってこいよ」
「はい?」
「今日、ちょっとあったかいし。歩きながら飲もうぜ」
 結局、私にできたのは、そんな精一杯の譲歩だけだった。

   *

「わたし、今度、成人式なんですよね。行く気ないですけど。式って押し付けだから嫌いです。小四のときに半分成人式って言って、二十歳になった自分の姿を作文に書かされてからずっと嫌いなままです。十年後なんか無理やり想像させられて、たまったもんじゃないですよ。卒業式も入学式も、決められたときにやるんじゃなくて、自分がやりたいときにやらせてほしいですよね。そしたら、わたし、半分成人式とかも三十超えてからやったのに。二十歳になった自分の姿とか過去だから作文、余裕で書けたのに」
 アルコールが入ると基本、いつも喋るのは安藤だった。
 安藤が買ってきた酒は、見事にどれもアルコール度数が高く、私はそのなかでも比較的マシな角ハイをじびじびと飲みながら、安藤の話に耳を傾けていた。話す安藤の手にある缶チューハイは、すでに二缶目だった。
 ずしりと重たいコンビニ袋をぶら下げ、しばらく歩くと、船場センタービルという、道路の真下にずっと伸びた商業施設があって、一度もなかに入ったことはないけれど、私のなかでは御堂筋を歩くときのシンボルのひとつになっている。
「センパイは成人式のとき、何してました?」
 船場センタービルをくぐる横断歩道で信号待ちしていると、安藤が尋ねてきた。
「何してたって……普通に出席したけど」
「まさかぁ。……え、嘘ですよね?」
「そんな寂しい嘘つかねぇよ」
「やだ。解釈違いなんですけど」
「……お前は私にどうあってほしいわけ?」
「成人式に行かなかったことを十年くらいずっと引きずって、ウジウジしててほしかったです」
「たかが成人式に幻想持ちすぎだろ」信号が青に変わり、ふたたび歩き出す。「何やったかとかほとんど覚えてねぇよ。あ、でも、私が大学あがるときに死んじゃった中学のクラスメイトがいて、当時の担任がホールで泣きながらスピーチしてたのは覚えてるな」
「安心しました」アルコールの缶をあおり、安藤が言う。「センパイはやっぱりセンパイですね」
「……バカにしてる?」
「してないですよ。むしろ逆です。そういうことだけ、いつまでも覚えていられるのがセンパイのいいところだと思ってます」
「あぁ、はいはい。さいですか」
 適当に相槌を打ち、私もハイボールを口に含んだ。路上飲酒なんてみっともないだけだと思っていたけど、いざ試してみると、これが案外、心地よい。アルコールが身体のなかでポカポカと熱を発しているのがわかる。
 船場センタービルを抜けると、百貨店やラグジュアリーブランドの路面店がなりをひそめ、代わりにモダンな面構えのオフィスビルが姿を見せる。
 イルミネーションの灯りは、それでも途切れることなく、続いていた。
「てか、お前、その紙袋、なんなの?」
 楽しそうにお酒を飲み歩く安藤の傍らで揺れるそれが気になって尋ねると、安藤が表情をきょとん、とさせて、立ち止まった。
「センパイがそういうこと訊いてくるの、珍しいですね」
「は? そんなことねぇだろ」
「ありますよ。わたしの買い物とか、基本、無関心じゃないですか」
 そうかなぁ……? と、記憶をまさぐる。まあ、たしかに、こいつが買うものなんて古着とか値段の張るコスメとかPCパーツとかだから、あんまり興味を示したことはないかもしれない。
「え〜、どうしようかなぁ。そんなに気になるなら教えてあげちゃおうかなぁ?」
 なんだか妙にはしゃいだ様子で、安藤が紙袋を抱きしめる。
「……いや、そこまで気になってるわけじゃないから、別にいいよ」
「え、ちょっ。なんでそこで身を引いちゃうんですか!? もっと必死に聞き出そうとしてくださいよ!」
