くら寿司の販促漫画にはヒーローになれなかった男がいる──『回転むてん丸』のクロセル・キシレール
この男がなぜ寿司屋の漫画にいるのか
クロセル・キシレールは、くら寿司とミヒラ三平のウェブ漫画『回転むてん丸』の第二期(章シリーズ)の登場人物です。つまり、彼はくら寿司の販促漫画の脇役であり、中ボスです。しかし問題は、この男の人生があまりにも重すぎることです。まず、クロセルは子供の頃からヒーローに憧れていました。
しかし、クロセルは身体が弱かったのです。彼は戦う才能に恵まれず、憧れたヒーローになることはできませんでした。……ここまでなら、まだわかります。夢を諦めた少年が、別の形でヒーローを支える道を選びます。よくある美しい話です。
成長したクロセルは、ヒーローを技術で支援する企業「メガディス社」の社長になりました。彼はヒーローそのものになれなくても、ヒーローを支えることができました。むしろ、ここまでのクロセルはかなり好感の持てる人物です。彼のことを「ヒーローオタクが高じて、ヒーロー産業の社長になった男」と理解して問題ありません。
……しかし、『回転むてん丸』はここで終わりません。この男は後に、「ヒーローは悪と戦ってこそ人々の希望になる」「悪がいなければヒーローは存在意義を失う」と語り始めます。そして、彼は怪物を密かに生み出し、怪物をヒーローと戦わせるようになります。これは全て寿司屋の販促漫画の話です。くら寿司の公式サイトで無料公開されている漫画の話です。
くら寿司のミニゲーム「ビッくらポン!」で当たりが出て人々が喜んでいる裏で、「ヒーローになれなかった少年が、ヒーローへの憧れを拗らせた結果、自ら悪を演出し始める」という物語が進行しているのです。しかも、これでもまだクロセルという男の説明は半分も終わっていません。恐ろしいことに、この男はここから更に情報量を増やしていくのです。
ヒーローオタクが拗らせると悪役になる
では、クロセルの何が面白いのでしょうか。それは、この男が「悪そのもの」に魅了された人間ではないことです。彼は世界を憎んでいたわけではありません。彼は他人への復讐を企んでいたわけでもありません。ましてや、彼が最初から悪人だったという単純な話でもありません。むしろ逆です。
クロセルは、たぶん作中でもかなりのヒーロー好きです。彼は子供の頃からヒーローに憧れていました。しかし彼は身体が弱く、ヒーローにはなれませんでした。だからこそ、彼はヒーローを支える会社を作りました。彼はヒーローのための技術を開発しました。
しかしクロセルの中には、一つの願いが残り続けていました。「本当は、自分自身がヒーローになりたかった」という願いは、忌まわしき結晶の力によって歪んでいきます。むてん丸と対峙する直前、クロセルは「ヒーローは戦ってこそ、人々の希望になる」「しかし、悪が存在しなければ、ヒーローは存在意義を失う」「だからこそ、自分が悪を作るのだ」と語ります。冷静に考えると、かなりおかしいです。いや、かなりどころではありません。
「ヒーローが好きだ」
「ヒーローには活躍してほしい」
「ヒーローには悪が必要だ」
「だったら悪を用意しよう」
「そして最後には、自分が最強で唯一のヒーローになろう」
論理が飛躍しています。しかし、不思議と「理解不能」とまでは言い切れないところが、この男の恐ろしいところでもあります。好きな作品に対して、「こうだったらもっと格好いいのに」と考えたことがある人は多いでしょう。
「あの展開なら、こうした方が盛り上がるのではないか」
「あの登場人物は、本当はこうあるべきではないか」
「自分なら、もっと上手くやれる」
オタクなら、一度くらいは考えたことがあるはずです。もちろん、大半の人はそこで止まります。
二次創作を描く
感想を書く
友人と語り合う
しかし、クロセルは止まりませんでした。彼はヒーローを「演出」しようとしました。彼は、自分の考える理想のヒーロー像を現実そのものに押し付けようとしました。彼は悪を作り、戦いを用意し、物語を設計し、自ら脚本家になろうとしたのです。そして彼は、その物語の最後に、最強のヒーローとして立つ自分自身の姿を想像していました。
クロセルは、ヒーローを嫌っていたから悪役になったのではありません。彼はヒーローを愛しすぎたからこそ、ヒーローという存在そのものを壊してしまったのです。だからこそ、この男はどこか痛々しいのです。クロセルは笑ってしまうほど拗らせています。しかし、その出発点は、「ヒーローが好き」というごくまっすぐな憧れだったのです。
