89.ボゴミル派
画像は以下のサイトから転載。
https://medievaloc.com/2019/12/29/bogomils-ancessors-deretges/
ミトラの血統
ボゴミル派は、十世紀半ばから十四世紀末まで、ブルガリアを中心にバルカン半島で信仰されたキリスト教の一派です。

善悪二元論と現世否定に特徴があり、正教会では異端とされました。
ボゴミル派は名前のとおり、ブルガリアの司祭ボゴミルによってはじめられました。
前回のつづきのような話ですが、ポーランド公で「勇敢王」と呼ばれたボレスワフ一世(九六六年~)の名前の知られていない娘(九九五年~)は、キエフ大公スヴャトポルク一世(九四三年~)と結婚しました。
スヴャトポルク一世は、東とバルカン半島に大規模な軍事キャンペーンを繰り広げました。そして強力なハザール帝国を征服しました。
このスヴャトポルクは、オーディンの子孫でデンマーク王のハルフダン・フロダソン(五〇三年~)の曾孫です。
ハルフダン・フロダソンの母はヴァンダルのヒルダです。ヒルダの父はヴァンダルのヒルデリック(四六〇年ごろ~)です。
そしてヒルデリックの母は、リキニア・エウドクシアです。このエウドクシアはローマ皇帝コンスタンティヌス一世(二七〇年代~)の玄孫です。
コンスタンティヌス一世といえばミラノ勅令です。ローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を信仰した人物といわれていますが、この人はセウェルス朝の創始者、セプティミウス・セウェルス(カルタゴ人)の子孫です。
つまりミトラ教の血統です。
コンスタンティヌス一世はキリスト教に改宗しなかったともいわれていますし、実際ソル・インウィクトス(敗れざる太陽)崇拝はコンスタンティヌスによってつづけられました。
ヴォルガ・ブルガール
ハザール人の離散は、ポーランド、ブルガリア、ハンガリーというマジャール人の諸国に及びましたが、これらの国はかつてハザールの属国でした。
ポーランド王国のピアスト朝は、ハンガリーのアールパード朝やブルガリアのコメトプリ朝と広く婚姻を行いました。
ハンガリー大公ゲーザ・アールパードとアデライーデの娘、ハンガリーのマーガレットは、ブルガリア皇帝サムイル(九五八年~)の息子ガヴリル・ラドミールと結婚しました。
個人的には、この婚姻は非常に重要だと考えています。聖マーガレット・オブ・スコットランドにつながる可能性のある系図だからです。

