3歳息子、「ママは素敵だからお花になれば?」と言う。
周りの大人からそう聞かれることが増えたのだろうか、息子が突然「ママは大きくなったら何になりたいの?」と聞いてきた。
「そーだなぁ、ママは大きくなったら……」と答えながら、脳内はぐるぐると回っていた。今(33歳)より「大きく」なったら……今より年を重ねた自分を想像してみる。こうなりたい、みたいなぼんやりした像はあるけれど、私は「何になりたい」のだろうか……。
逡巡したまま答えられないでいると、彼は大きな目をくりくりと動かして「ママはとってもステキなヒトだから……お花になるのはどう?」と言ったのだった。
その言葉の美しさと優しさに一瞬胸を突かれ、私は声が出せなかった。
すぐに「いいね。じゃあお花になろうかな」と答えた。とてもびっくりした。
ところで、たびたび書いていることだが、私には夫に「愛の言葉」を要求する悪癖がある。夫は自分の言葉を口にするのが苦手なので、ついしつこくほじくり返してしまうのだ。
先日も、嫌がる夫に「私のどこが好きなん?具体例を2、3挙げてくれないかなぁ」などと、まるでchatGTPにプロンプトするみたいに尋ねまくった。夫はしかめ面をしながら「どこが好きかなんて、そんな段階はとっくに超えてるよ」などと言う。
「私は空気みたいな存在ってこと!?」と問い詰めると(読者の方には申し訳ないが、どうかもう少し読んでください)、優しい夫はたどたどしくも、私の好きなところをいくつか挙げてくれた。
いわく、
・突拍子もない発言や行動をすること
・息子と小競り合いをしている様子
・感情が温かいところ
それと、
・ふとしたときに「おれのことを好きでいてくれるんだなぁ」と感じられるところ
だそうだ(もう少し。もう少し我慢してください)。
それを聞いた私は「あ。この人、私が『頑張ってない』ときを愛してくれてるんだな」と気づいたのだった。
✎✎✎
自分の好きなところはどこ?と聞かれたら、私は迷わず「頑張り屋なところ」と答えるだろう。
それは、どうあっても頑張ってしまう自分への正当化なのだ。
「頑張ってる」自分に価値があると認めてあげないと、色々なものが足元からガラガラと崩れていってしまいそうな怖さがある。
しかし、私が最も愛するふたりの男は、「頑張ってない私」を愛してくれ、「ママはステキなヒト」と言ってくれる。それだけではなく、美しい「お花」になれるチャンスもあるらしい。
息子よ、あなたがステキに育ってくれているおかげで、パパがありのままのママを愛してくれるおかげで、ママはお花になれるんだよ。
いや、むしろもうなれているよ。私たちさんにんで、花束になれているよ。
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