「えぇ……めんどくさ……」
「センパイが意地悪する……」ぐびり、と、缶チューハイを飲み、安藤が思いついたように視線を寄越した。「じゃあ、勝負しましょう。わたしが買ったものを当てられたらセンパイの勝ちです」
「なんだよその勝負。私にメリットねぇじゃん」
「当たったらいいものあげますよ」
「はぁ? 何くれんの」
「それは秘密ですけど」
 梅田に着くまでに答えを考えておいてくださいね、と一方的に告げて安藤が歩き出すので、私は息を吐き、あとに続く。
「てか、センパイこそ、今日は何して過ごしてたんですか?」
 ころころ話題が変わるやつだな、と呆れながら、私は答える。
「スタンダードブックストア行ったあと、そのへんの喫茶店で買った本読んでた」
「わぁ」何がおかしいのか、安藤がけたけたと笑った。「暇なんですか? 就活は?」
「……嫌なこと思い出させるなよ」
 ぶら下げるコンビニ袋が、より一層、重たさを増したような錯覚を受ける。何食わぬ顔でそこから三杯目の缶チューハイを取り出す安藤を、私は恨みがましく睨みつけた。
「四月になったら本気出すよ」
「それで間に合うもんですか?」
「合うだろ。あかねさんなんて、六月に動き始めて一ヶ月もしないうちに内定取ってたぞ」
「あの人を基準にするのは危険だと思いますけどね」
 指がかじかむのか、苦戦しながら、安藤がプルダブをあげる。
「なんやかんや、優秀じゃないですか。あかねさん」
 ……まあ、それは否定できない。
 私が留年することなくここまで来れたのも、あの人と、そしてあの人の解答が書き込まれた過去問に寄るところが大きい。
「あかねさん、忙しそうにしてるよな」
「ですねぇ。今日だって買い物誘ったのに、卒論が大詰めだとかで断られちゃいましたし」
「え、何? 今日、ふたりで出かける予定だったの?」
「あれ、もしかして嫉妬してます?」にんまりと目の端をつり上げ、安藤が覗き込むようにこちらを見つめてくる。「センパイも誘ってほしかったですか?」
「は? ちげぇし。誘われても断ってたし」
「うわ、小学生男子みたいな反応」
 本当ですか〜? と脇腹をつついてくる指を必死に払いのける。
 くそ……。こいつ、もう酔っ払ってんのか?
 ダル絡みにうんざりしながら、こんなことならさっき神社で断っておけばよかった、と後悔しても遅く、安藤は急におとなしくなったかと思えば、いきなり「お腹空きました」と言い出した。
「ねぇ、センパイ、私、ラーメン食べたいです。今すぐ」
「ガキかよ……」
「いいじゃないですか、ガキ」三杯目の缶チューハイを飲み干し、安藤が言う。「ラーメン食べられるなら私、ガキのままでいいです」
 仕方なくスマホで調べてやるものの、通りにラーメン屋はなかった。
「梅田まで我慢しろ」
「え、無理です」
「なんでだよ。ここまできたら、もうすぐじゃねぇか」
「やだやだ」安藤が腕を振り回す。「今すぐ食べたいもんラーメン。食べないと、わたし、もう一歩も歩けないもん」
 こ、こいつ……。
 煌びやかなイルミネーションの下でラーメンが食べたいと涙目で騒ぐ成人女性の姿に、私は肩を落とす。
 ちょうど、イートインスペース付きのコンビニがすぐそばにあったので、そこに入ることにした。
 他のコンビニで買った酒をぶら下げて、怒られやしないかなと思ったけど特にそんなこともなく、店員に笑顔であたためてもらった売れ残りのラーメンを私は、イートインに座る安藤の前に差し出した。
 豚骨臭い湯気を顔面に浴びながら、安藤がこちらを見上げた。
「センパイのぶんは?」
「私はいいよ」
「え、なんでですか。一緒に食べましょうよ」
「いいって。お腹空いてないし」
「なんで!」
