19.古代ギリシャの嘘②
画像は以下のサイトから転載。
前回では、古代ギリシャは中東文明であり、ギリシャ哲学は自分たちの宗教的思想を正当化、合理化するために生み出されたものだったとお伝えしました。
また、「西洋文明の礎」という誤った認識は、「進化する人間」というヒューマニズムを喧伝するのに都合がいいため、あえて曲解、誤解を保ちつづけているともお伝えしました。
暗黒時代からの歴史的な復活は、フェニキア人との接触によって起こりました。フェニキア人はイスラエル人と変わらず、ギリシャ人はバビロンの邪教ユダヤ人とカルデアのマギの教えを採用し、古い信仰体系、パンテオン崇拝を打破しようとします。これがギリシャ哲学と呼ばれるものです。
自分たちの宗教的思想というのは、カルトの教えだったのです。
フェニキアの王子カドモス
フェニキア文字は、フェニキアの王子のカドモスによって伝えられたとされています。

以下はあえて伝説としてお読みください。
カドモスは、フェニキアのテュロスの王アゲノールとテレパッサの子で、ポイニクス(フェニックス)、キリクス、エウロパの兄弟でした。
エウロパはゼウスによってフェニキアの海岸から誘拐されます。アゲノールは息子たちを捜索のために発たせ、見つけるまで帰ってくることを禁じました。
トラキアの地で同行したテレパッサが死んでしまったため、カドモスはデルフォイで神託を求めました。そして「エウロパをあきらめ、一頭の雌牛のあとをついていき、その牛が倒れたところに都を立てろ」というお告げを受けました。
こういった経緯で、カドモスはギリシャの都市テーバイを築きました。そこの住人は当初、カドモスに敬意を表し、都市をカドメイアと名づけました。
カドモスは神話上の人物ですが、創作したのは実在しただれかです。
神話学者のマーティン・P・ニルソンによると、ポイニクス(フェニックス)、キリクス、エウロパが兄弟という系図は、小アジアを指しているとのことです。

フェニックスはフェニキアを指します。ちなみにカドモスはゼウスの父、ディオニュソスの祖父です。ディオニュソスといえばちんこです。ギリシャのちんこの神はのちに登場します。
古典期のギリシャ人は、自分たちのそれぞれの祖先に敬意を表し、名前をつけました。アカイア人のアカイオス、ダナン人のダナオス、カドメイア人のカドモス、ヘレン人のヘレン、アイオロス人のアイオロス、イオニア人のイオン、ドーリア人のドーロスです。
これがなにを意味するかというと、この時期のギリシャ人は寄せ集めだった、ということです。
ギリシャ人はヘレネスとして知られていました。ヘレニズムには「融合」という意味合いがあります。その「ヘレネス」が、「ギリシャ人」という一つの民族的なイメージで現在に伝わっています。
フェニキア出身のカドモス、エジプト出身のダナオス、アナトリア出身のペロプスは、それぞれギリシャ本土にやってきて、同化してヘレニズム化しました。そしてヘレン(男性です)がギリシャ人の祖になりました(ここも神話としてお読みください)。
ヘレンはデウカリオンとピュラの息子で、この夫婦とヘレンの兄弟たちは、大洪水を生き延びた唯一の人たちです。
ほかにも旧約聖書との共通点はあるでしょうか。
イオニア人はユダヤ人
イオニア人はカドモスとダナオスの子孫で、ヒクソスと同一視されていました。
ヒクソスは、紀元前千七百年ごろにエジプトの北部を支配した、外国人侵略者の王朝です。アビドスという町に定着したのですが、紀元前千四百年ころにエジプト人に追放され、そのあとパレスチナに定住しました。
紀元前二百五十年ころに生きたエジプトの祭司マネトは、ヒクソスを出エジプトのユダヤ人と同一視しました。
紀元前四世紀ごろの歴史家、アブデラのヘカタイオスは、以下の見解を残しています(シケリアのディオドロスの断片集からの引用です)。
これからユダヤ人との戦争について説明するので、先に進む前に、まずこの民族の起源と習慣について述べるのが適切であると考える。
その昔、エジプトで大きな災いが起こり、多くの者がその原因を神々に帰したが、かれらは神々の怒りを買った。というのも、そこに住んでいたさまざまな国籍の大勢のよそ者が、異国の宗教的儀式や生贄儀式を用いていたため、エジプト人の祖先が行っていた古代の神々の崇拝方法は、完全に失われ、忘れ去られていたからである。
先住民たちは、外国人をすべて追い出さないかぎり、自分たちの災難から解放されることはないだろうと結論づけた。すべての外国人はすぐに追放され、その中で最も勇敢で高貴な者たちは、何人かの有名な指導者の下で、ギリシャやほかの場所に連れて行かされた。最も有名な指導者はカドモスとダナオスであった。しかし、民の大半はエジプトからそう遠くない、現在ユダヤと呼ばれている国に移住した。
このコロニーの指導者はモーセという人物で、非常に賢明で勇敢な人物であった。
イオニア人の祖先はあの時代にギリシャに向かったユダヤ人だった、ということです。全員がカナンの地に向かわなかったのです。
ドーリア人もユダヤ人
ドーリア人もまた、フェニキアが起源だと考えられています。パレスチナのドール、またはドーラという地中海沿岸の町では、古代ギリシャの遺物が多く見つかっています。
紀元前七世紀のパレスチナに、いわゆる「ギリシャ人」がいたのです。
そしてこの時期は、アッシリアの北イスラエルへの侵略と重なります。そしてアッシリア捕囚ののちに、北イスラエルの民は離散(ディアスポラ)し、そのあとは足跡をたどれなくなってしまいます。
ドーリア人はヘラクレス人として知られていました。そしてドーリア人は、自分たちはフェニキア人の子孫だ、と主張していました。
ヘラクレスはフェニキアが起源で、カナン人の神メルカルトに相当すると見なされています。メルカルトは、アドニスとエシュムンの特徴を併せ持っていました。

ニムロデとセミラミスの子、タンムズは、ギリシャに入るとアドニスと呼ばれるようになりました。つまりメルカルトはバアルの別名です。
マカバイ記十二章にはこうあります。
スパルタ人の王アリオスから大いなる祭司オニアに挨拶を送る。スパルタ人とユダヤ人に関する文書を通じ、両者が兄弟であり、アブラハムの血筋であることが確認された。
スパルタといえばドーリア人のポリスです。
ギリシャの地にも、もちろん人はいました。その人たちはギリシャ人です。
ですが暗黒時代からのちの歴史をつくったのは、ギリシャ人ではありませんでした。寄り集まってヘレンとなった人たち、フェニキア人というユダヤ人だったのです。
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