ブルガリア皇帝サムイルは、ブルガリア伯ニコラ(コミタ)の息子の一人でした。
七世紀、ブルガリア人はハザール人の支配下にありました。ハザール人は一部のブルガリア人をヴォルガ川上流に移住させ、そして独立国家のヴォルガ・ブルガールが建国されました。
ニコラ(コミタ)はコメトプリ朝の人ですが、アルメニアの年代記作家タロンのステファンによると、この家族はアルメニアのディリジャン地方に起源を持つとされています。
ちなみにコメトプリは、「コミタ(伯)の息子たち」という意味です。
アルメニアはことあるごとに登場します。より深い理解のためには過去記事を読まなければなりません。
ニコラはバグラトゥニ朝アルメニアのアショト二世(九一四年~)の娘、アルメニアのリプシミアと結婚しました。
リプシミアはユダヤ人の血を引いているといわれています。
バグラトゥニ朝アルメニア
ホレンのモーセ(四一〇年ごろ~)は、アルメニアの王子サハク(イサク)・バグラトゥニに依頼され、『アルメニア史』を著しました。
『アルメニア史』によると、アルメニア王パロイールはアルメニアの祖先ハイクの子孫として、メディアの王「バルバケス」がアッシリアの王「サルダナパルス」を破るのを助けた人物として言及されています。
サルダナパルスというのはアシュルバニパルの変形で、ようするにアッシリア王たちの複合的な人物像です。
アッシリアといえばアッシリア捕囚です。イスラエル王国の十氏族とユダ王国四十六の街の住民を捕虜としてアッシリアに連れ去った事件で、連れ去られた氏族は「失われた十氏族」として知られています。
アルメニア王パロイールの息子はフラチェイで、ホレンのモーセはフラチェイをネブカドネザル二世(紀元前六〇五年ごろ~)の同時代人と呼んでいます。
バビロニアのネブカドネザル二世といえば、有名なバビロン捕囚です。
ホレンのモーセによると、フラチェイはネブカドネザルのエルサレム攻略作戦に参加した、とのことです。
そしてフラチェイは、捕虜の中からユダヤ人の指導者シャムバトまたはスンバト(サバト)を選び、家族とともにアルメニアに連れて帰りました。
なのでバグラトゥニ家は、ダビデ王の末裔であると主張していました。「スンバト」という名前はバグラトゥニ家の系図に頻繁に登場します。
当然リプシミアもダビデの血統です。ブルガリアにもダビデの血が伝わったわけです。
「歴史」によるお決まりの血統アピールですが、何度もお伝えしているとおり、まわりが認めれば真実になります。これが世界史というものです。
ユダヤ人学者で外交官でアブド・アッラーフマン三世のかかりつけ医だったハスダイ・イブン・シャプルート(九一五年~)は、失われた十氏族を知りたがり、ハザール帝国の王ヨセフと接触しました。
ハスダイはヨセフ王に手紙を送ろうとしたのですが、使節団はビザンツ帝国で食い止められてしまいました。
なのでハンガリーに住むユダヤ人に送り、そこのユダヤ人がルス(ロシア)に送り、さらにブルガリアを経由してハザールの首都イティルに送る、という計画を立てました。
血による「ユダヤネットワーク」が存在していたということです。
十一世紀のグルジア人年代記作家、スンバト(ダビデの息子)・ダヴィティス・ゼイの著作で最初に記録された伝統によると、バグラトゥニ朝はダビデ王を祖先とし、五三〇年ごろにイスラエルから移住したとされています。
その記録はグルジア人学者のヴァフシティ・バグラトゥニ(一六九六年~)によって繰り返し言及されました。
スンバトの『バグラトゥニ家の系譜と物語』には、グルジアのバグラトゥニ家の伝説が詳細に記されています。
この本によると、バグラトゥニ朝の最終的な起源を、アダムからダビデ王を経て聖母マリアの夫ヨセフまで遡り、さらにヨセフの兄弟クレオパから「ソロモン」までをたどっています。
このソロモンはあのソロモンではないようです。
ソロモンの七人の息子たちは、聖地を離れてアルメニアに移り、女王ラチェルによって洗礼を受けました。
三人はアルメニアに残り、その子孫がのちにアルメニアを統治しました。残りの四人はグルジアのカルトリに到着し、そのうちの一人グアラムはそこで統治者となり、バグラトゥニ家の祖先となりました。
グアラムの兄弟サハクは、グルジア東部のカヘティに定住し、ほかの二人の兄弟、アサムとヴァラズヴァルドは、ペルシャの総督からカヘティ東部のカムベチャニを奪いました。
パウロ派
ブルガリア皇帝サムイルの父はニコラですが、ニコラにはダヴィド、モーセ、アーロンという息子たちもいました。
繰り返しになりますが、十世紀のブルガリアでは、キリスト教の分派パウロ派から発展した異端、ボゴミル派が信仰されていました。
ダヴィド、モーセ、アーロンは、ボゴミル派の擁護者となりました。
シリアの女王、パルミラ帝国のゼノビアは、ミトラ教信徒の血統でした。パウロ派の祖、サモサタのパウロは、アンティオキアの司教としてゼノビアの庇護を受けていました。
アレクサンドリア司教のアタナシウス(三二八年ごろ~)は、ゼノビアのことを「サモサタのパウロのユダヤ人信者」と報告しています。
サモサタは、コンマゲネの首都です。サモサタのパウロは「ユダヤ教徒」として知られており、アタナシウスは、キリスト教にユダヤ教を導入しようとした、とパウロを非難していました。
ですがこのパウロの信仰する「ユダヤ教」は異端的なほうで、実際のところはグノーシス主義を信奉していました。
グノーシスなので、パウロ派の人たちはすべての物質は堕落していると考えていました。
パウロ派にとってのキリストは、「神」によってこの世に送り込まれた天使でした。イエスの本当の父はマリアではなく天のエルサレムで、これはカバラの「シェキナ」に当たります。
九七〇年、アルメニア系のビザンツ帝国皇帝ヨハネス一世ツィミスケス(九二五年~)は、二十万人といわれるアルメニア人パウロ派をバルカン半島に定住させました。
これによってバルカン半島は、当たり前のように異端パウロ派の中心地になりました。
このパウロ派たちが移住させられたのは、ブルガリアの侵略に対する防波堤としてでしたが、アルメニア人たちは逆に現地の人たちをパウロ派に改宗させてしまいました。
そして最終的に、ボゴミル派として知られる教義に発展しました。
ボゴミルはスラヴ語で「神の友人」という意味です。
ボゴミル派の教義によると、神にはサタナエルとミカエルという二人の息子がいました。サタナエルは神に反逆し、サタナ(悪魔、叛く者の意)になりました。
地上の世界は、サタンが神に対抗するために造り上げられたものです。人間の魂は神が造ったのですが、肉体はサタンがカオスから造り上げました。ミカエルは地上に来て、イエス・キリストになりました。
もろにグノーシスです。
ミカエル=イエスは、人間に天への道を示すために地上に降臨したのですが、例の死は効果的ではありませんでした。

なぜならサタナエルの権力を奪うことができなかったからです。
十二世紀のビザンツの歴史家ニケタス・コニアテスは、ボゴミル派を「サタニスト」と記述しました。
これは字義どおり、ボゴミル派におけるサタナエルを信望する者という意味ですが、現在使われる「サタニスト」と現在存在するサタニストたちに直結します。
キリストは無力なのでサタンをなだめる必要があります。単にこの世のプリンスとしてではなく、この世の創造主としてです。
サタンは全知全能なので、やがて「なだめる」から「崇拝すべき」という教義に発展していきました。
その後ボゴミル派は「ルシフェリアン」と呼ばれるようになりました。ルシフェリアンの教義は、ルシファーは不当に天界から追放されたので、ある日再び天界に昇り、かつての栄光と取り戻すだろう、というものでした。
ルシファー崇拝は現在も行われています。アメリカなどでは、ただのパーティーだと思って出席したらいつの間にかルシファー祭礼になって驚いた、ということがあるそうです。
オカルト史において「ユダヤ人」はもちろん重要ですが、やはり現在と同じくイデオロギーとしてです。
実在する人種として重要なのは、シリア人、アルメニア人です。隣接する小アジア、現在のトルコはキュベレーやアルテミスのお膝元で、あのトロイまであります。

小アジアの夏は酷暑で、冬は極寒です。そんななかでたくましい想像力が育まれたのでしょう。
次回は亡命者エドワードの妻、ブルガリアのアガサについてです。アガサは有名な聖マーガレット・オブ・スコットランドの母です。
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