 人の少ない店内で突然、安藤が目を見開き、叫んだ。
「わたしは、ただ、センパイと一緒にラーメン食べたかっただけなのに! なんでわかってくれないんですか? 優しくしてくれるのに、一緒に食べたかったって気持ちまでわかってほしいって気持ちからはなんで目を逸らすんですか?」
 涙目で訴える安藤に、レジに立つ店員が怪訝そうな視線を向ける。
「声でけぇよ」
「何もかもセンパイが悪いんじゃんっ!」
 たしなめるつもりが、安藤はさらに声を張り上げた。年末にコンビニで働く店員に迷惑をかけるのも忍びなく、仕方なく私は安藤の隣に腰をおろした。
「……なら、それ、ちょっとくれよ」
「へ?」
「ちょっとくらいなら一緒に食ってやる」
 安藤はしばらく逡巡するそぶりを見せたあと、俯いたまま、あげたくありません、と答えた。

     *

 ラーメンを食べたら少しは酔いも醒めたのか、コンビニの外に出るなり安藤が「すいませんでした」と謝ってきた。
「別に……いいけど」
 答えると同時に、安藤が四本目の缶チューハイをあける。
 付き合いで、私も飲みたくもないハイボールをあけた。
 あれだけ重たかったコンビニ袋も、今となってはすっかり軽い。
 そのまま、しばらくふたり、ライトに照らされ酒を飲むだけの無言の時間を歩いていると、淀屋橋という看板の文字と、その下に続く地下への階段が見えてきた。
 そこから先がイルミネーションのフィナーレだった。あたり一面、ライトアップされた街並みに、思わず私は息を呑む。
 等間隔に並ぶ電灯の光は橋の下を流れる大きな川にまでおよび、まわりのビルや上を走る車の光源も相まって、水面はきらきらと、とんでもない量の光を反射させていた。
「……綺麗」
 瞳のなかに光を吸い込み、橋の下を覗き込むようにして、安藤がつぶやいた。
「意外。お前でもそういうこと思うのな」
「……どういう意味ですか」じと、と、安藤がこちらを睨みつける。「思いますよ。綺麗なものはいつまでも見つめていたいし、たのしい瞬間はどこまでも続いてほしいし、好きな人やものは誰に反対されても独占したい。当たり前じゃないですか。センパイにはそういうのないんですか?」
「どうだろう」私は考え、考えてしまっている限りは安藤の望むものを返せはしないのだろうと思った。「私には時間に逆らうだけの気概がないのかもな」
「小心者なんですよ」橋の下に視線を戻し、安藤が吐き捨てる。「わたしはフリでもいいからそれをしたいと思いますよ。この川だって、流れる水はこうしている今も刻々と変化して同じ水はもう二度と戻っては来ないけど、暗闇のなかで綺麗な光を反射させているあいだはそれを感じさせないじゃないですか。永遠なんてないけど、あるように見せることはできるはずじゃないですか。それをしたいと思うことが愛だったり祈りだったりするんじゃないんですか?」
「お前が正しいよ」
 私はその場にしゃがみ込み、そう答えた。流石に歩き疲れて、足がもう限界だった。コンビニ袋から、最後の缶チューハイを取り出し、一口、飲むと、ようやく酔いがまわってきて、なんだか色々なことがどうでもよくなった。今すぐアパートの自分の部屋に帰って眠りたかった。眠っているあいだに年が変わってしまえばいいなと思った。
「きっと、いつだってお前が正しいんだ」
「……センパイのそういうところは、本当に嫌いです」
 安藤が私を見下ろし、そう、つぶやく。
「答えは出ましたか?」何を、と聞き返す前に、安藤が小さな紙袋を揺らした。「これが何なのか」
 その問いに、ここだ、と、私は確信する。
 ここが分岐点なのだ。
 ここで間違えれば私は大切なものを失うし、もしかすると、それはもう二度と戻ってこないかもしれないのだ。
