生きる意味なんて平等にみんなないんだと思う
20代前半、毎日が生きているのか死んでいないだけなのかわからない日々が続いていたことがあった。友達とも遊びに行けず、好きだったお洋服やコスメも買えず、アイドルのコンテンツも見れず、それまで「楽しみ」だったものを一つも楽しめなくなってしまった。ただ毎日朝起きて会社に行って、暇な時間は興味のないSNSを開いては閉じ、味のしないご飯を貪り食べて、寝る。
心の不健康はモロに身体に出て、当時は身体を掻きむしって身体中を傷だらけにしていた。深爪レベルに爪を切っても、朝起きると爪に血が溜まっているし枕やシーツに血がついているし、頭からはボロボロ瘡蓋が取れて得体の知れない液体が出ていた(おもろい)
生きる意味や生きている価値というものが、私だけには明確にないと思っていた。私が死んでもこの世は回るし、こんなに辛い思いを抱えてまで私が生きる意味ってなんだろう。私がこの辛さを乗り越えた時に待っているのはまた別の苦しみではないだろうか。この辛さを忘れられるほどの楽しみって一体なんなんだろう。
電車を待っている時、赤信号で立ち止まっている時、寝転んでいてこたつの太いコードが目に入った時。そういうふとした瞬間に自分の体から自分の精神だけがふわふわ飛んでいくような不思議な感覚があった。もうここまででいいかなー、楽になりたいなー、終わらせてもいいなー、そういう感覚にふと襲われて、思考と身体がぴたりと止まってしまうことがよくあった。
それでも仕事を辞められなかった
どうしてこんなふうに自身を追い込んでいたかというと、今思うと明確にただその当時の仕事が合っていなかった、それだけだ。心が健康な時なら、この当時の私の状況を見て真っ先に「仕事を、辞めろーーー‼️‼️‼️」と声をかけると思う。
でも当時は、仕事が辛いから仕事を辞める、という至ってシンプルな答えに辿り着くことができなかった。
理由は簡単。
まず一つに、仕事を辞めたからといって全ての苦しみから解放されるわけではないと思っていたから。
そして二つめが、仕事を辞めてはいけないと思っていたからだ。
「仕事を辞めたからといって全ての苦しみから解放されるわけではない」
この仕事を辞めてもまた新たな職場を見つけなければいけない、そしてまた働くとなれば同じように何らかの苦しみやストレスは必ずある。
そもそも現状今の職場でも自分を気にかけてくれる優しい先輩が周りにいて、いじめられているわけでもなく自分だけがパワハラを受けているわけでもない。周りには自分より遥かにキツい長時間労働や重いプレッシャーに耐えている先輩がたくさんいた。自分だけが今の状況に耐えられないと思っているけれど、それって今の職場が悪いのではなく、ただ自分が働くのに、生きているのに不向きなだけではないだろうか。
自分が自分である限り、この苦しみから逃れることなんてできないのではないだろうか。どこに逃げても「自分を生きる」という最大の苦しみから逃げられないことが辛かった。定期的に遊ぶ友達もいたし家族との関係も悪くなく、会社の人ともそれなりにうまくやれていて金銭的にも困っていなかった。そんな比較的恵まれている状況でもこんなに苦しんで身体中掻きむしって毎日いつ人生終わらせられるかなと考えているような自分は、この先どこに行ったって辛いままなんだろう。そう分かりきっていることが一番辛かった。
「仕事を辞めてはいけないと思っていた」
それなりに学生時代勉強を頑張ってきて、就活もそれなりに苦労して大手企業の総合職に内定をもらえた。
私はかなり偏差値の低い高校に通っていたので、一般で大学受験を志す友達がほとんどいなかった。周りが青春を謳歌する中、「良い大学に行けば後で必ず自分が楽できるから」と自分に言い聞かせて多くの我慢をしていた。周りに流されまいと歯を食いしばって勉強を頑張っていたのは「必ずいつか自分が楽をできるはずだ。良い大学に入り、良い会社に入れば、楽にお金を稼げるはずだ。だから今頑張る、未来のために意味のある我慢だから」と思っていたからだ。
大手企業総合職の内定は、それまでの自分の努力が報われた、意味のあるものだったんだと感じることができた。
だからこそ仕事は絶対に辞められない、辞めてはいけないものだと思っていた。自分の今までの努力が全て無かったことになる、「意味のない」努力になってしまうと思っていたからだ。両親がかけてくれた教育費も無駄にしてしまう。自分が今ここで仕事を辞めるなら、学生時代に泣きながら勉強したあの日々は何だったんだろう。SNSのアプリを消して孤独と戦っていたあの日々は何だったんだろう。
よく、良い大学に入ることを「選択肢が広がる」と表現する人を見る。確かに採用活動において大学名での足切りは存在するし、新卒で大手企業に入りたいなら確実に偏差値の高い大学の方が有利だ。でも実際にはどうだろう。私の場合選択肢を広げるどころか、自分で狭め続けていた。「勉強を頑張って良い大学に入ったからには大手企業でなければならない」「周りに賢いねと言われる自分なのだから総合職でなければならない」そういう風に自分で自分の道を狭めていた。そして愚かなことに、その道でうまく歩けなかったときに他の道はないのだと思いこみ、もう人生を終わりにしようとまで思っていたのだ。
働く意味
私はよく友達に「なんで働くの⁉️」と聞いていた。(今思うとキショ質問すぎて本当にごめんの気持ち) だいたい即答で、「金だろ‼️‼️」「お金あったら働かんわ‼️‼️」という答えが返ってきた。雑談の中での回答として、至極真っ当な答えだと思う。
