私が社交ダンスを始めた頃①
私が社交ダンスを始めた頃、ダンス教室にはまだ風営法の時代の名残がありました。
昔のダンスホール文化の影響もあり、「男女が踊る場所」というイメージの中にダンス教室も含まれていた頃です。
そのため、お酒を置いている教室もありました。
私が見習いとして入った教室でもカクテルを出していて、当時18歳だった私はシェーカーを振ってお客様にお酒を出していました。
ただこれは普段からお酒を提供していたわけではなく、
金曜日と土曜日の夕方にダンスタイムがあり、その時間が小さなダンスホールのような場になっていたためでした。
その時間は、お教室の生徒さんだけでなく、一般のダンス愛好者の方も踊りに来ていました。
今思うと、なかなか不思議で面白い時代だったのかもしれません。
私が社交ダンスを生業にしようと決めたはずでしたがまだ半信半疑でした。
でもダンスを楽しむこの雰囲気を感じた時に、
なんとなく私はこれを仕事としてやって行くんだろうなぁと感じていました。
そう感じた理由はとてもシンプルでした。
踊ることが好きだったから。
そうして私は、地方の小さなダンス教室で見習いとしてスタートすることになりました。
私が教わったこと、経験したこと(見習い編)
〜初めての社交ダンス教室での出来事〜
ダンスは楽しい💃
金曜日と土曜日の夕方になると、
教室はダンスタイムとして開放されていました。
ダンス教室からのお相手の先生は
男性2名、女性1名、そして見習いの私。
合計4人ほどのスタッフでした。
フロアは20坪ほどの小さな教室。
今思うとかなり狭かったと思います。
それでもダンスタイムになると人が集まり、教室は小さなダンスホールのような雰囲気になりました。
フロアはいつもいっぱいで、踊る場所を探しながら皆で譲り合って踊っていました。
そこでは、プロの先生とも普通に踊ることができました。
もちろん追加料金などはなく、自然にフロアで踊るという感じです。
そしてアマチュア同士でも自由に踊っていました。
そこには「プロだから」「アマだから」という区別はあまりなく、
とにかくみんなでダンスを楽しむ空間でした。
レッスンで習ったことを試してみたり、
経験のある方が初心者の方と踊ってくれたり。
そうやって踊るうちに自然と交流が生まれ、
ダンスの楽しさを体で覚えていく。
今思うと、あのダンスタイムは
「ダンスが楽しい💃✨」ということを体で理解できる場所
だったのだと思います。
「壁の花」を作らない🌷
先生からよく言われていた言葉があります。
「壁の花を作らないように。」
つまり、女性が座ったままで踊れない時間をできるだけ作らないように、ということです。
そのため、男性の生徒さんたちは常に女性を誘って踊っていました。
1曲踊り終わると、自然にまた別の人が誘う。
特に順番や列があるわけではなく、フロアのあちこちで「踊りませんか?」という声がかかります。
今思うと、その頃は男性の方が多かったような気がします。
初心者も、経験のある方も、プロの先生も、そして見習いの私も。
みんなが入り混じって踊っていました。
ハマジル🕺
まだ初心者で踊れない私とも、お客様はよく踊ってくれました。
「やったことないです」と言うと、
「大丈夫、俺が踊らせてやるから。ついてくれば大丈夫(笑)」
そう言ってジルバを踊ってくれました。
そして
「もっと速いジルバがあるんだよ」と言って踊ってくれたのがハマジルというもの。
どうも「横浜ジルバ」を略して「浜ジル」になったらしいです。
※諸説あるかもしれません。
踊れない時にこうして踊ってもらえた経験が、
私がダンスを本当に楽しめるようになるきっかけになりました。
同時に、人によってリードが全く違うことも知りました。
いろいろなリードを受けて踊ることは、とても大きな経験でした。
男性は大変😱
「男性はリードや方向の選択があるから、ダンスを習得するのに女性の2〜3倍時間がかかる」
そんな話を当時聞いたことがあります。
その頃は
「さすがにそれは大袈裟では?」と思っていました。
でも、ダンスに深く関わるようになるにつれて、その意味が少しずつ分かってきました。
男性は
・方向を決める
・ステップを選ぶ
・それを相手に伝える
全部やらなければいけません。
改めて思うと、
男性は大変だなぁ…
(この頃は完全に他人事でした)
素直な気持ちを忘れない😇
ある時、事情があり突然アマチュア選手の臨時パートナーを務めることになりました。
当時の私はベーシックのワルツとルンバしか踊ったことがなく、
いきなりスローフォックストロットやサンバ、ルンバのバリエーションをやることになりました。
今でも覚えているのが、ルンバのあるステップです。
女性が男性の足元で片足の状態でしゃがみ、
そこで男性の右手を取り、リードを受けて回るというもの。
今考えても、なかなか高度なステップだったと思います。
当時は理論も理屈も分かりませんでした。
ただ、できるまでひたすら回り続けていました。
無心で。
最終的にはそのステップは外されたのですが、その時先生が言いました。
「その気持ちを忘れないでね。」
大人になると知識や理屈が増えていきます。
でもそれが時々、無心で体感することの邪魔をしてしまう。
だから
無心でやるその気持ちを忘れないでほしい。
そういう意味だったのだと思います。
タンゴのシャッセ🍀
タンゴのシャッセは足を揃えなくても良い。
理由。
膝がぶつかるから。
シンプルでした(笑)
実際そうなっちゃった。
音楽と種目のライト💡
教室で行うダンスタイムで一つよく覚えているものがあります。
音楽がかかると、壁にあるライトが光る装置がありました。
そこには
ワルツ
タンゴ
ルンバ
ジルバ
など、ダンスの種目の名前が書かれていて、
流れている音楽に合わせてその種目のところが光るのです。
つまり
「今の曲はこのダンスで踊れますよ」
と初心者にも分かる仕組みでした。
今思うと、とても親切な装置だったと思います。
先生という立ち位置🧑🏫
私が見習いをしていたスタジオの先生は、全く「先生ぶらない」先生でした。
先生自身、毎月仙台までダンスを習いに行っていました。
そしてそれを「教える」というよりも、
何を勉強してきたかを皆で共有するという感じでした。
ラテンの世界チャンピオンのビデオを見ながら、
「これはどうなっているんだろう?」
と皆で一緒に考える。
そんな時間がよくありました。
レッスンが終わる頃には必ず笑いがあり、
レッスンが終わってからも教室では笑いが絶えませんでした。
踊り、笑い、コミュニケーションの輪ができる。
今振り返ると、
ちゃんと社交ダンス教室だったなと思います。
………….
この教室にいたのは約8ヶ月半。
決して長い時間ではありませんでしたが、
私の社交ダンスの最初の出会いがこの教室だったことを、とても良かったと思っています。
この後また縁があり、
東京でパートナーを探している人がいるという話が舞い込み、私は上京することになります。