「……すまん」
 それでも、わかっているはずの答えを、私は選ぶことができなかった。
「そうですか」
 醒めた声が、頭上から降り注ぐ。
 私はそれを、逃げ出すこともせず、ただ、受け止めた。
 次に告げられるきっと決定的な言葉が、鼓膜を揺さぶる瞬間を待った。
 しかし、そのときは、どれだけ待っても訪れはしなかった。
「わかってましたけどね」
 代わりに聞こえてきたのは、安藤のため息だった。
「センパイがそういう人だってのは」見上げる先で、安藤が唇を尖らせる。「わかってるんです。センパイが何を願い、フリを続けるのかも」
 そう言って、小さな紙袋を人差し指で弾いた。
「センパイの誕生日プレゼントです」
「……は?」
「朝起きたら急にセンパイの誕生日を祝いたくなって、色々なお店を見てまわって見繕った素敵なプレゼントだったんですよ、これ」
「……いや、私の誕生日、めっちゃ先なんだけど?」
「知ってますよ」安藤が照れくさそうに頬を掻く。「でも、そうしたいと思っちゃったんですから、仕方ないじゃないですか」
 何歳の誕生日祝うとかも決めてませんでしたし、と、安藤が付け足した。
「無茶苦茶すぎる……。覚えのない誕生日を祝われるほうの身にもなれよ。準備なんかできてねぇよ」
「じゃあ、準備しといてください」
 安藤が平然と言って、私の隣に腰をおろした。
 目と目が、およそ同じ高さで揃い、たっぷり光を吸ったあとの瞳は綺麗だった。
 この瞳に、はたして自分の姿はどのように映っているのだろうと想像した。
「センパイが三十歳になったらセンパイの十歳の誕生日を祝いながら、ふたりで二十歳になった自分の姿を作文に書きましょう。全部やるんです。そのときにこのプレゼントも渡してあげます。だから、それまでなるべくたのしい思い出をつくったりしましょうよ。たまに喧嘩して疎遠になったりもしましょうよ。五、六年くらいであれば、わたし、待てますし。待てなくなったら迎えに行きますから」
「……なんだよそれ」安藤の提案に、思わず私は吹き出す。「随分、先の長い話だな」
「大丈夫ですよ」
 安藤は、だけど、静かに目を細め、そして、そっと私の手を取った。
「きっと、センパイはいつまでも覚えていてくれます」
 信じてますから、と言った彼女に、あのとき、はたしてどんな言葉を返したのか、それだけが、どうしても思い出せなかった。
 あれから、短いと切り捨てるにはあまりにも長すぎ、長いとぼやくにはとてもじゃないが短すぎる、そんな、たしかな時間が流れた。
 そのあいだにも多くの出会いがあり、それ以上の別れもあり、経験したこととしなかったことがあり、忘れられないことや覚えておきたかったことがあった。果たせた願いと果たせなかった祈りがあり、そのたび、狭まっていく可能性選択肢に泣きじゃくったり、諦めて受け入れたり、その場その場で態度を変えて、だけど変わらずに後悔だけはしてきた。もう二度と戻らないものもあった。戻ってこなくて結果的によかったものもあれば、戻ってきてほしいと今でも思うものもあった。こんな瞬間が終わらないでほしいと感じる心といつもクソだと吐き捨てる唾は常にセットだった。軽んじられる自分と期待される自分はいつだってあべこべだった。何もかもを否定せずに抱きしめていたいけど、否定したい気持ちはどうしても消し去ることができなかった。センチメンタルは過ぎれば必ず嘘で、言うべきではない言葉、間違った言葉だけが最後まで残った。
 私は明日、三十歳の誕生日を迎える。
 プレゼントの中身は未だ、見当もつかない。

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いとうくん いとうくんのお洋服代になります。