見出し画像

薬膳cafe五花 5月:日替わり定食 #7

まえがき
創作ショートストーリーです。
東京の下町にある”薬膳カフェ五花”いつかを舞台に、毎月ひとつ、小さな物語を綴っています。
5月の主役は、上京して間もない男子学生。不安とホームシックのなかで、このカフェの“定食”とささやかな気遣いが、少しずつ彼の心を解いていきます。



5月 今日の定食

ほっとしたくて、また来た。
アパートから歩いて5分。東京での暮らしを始めたその日に、母と一緒に訪れたこのカフェ。
あれから、毎週一度のご褒美として、自分にここへ来ることを許している。

「薬膳」のことはよくわからないけど、料理は美味しいし、何より居心地がいい。
今月から夜の営業も始まって、ますます通いやすくなった。

「ちゃんと栄養のあるもん食べられぇよ」
耳に残る、岡山の母の声。

──あぁ、母さんのハンバーグが食べたい。
最近、少しホームシック気味なのだ。

𓂃◌𓈒𓐍

店に入ると、ちょうど先客が帰ったばかりで、僕ひとりだけだった。
カウンター席に座り、「今日の定食」を注文する。
店のおばさんは、干渉してこない。
でも、冷たくもない。 
今の僕には、その距離感がちょうどいい。

東京に来て、まだ一ヶ月半。友達もいないまま、日々が過ぎていく。

前に来たとき、帰り際に「新しい生活、慣れてきましたか?」と聞かれて、ちょっと驚いた。
どうして知ってるんだ、と一瞬身構えたけど、思い出した。
母が最初に来たときに、
「息子が近くで一人暮らしを始めるんです。お世話になります」
そう話していたのだった。

「あんまり慣れてないです」と答えると、おばさんは微笑んで言った。
「わかりますよ。私も二年前に東京に出てきたんです。大人になってからでも、ホームシックになるものですね。でもこの辺、慣れてくると人情味があって、良いところなんですよ」

学生寮ではなく、一人暮らしを選んだのは自分だ。
きっと、少しずつ、慣れていける。
そう信じたい。

𓂃 𓈒𓏸

「お待たせしました」

日替わり定食

運ばれてきたお盆の上には、湯気を立てる味噌汁とご飯、彩り豊かな定食が並んでいた。

「メインは豚肉のソテーです。大根おろしと山査子しょうゆでどうぞ」
手を合わせて、小さく「いただきます」とつぶやく。
実家では、祖母や家族みんなで「いただきます」と言っていたっけ。
そんな食卓が、ちょっと恋しい。

豚ロースは塩こしょうでシンプルにソテーされ、横にはブロッコリーとにんじんのソテーも添えられている。
大根おろしに山査子(さんざし)しょうゆをかけて、肉の上にのせて口へ運ぶと──
甘酸っぱくてさっぱりしていて、なんだかほっとする味だった。

小鉢には、筍とお揚げの煮物。
小皿の海苔の佃煮は、ご飯がどんどん進んでしまう美味しさ。
もち麦入りのご飯は、ぷちぷちして香りもよく、味噌汁にはトマトと卵が入っていた。
「ご飯のおかわり、いかがですか?」
カウンター越しに声をかけられ、「あ、じゃあ半分だけ……」とお願いすると、「はい〜! よろこんで〜!」と、おばさんが急に高めの声でおどけて見せた。
──や、やすこ?
一瞬びっくりして顔を見ると、にこっと笑っていて、僕もつい吹き出してしまった。

𓂃 𓈒𓏸
ふぅ。お腹も心も、満たされた。
帰ろうとお会計を済ませると、
「あっ、ちょっと待っててくださいね」
そう言っておばさんは一度レジを離れ、何かを手に戻ってきた。
五花いつかって、名前の通りお花屋さんで薔薇を五本買ったら、一輪サービスしてくれたんです。よかったらどうぞ。青い薔薇、素敵でしょう?」

差し出されたのは、きれいな青い薔薇だった。
「えっ……まじですか?花瓶ないけど、なんか探して飾ってみます」
「はーい。お花があると、気持ちが少し明るくなりますよ」
「ありがとうございます」
「最近、寒暖差が激しいから、風邪ひかないように気をつけてくださいね。またお待ちしてます」
「はい……」
ぺこりと頭を下げ、ドアを開ける。
カランカラン……

外に出ると、夜風が心地よかった。
昼間は蒸し暑かったのに、今はひんやりしている。

青い薔薇を夜空にかざしてみる。
写真、撮ろうかな。
そう思った瞬間、向こうから誰かが歩いてきた。
都会は人が多くて、どんな路地でも人とすれ違うんだな。

僕は、もらった青い薔薇を大事に持って、誰もいない部屋へ帰った。

          (#7 終)



●山査子は食べすぎたー!など胃が重い時に、プーアール茶に入れて飲んだり、お粥に入れたり…乾燥山査子を常備しておくと便利です。
今回は、乾燥山査子を戻して、戻し汁、醤油、味醂、出汁少しで味付けしてソースにしました。
胃が重くなりがちなお肉と一緒に、大根おろしと共に合わせてみました。


𓂃◌𓈒𓐍

いいなと思ったら応援しよう!