しかしこの男、根は善人なのである
ここまで読むと、クロセルはかなり厄介な男です。彼はヒーローへの憧れを拗らせた結果、自ら悪を演出し始めます。彼は怪物を生み出し、ヒーローとの戦いを仕掛けます。しかも、彼の目的は「最強で唯一のヒーローになること」です。普通に考えれば、彼は立派な悪役です。では、この男は「本当は優しい人だった」で済ませられるのでしょうか。たぶん、違います。
クロセルは「善人だから悪事をしても許される」という人物ではありません。むしろ『回転むてん丸』は、クロセルが引き起こした結果をきちんと突きつけます。クロセルは、自ら開発したヒーロースーツの力を制御できませんでした。彼はその力に飲み込まれ、形も理性も失います。そして彼は敗北します。彼が憧れ続けた「最強のヒーロー」は、自分の手で掴み取れるものではありませんでした。
そのとき、クロセルは「本当の自分は、ヒーローになりたかった」と気付きます。これは少し不思議な独白です。だって、クロセルはずっとヒーローになりたかったはずなのです。だから彼は会社を作り、研究をし、怪物まで作ったのです。これは全部、彼が「ヒーローになりたかった」からではなかったのでしょうか。しかし、たぶん違ったのです。クロセルはいつの間にか、「唯一最強のヒーローになること」に囚われていました。
ヒーローを証明すること
ヒーローとして認められること
ヒーローである自分を完成させること
そうした目的が積み重なった結果、クロセルは子供の頃の単純な憧れを見失っていました。だからこそ、「本当の自分はヒーローになりたかった」という言葉には意味があります。それは、「勝ちたかった」でもなければ、「認められたかった」でもない感情です。「誰かを助ける存在に憧れていた」という、出発点を彼がようやく思い出した瞬間だったのでしょう。
そして、『回転むてん丸』は、そこでクロセルの物語を終わらません。クロセルは後に再登場します。しかも、その目的は世界征服でも復讐でもありません。クロセルが戦う目的は、自分の過ちによって生まれた被害者を救うためでした。
ダイハンド社はクロセルのヒーロースーツのデータを利用し、少年シノブ・カジカを新たな怪物に変えてしまいます。そのときクロセルは逃げません。彼は「自分は関係ない」とも言いません。彼は「もう改心したから終わりだ」とも言いません。彼はむしろ、自分が残したものの責任を引き受けようとします。
ここが、シック・ヴァラクロロフェノルやアスタル・テイムとの大きな違いなのかもしれません。シックは憎しみを最後まで手放せませんでした。アスタルは強さへの執着と人生そのものを貫き通しました一方、クロセルの出発点は憎しみではなく、憧れでした。
「ヒーローになりたかった」「人々の希望になりたかった」というクロセルの願いは歪み、暴走し、取り返しのつかない結果を生みました。しかし、それでもなお、彼の視線は最後まで「誰かを救うヒーロー」という方向を向いていました。
だからこそ、最終決戦でクロセルが人々の心から発せられる光のきらめきを見つめながら、「そのような光を見るために、自分もヒーローになりたかったのかもしれない」と呟く場面は、とても切ないのです。ヒーローとは称号でもなく、唯一最強であることでも、悪を打ち倒すことだけでもありませんでした。それは、誰かの心に宿る光を見つけ、それを守りたいと思うことでした。
クロセルは、あまりにも遠回りをして、ヒーローとは何かを知ったのです。だから私は、この男を「闇堕ちしたヒーロー」とは呼びたくありません。クロセルとは、ヒーローになれなかったオタクが、回り道の果てにようやくヒーローの意味を理解した男なのです。
この中ボスは一回退場した後に再登場する
クロセルは本当の願いを見失い、暴走します。彼は怪物と化します。彼はヒーローに敗れます。そして、彼は「自分は本当はヒーローになりたかった」と気付きます。更に、彼はかつて憧れていたヒーローたち自身に命を救われます。十分です。むしろ、中ボスとしてはかなり優遇されている部類です。悲しい過去があり、歪んだ願いがあり、最後には救済まで与えられます。これ以上何を盛るというのでしょうか。