これを聞いて私は、でもお金は手段であって、目的ではないんだよなと思っていた。その得たお金で何をしたいか、私にはその目的の部分がぽっかり空いていた。ただ毎日が辛くて辛くて、お金があっても旅行にも行けない。買いたい物もない。気晴らしに出かけても何かを買っても一瞬の快楽が辛さを上回ることはなかった。
会社で偉くなりたいとか、SNSで有名になりたいとかそういう夢も目標もなければ、たくさん海外旅行したいとかジュエリーを集めたいとかそういうお金を稼ぐ動機もなかった。
正直当時虚しい毎日を送っていたおかげで、無職になったとてしばらく暮らせる程度の貯金はできていた。それでも仕事を辞めてはいけない、と自分で自分を縛っていたのは、過去の自分を裏切りたくないという自分への呪いと、周囲からの目を気にするプライドだったんだと思う。
仕事を辞めて「意味のない」毎日を過ごすのが怖かった。転職していい会社に入れず「意味のない」人生になるのが怖かった。良い大学や会社に入るための過去の努力が「意味のない」努力になってしまうのが怖かった。
立派に生きなくても良い
結局仕事をやめて、別の仕事に転職してから、ふわふわした感覚に襲われることはなくなった。
転職先は中小企業のちいさな営業所で、非正規雇用で事務職的な仕事をさせてもらった。営業マンたちは平気で外出中にサボる割に残業代だけはちゃっかり稼ぐし、大事な取引先との約束をすっぽかしちゃうような人もいるし、事務職の仕事には非効率的な作業が多すぎるし、正直とても尊敬できる働き方ではない人が多かったが、それですごく心が楽になった。こんなふうに適当に働いてもいいんだなー、と思った。また、ルーティーン作業が中心だったことも当時の心を救ってくれた。小さな達成感のおかげで毎日頑張れている気がした。
次第に身体の傷は癒え、爪が伸ばせるようになった。ネイルもできるようになり、ボロボロと瘡蓋が取れていた頭皮もすっかり綺麗になった。
【みんな夢や目標のために「意味のある」日常を過ごしていて有意義な時間を過ごしているのに、私だけが「意味のない」日常を過ごしていて、時間を食い潰している。なんて惨めなんだろう。】
こう思い込んでいて、毎日毎日「生きる意味」や「生きる価値」を追い求めていた。でも転職をきっかけに、自分を過度に追い込んでまで立派に生きようとする必要なんてないんだな、と思うようになった。
過去の自分の努力が今の自分に直接繋がっていなくても、結果的に「意味のない努力」になっていたとしても、自分が今たのしく生きていることが一番大事だと思うようになった。
生きる意味や生きる価値なんてみんな平等にない
生きる意味や生きる価値なんてみんな平等になくて、ただ生まれたから生きている、それだけだ、
それで十分なんだと思うようになった。ないものをずっと探していればしんどいのは当たり前だ。
大金を稼いでも、たくさんの人に認められても、高価な物に囲まれても、海外を飛び回っても、一生虚しさは付きまとう。仕事で成功を収めても子育てを熱心にやっても趣味に夢中になっても、いつかは終わりがくる。そうであれば、夢中になった時間や努力した時間はある種「意味がない」ともいえる。夢がある、夢を叶えられた、それが何になるんだろう。立派に見える他人の人生も、突き詰めればそれが何、という話だ。
「くだらない毎日を生きている」と思いながら長い長い人生を生きるのは非常に苦しい。だからみんな、夢や目標を語り、朝活をし、ジョギングし、旅行に行き、「私は有意義な毎日を過ごしている」と自分を納得させている。
自分でいくらでも思い込むことはできるけれど、広い意義で言えば、生きる意味や頑張る意味なんてみんな等しくないのではないだろうか。誰かにジャッジされるわけでもない。「あなたの人生は120点だからボーナスとして人生をもう1ストックあげます」なんて言われるわけもない。
ほとんどの人は生きていても社会の教科書に載るような偉業を達成できずに死んでいく。地球の危機を救えるような偉大な発明はできない。それでもみんな生きている。それでいいんだと思う。ただ生まれたのだから、ただ生きているだけで、いいんだと思う。
私には夢もない。目標もない。でもそれでも生きていたって良いんだと思えるようになった。少しだけお金を得て、少しだけお金を使い、明日の朝食べるお菓子を楽しみに寝て、毎日同じ日常を過ごす。それで十分だ。
みんな等しく生きる意味がない、ということは、裏を返せばみんな等しく生きる意味がある、ということでもある。立派な夢や目標がなくても、明日食べたいものや読みたい本がある。それが生きる意味で良い。
私は、食べたいものも読みたい本も見たい映画も買いたいものも見つけられない時があった。何を食べても味がしなくて、何を見ても楽しめなくて、心が全く動かない。あの時の私にもし出会えるなら、とにかく大丈夫だよ。大丈夫だよ。と伝えてあげたい。
偉業を達成しなくとも「有意義な人生だった」といくらでも自分で自分を納得させることはできる。生きる意味や価値は誰かにジャッジされるわけではない。なんとなく自分にとって気持ち良いことを積み重ねて、自分がたのしいと思える瞬間を積み重ねて、それが未来の自分の人生に直接繋がらなくてもいい。
くだらない人生だけど、みんなこんなもんやろ。こういうマインドで図々しく生きていこうと思いますദ്ദി^._.^)✧ (締め方雑すぎる‼️‼️‼️)みなさんもあたたかくして寝てくださいね。
