わたしと「なんのはなしですか」の話
わたしはたぶん、本来「なんのはなしですか」と叫びながら路地裏を歩く性格の人間ではありません。
普通に全ての物事に意味とか見出そうとします。
が、それでも時々路地裏の門を叩いたり、忍び込んだりして「なんのはなしですか」と叫んでいるのは、わたしが「なんのはなしですか」のおかげで、躁鬱の鬱期もnoteを続けられるようになったからです。
初めて書いた「#なんのはなしですか」はこれです。
これが初めての「#なんのはなしですか」参加であり、連続投稿を始めてから初めてのエッセイでした。
わたしは2月19日から連続投稿を始めたんですが、その日から鬱期に入る3月9日まで、エッセイや日記のような文章を投稿したことがありませんでした。
「一生書きたい」をコンセプトとして、一生書くために役に立ちそうな記事を共有する。
それが、わたしがnoteでやりたいことだと思っていました。
それは今も変わっていないんですけど、鬱期に入って、そういった記事を毎日投稿することが難しくなりました。
その時わたしを救ってくれたのが、フォロワーさんの励ましと、もう一つ……「#なんのはなしですか」電子書籍化プロジェクトの噂。
……だったと思います。記憶曖昧ですみません。
その時路地裏の門が開いていたとかではないんですよ。なんか風の噂で「#なんのはなしですか」という何かが存在する、ということを知ったんです。
その文化を作ったコニシ木の子さんの記事を読んだら、ひと息では歩き切れないほどの壮大な地図(軌跡)が描かれていました。
気付いたらコニシ木の子さんと「#なんのはなしですか」が大好きになっていました。
そして3月18日、先述のエッセイを書きました。
ちなみに2回目、3回目の参加はこちら。
そこで冒頭の話に戻るんですけど、わたし本来「#なんのはなしですか」と叫ぶには不向きな人間なんですよ。なんかいい話しようとしてしまう。
いい話を書こうとしていい話を書ければ苦労しないので、わたしの話が別にいい話ではないという点には目をつむってほしいのですが、なんかいい話しようとしてるっぽいでしょ。タイトル的にも。
そんな話に「#なんのはなしですか」タグをつける。……路地裏ってそういう文化なんだっけ? わたしちゃんと歩けてる?
ってたまに思いますが、たぶんいいんです。よね? 路地裏の道は歩いた人のぶんだけあるはず……。
そういうわけですから、ここがわたしの歩きたい路地裏だ……! と石畳(イメージ)を踏み締めて、毎回元気よく「#なんのはなしですか」と叫んでいます。
今も鬱期です。鬱期にゆるやか〜な記事を書くたび、わたしと「#なんのはなしですか」との出会いを思い出します。いつもありがとうございます。
オチがないので、このタグで締めさせてください。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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