28.アレクサンドロス大王
画像は以下のサイトから転載。
今回からはヘレニズム時代です。
アジアの征服
ギリシャが帝国に近い地位まで上り詰めたのは、アレクサンドロス三世の征服開始から死までの約十年間でした。
アレクサンドロス三世は、紀元前三五六年、マケドニアに生まれ、三十二歳で没します。
ちなみに短命に終わる大人物は、いまも昔も「いわくあり」と考えるほうが自然です。毒殺されたという説もあります。(父親はギリシャの覇権を握ったあと暗殺されました)。
アレクサンドロス三世は二十歳で王になり、まずギリシャ本土の支配権を確立したのち、ペルシャとの戦いに出発します。

紀元前三三四年、三万五千の兵を率いて小アジア(トルコ)に入り、グラニコス川の戦いで小アジア太守の連合軍4万と対峙しました。
この時、派手な甲冑を身に纏ったアレクサンドロスは騎兵の先頭に立ち、自ら馬を駆って突進すると敵将ミトリダテスを投げ槍でしとめた。
ミトリダテスは「ミトラの贈り物」という意味で、アジアでやたらと出てくる名前です。共和制ローマを苦しめたポントスのミトリダテス六世が有名です。
ミトラはインド由来のイランの神で、カルトのマギがゾロアスター教を変容させたあと、三位一体神の一つの神格になりました。
ペルシャの悪魔崇拝者たちは、ミトラを称え、裏でサタンを崇拝していました。おなじみの邪教のテンプレです。
アレクサンドロス三世は地中海沿岸を進軍し、北上してフリギアに入り、南下してカッパドキア、キリキアに入り、紀元前三三三年、イッソスの戦いでペルシャ皇帝ダレイオス三世を敗走させ、妻と母を捕らえました。

さらに地中海沿岸を南下し、フェニキアの都市ティール(ティルス)とガザを破壊します。

ティルスはバアル崇拝、人身御供で有名なフェニキア人の都市です。
その後アレクサンドロス三世は、エジプトに入ります。エジプトは当時、ほんの一年前にペルシャに征服されたばかりで軍備が整っていなかったので、アレクサンドロス三世はあっさり勝利しました。エジプトの人々には歓迎されたようです。
そしてアレクサンドロス三世は、都市アレクサンドリアを建設しました。大図書館でだれがなにをやっていたのかは、のちほどたっぷりとお伝えします。
休養を取ったあと、アレクサンドロス三世はペルシャ遠征を再開しました。ダレイオスはガウガメラの戦いでまた敗れ、東に逃走します。マケドニア軍はダレイオスを追って東進をつづけますが、ダレイオスは将軍の一人ベッソスに殺されてしまいました。
そしてバビロンに入り、キュロスが最初に使った「大王」の称号を受け継ぎ、アジアの王となりました。

歴史を変えた大事件です。紀元前三三五年の進軍開始から、紀元前三三一年のダレイオスの敗走まで、たった四年の出来事です。
アレクサンドロス三世の行軍は、破壊と殺戮だけに留まりませんでした。軍は行く土地土地に、「ギリシャ文化」という異国の文化をもたらしていきました。
逆にアレクサンドロス三世の軍隊も、その土地土地の文化を吸収します。地元のマイナーな邪神などを知り、それをさらによそに持っていきます。
古代ギリシャ人は自分たちをヘレネスと呼んでいました。ドーリア人、イオニア人など、民族の寄せ集めだった人たちが名乗った呼称なので、融合という意味合いのヘレニズムの語源となりました。
アレクサンドロスが広範囲に渡って引っかきまわした結果、「ギリシャ」とアジアの文化が入り混じった、ヘレニズム時代と呼ばれる時代が到来します。
ここまでは学校でも習う、ふつうの歴史です。
古代の終焉
先にお伝えしたとおり、ギリシャ文化はギリシャオリジナルではありませんでした。まったくといっていいほどです。
アルカイック期、フェニキア人(イスラエル人=ユダヤ人)の入植から、暗黒時代以前とはまったく別の「ギリシャ文化」が花開きます。ドーリア人もイオニア人もフェニキア人でした。
有名な哲学者の多くも、いわゆるギリシャ人ではありませんでした。哲学者たちはエジプト、ユダヤ、バビロニア(カルデア)で秘儀に入信し、占星術などの叡智を得、帰国後活動をはじめました。
なので各地に広まった文化は、ギリシャ文化というより「ギリシャ風ユダヤ文化」でした。
このギリシャ風ユダヤ文化にとくに大きな影響を受けたのが、エジプトの都市、アレクサンドリアです。
ヘレニズム時代は、現代に通じる多文化交流の時代です。ここで歴史的には古代が終焉を迎えました。
その大きな要因の一つといわれているのが、言語です。
文化とともにギリシャ語(コイネー)が広まり、現在の英語のような「共通語」として使用されるようになりました。
盛んな交流によって、さまざまな宗教、哲学、文化などの歴史的要素が共有され、その結果、知的関心、科学的関心が高まっていきます。
このようにして起きた信仰と哲学の交配を「シンクレティズム」といいます。
そしてマギの影響に根ざした、神秘主義、グノーシス主義、新プラトン主義、ヘルメス主義などの、あまりよろしくないものが生み出されていきます。
アレクサンドロスとユダヤ人
アレクサンドロス三世の家庭教師は、アリストテレスです。

