社交ダンスを始めた頃③
練習会で教わったこと
東京に出てから、私にとって大きな経験の一つが「練習会」でした。
当時は、2つの教室のスタッフが集まり、定期的に練習会をしていました。
スタジオは20坪ほど。
そこに5カップルくらいと、シングルが1人。
決して広くはない空間で、みんな同じ先生に習っているメンバー。
とにかく運動量が多く、それでもお互いを上手く避けながら踊っていました。
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練習会が始まるのは、夜の10時。
終わる時間は決まっていません。
早く終わっても夜中の1時。
遅い時は2時半くらいになることもありました。
しかも――
なぜか音楽は、ほぼワルツ
体感で90%くらいがワルツで、残り10%が他の種目。
なぜそんなにワルツばかりだったのか、今でもよく分かりません。
兎に角、ずっーとワルツの曲が流れてました。
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帰れない
ただ一つ、はっきりしていたことがあります。
一番下っ端の私たちは、先輩たちが「帰る」と言うまでは帰れない。
先に帰るなんて、とんでもない。
だから最後まで踊り続けていました。
今思うと、あの時間を過ごすことで
よく分からない根性がついた気がします(笑)
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態度
当時は、モダン(今で言うスタンダード)とラテンの両方をやるのが当たり前の時代でした。
私たちも両部門をやっていました。
ラテンは、同じスタジオの先輩でA級・セミファイナリストの先生に習っていました。
ノービス戦に向けて、基礎から徹底的に。
その先生は現役でファイナルを目指していたこともあり、教える時の熱量もとても高かったです。
ある日の練習会。
いつも通り、スタンダードから始まりました。
ラテンの試合が近かったので、本当はラテンの練習をしたい。
でもそんなことは言えない空気。
ラテンの先生が一言、
「このモダンが終わったら、ちょっとラテンを合わせてみよう」
「よかった、ラテンができる」
そう思っていました。
……が。
スタンダードの練習会が、終わらない。
気づけば時間は夜中の2時近く。
すでに身体はヘトヘトでした。
「このままラテンは無くなるかな…」
そう思ったのですが、
甘かったです。
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疲れ切った状態で、ラテンのレッスンが始まりました。
正直、気持ちはあまり乗っていなかったと思います。
少し不貞腐れたような踊りになっていたかもしれません。
すると――
音楽が流れ続ける。
当時はレコードプレイヤー。
針を持ち上げて、また戻す。
それを何度も、何度も。
しかも無言で。
音楽は止まらない。
こちらの気持ちは、さらに不貞腐れる。
でも音楽は止まらない。
そしてある瞬間、音楽が止まりました。
コーチャーの一言。
「やる気を出せ!」
「疲れても疲れた素振りを見せるな!」
「嘘でもやる気があるように見せろ!」
「そうでなければ、音楽はエンドレスでかける!」
その瞬間、
「あ、そういうことか」
と理解しました。
そこからは、嘘でもいいからやる気溢れる表情と共に全力で。
身体は疲れているのに、気持ちを変えた瞬間、
身体が動き始めました。
不思議です。
でもこの時、
「気持ち」と「態度」で身体は変わる
ということを、はっきりと体感しました。
※ちなみにこの時のラテンのレッスン終了時間は朝の4時くらいになってました 笑笑
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笑顔
その後、ノービスから昇級し、サンバの新しい振り付けで競技会に出場した時のことです。
踊っている最中、
なぜか鼻血が出てきました。
「やばい…」
衣装も汚れるし、顔も大変なことになる。
でも踊りの途中でできることは一つ。
鼻を啜ることだけ。
しかも次はスピン。
回りながら、必死に啜る。
とにかく啜る。
そのおかげで、なんとか踊り切ることができました。
フロアを出てすぐにティッシュで応急処置。
無事に止まり、次の出番を待っていました。
そこへ、ラテンのコーチャーが来て一言。
「踊りはいい。もっと笑え。顔が悪い」
「あ…途中で鼻血が出まして…」
「鼻血?関係ない」
「どんな状況でも笑うんだよ」
「えぇっ…」
(心の叫び)
「でも血だらけになります…」
「関係ない。笑え」
「あっ、はい…」
完全に撃沈でした(笑)
でも、その甲斐あって競技会の成績は良かったです。
今振り返ると、
- 態度
- 気持ち
- 表現(顔)
すべてが踊りに影響するということを、この時に教わりました。
そしてそれは、
どんな状況でも変わらないということも。
練習会は大変でしたが、
あの時間があったからこそ身についたものは、今でも確実に残っています。
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こうして振り返ると、あの頃はただ必死でしたが、
気がつけば競技ダンスの世界の中に入っていました。
ここから、私の競技ダンス人生が少しずつ始まっていきます。