アリストテレスの影響で、アレクサンドロス三世はユダヤ人に好意的でした。
アレクサンドロス三世の出身地マケドニアはギリシャの一部でしたが、野蛮な土地だったのでギリシャ人たちから見下されていました。
父ピリッポス二世は息子に野蛮に育ってほしくないと考え、アリストテレスを家庭教師につけました。そしてアレクサンドロス三世は、創造主の存在を知ります。
ユダヤ百科事典にはこうあります。
ユダヤ人の精神の発達に最も影響を与えたギリシャ人であるアリストテレスは、ユダヤ人の伝説に関わる数少ない異邦人の一人である。
サイト「ユダヤの歴史」ではこのように書かれています。
アリストテレスは、アポロンからゼウスに至るまで、神々の話はすべてつくり話であることを知っていた。アリストテレスの生徒であるアレクサンドロスもまた、そう信じていた。
アリストテレスのおかげで、アレクサンドロスはユダヤ人に好意的だった。
アレクサンドロス三世は、ガザは破壊しましたが、イスラエルを滅ぼすつもりはありませんでした。ユダヤ人はその感謝から、翌年に生まれるすべての子供に 「アレクサンダー」という名前をつけることにしました。
なのでアレクサンダー、略してセンダーという名前は、今日に至るまで一般的なユダヤ人の名前となりました。
ユダヤの哲学者アリストブロス(紀元前三世紀か二世紀)は、ユダヤの啓示とアリストテレス哲学は同一であると断言しました。
帝政ローマ期の著述家ヨセフスは、アリストテレスはその教義をユダヤ教から直接導き出したとまで言っています。
伝説と事実
ダニエル書にはこのような記述があります。
またひとりの力ある王が立ち、大いなる権勢をもって世を治め、その意のままに事を成すであろう。
かれが立ち上がるとき、その国は破れ、天の四方に分かれる。それはかれの子孫に帰せず、またかれが治めたほどの権力もなく、かれの国は抜き取られ、これら以外の者どもに帰するだろう。
アレクサンドロス大王の死後、帝国は分裂し、後継者(ディアドコイ)がそれぞれの地域を支配する事態になります。
ダニエル書は、ネブカドネザル二世の時代、紀元前七世紀のバビロニアでのお話です。
ヨセフスは、アレクサンドロス三世がガザを占領したあと、エルサレムを訪問した際の記録を残しています。
アレクサンドロスはガザを占領すると、急いでエルサレムに上った。大祭司ヤドゥアは、それを聞いて苦悶し、マケドニア軍とどのように会えばよいのかわからず、恐怖におののいた。
そこで王は、民に嘆願をさせ、王とともに神に生贄を捧げるよう命じた。そこで神は……勇気を出して町を飾り、門を開くようにと警告された。かれは眠りから覚めると、大いに喜び、神から受けた警告をすべての人に告げた。その夢に従って行動し、王の到来を待った。
フェニキア人とカルデア人は、かれ(アレクサンドロス三世)に従ったあと、自由にこの町を略奪しようと考えた。……大祭司を苦しめて殺すことができると思ったが、まったく逆のことが起きた。
(アレクサンドロス三世は)まず大祭司に敬礼した。
……パルメニオン(マケドニア軍の副総司令官)だけがアレクサンダーの元に行き、「ほかの者はみなあなたを慕っているのに、どうしてユダヤ人の大祭司を崇めるようになったのですか」とたずねた。
アレクサンドロス三世はパルメ二オンの問いかけに対し、大祭司を崇めたのではなく、大祭司の位を授けた神を崇めたのだ、と答えました。
かれ(アレクサンドロス三世)は神殿に上ると、大祭司の指示に従って神に生贄を捧げ、大祭司と祭司たちをもてなした。
またダニエル書を見せられたとき、ダニエルがギリシャ人の一人がペルシャ人の帝国を滅ぼすと宣言していたので、かれは自分自身がその預言者であると思った。
ダニエル書は、ヘレニズム時代に数多く書かれた黙示文学の一つである可能性もあります。文学、つまりフィクションです。
そうであれば、後出しじゃんけんの伝説ということになります。こういった前後関係、伝説と事実が混じり合うのが歴史であり、歴史のおもしろいところでもあります。
タルムードやミドラシュには、アレクサンドロス大王の伝説的な記述が多くあります。
タルムードには、サマリア人がエルサレム神殿を破壊する許可をアレクサンドロス三世から得た際、大祭司の義人シメオンがアレクサンドロスに会いに出かけたと記されています。
シメオンを見たアレクサンドロス三世は、シメオンの前にひれ伏します。アレクサンドロス三世は驚いた仲間たちに、ユダヤ教の大祭司の姿は、戦いの中で常に自分とともにあり、自分のために戦い、自分を勝利に導いているのだ、と説明しました。
シメオンはこの機会に、自分たちは反逆者ではなく、アレクサンドロスとその領地の安寧のために神殿で祈りを捧げている、と宣言しました。
ユダヤ人はいつもひどい目に遭い、いつも決断を迫られています。アレクサンドロス三世の場合は、税金は課されましたがうまくいきました。
かたくなに同化しようとしないユダヤ人の頑固さは、第二次世界大戦におけるユダヤ人とナチスのような、世界を混乱に陥れるイデオロギーの対立の元ネタとなりました。
ユダヤ人とナチス、現代のイスラエルとガザもまた、伝説と事実が入り混じった「歴史」です。
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