普通、この辺でクロセルの出番は終わります。ところが、クロセルは再登場します。しかも、彼は「自分が生み出した問題の後始末をする側」として登場するのです。クロセルがかつて開発したヒーロースーツのデータは、ダイハンド社によって盗み出されていました。そして、その技術は新たな悲劇を生みます。少年シノブ・カジカが、無理やり新型ヒーロースーツを装着させられ、怪物に変えられてしまったのです。
ここでクロセルは逃げません。彼は「自分が作ったものじゃない」と言い訳しません。彼は「もう改心したから関係ない」と距離を置きません。彼はむしろ、自分の過去の過ちが別の誰かを傷つけたのなら、その責任は自分にもあると考えます。だから、彼はシノブを救うために戦います。これが、妙に胸を打ちます。
クロセルは「元悪役が味方になると熱い」という、お約束の気持ち良さだけでは説明できません。彼は自分が撒いた種から目を逸らさないのです。彼は自分が作った技術、自分が残した爪痕、自分がもたらした可能性を「過去の自分だから」と切り捨てません。だから、クロセルの再登場には、どこか贖罪のような重みがあります。
そして最終決戦の中で、クロセルは人々の心から発せられる光のきらめきに気付きます。彼は、「そのような光を見るために、自分もヒーローになりたかったのかもしれない」と呟きます。クロセルはずっと、「ヒーローになる」ということを勘違いしていました。
忌まわしき結晶の影響を受けていた頃のクロセルは、「唯一最強であること」「誰よりも強いこと」「悪を倒すこと」「称賛されること」の先にヒーローがあると思っていました。しかし、彼が本当に見たかったものは違ったのです。それは、誰かの心に宿る、小さな光でした。そのきらめきを守るために戦う人たちを見て、クロセルはようやく、自分が子供の頃に憧れていた「ヒーロー」の正体を理解したのかもしれません。
……と、ここまででも情報過多なのですが、エピローグでは更に追撃が入ります。クロセルは、メガディス社のビルを爆破したチア・ヴェンタ・ゾアに対し、「メガディス社のビルの破壊に対する賠償」を要求しながら怒って追いかけ回すのです。
しかし、この妙な俗っぽさも含めて、私はクロセルという男が好きです。彼は最後まで、完璧なヒーローになりませんでした。彼は悟り切った聖人にもなりませんでした。彼は面倒くさくて、拗らせていて、責任感があって、妙に現実的で、少し格好悪い人物です。
だからこそ、「ヒーローになれなかった男」として始まったクロセルの人生が、最後には誰かのために行動する一人の人間として着地したことに、不思議な温かさを覚えるのです。それにしても、なぜこの男の人生が、くら寿司の販促漫画の中ボスに収まっているのでしょうか。私には本当にわかりません。わからないのですが、だからこそ忘れられないのです。
クロセルは販促漫画の脇役ではなく、別の作品の主人公である
ここまでクロセルという男について書いてきました。もう一度、彼の経緯について整理してみます。クロセルは、ヒーローに憧れる少年でした。しかし彼は、弱い身体のためにヒーローにはなれませんでした。だから彼は技術者になりました。彼はヒーローを支える会社としてメガディス社を作りました。彼はヒーローオタクが高じて、ヒーロー産業の社長になりました。
しかし、クロセルの人生はそこで終わりませんでした。彼は「弱い身体を克服したい」という願いを抱き続けました。彼は「自分自身がヒーローになりたい」という諦めきれない憧れを捨てきれませんでした。そして、その願いに目をつけたのが、シックでした。
シックは停滞と現実逃避を司る悪魔であり、人の願いを歪める忌まわしき結晶を差し出す存在です。叶えられない願いを無理やり現実に変えるために、クロセルは結晶の力に手を伸ばしました。彼は技術者でした。しかし同時に、夢を諦めきれなかった少年でもありました。だからこそ、研究は執着に変わり、執着は野心に変わったのです。
「ヒーローは悪と戦ってこそ人々の希望になる」
「悪がいなければ、ヒーローは存在意義を失う」
「ならば、自分が悪を作ろう」
「そして最後には、自分が最強で唯一のヒーローになろう」
そうしてクロセルは、怪物を生み出す悪役になりました。ヒーローに憧れていた男が、ヒーローのために悪を演じるのです。ヒーローになりたかった男が、ヒーローという存在そのものを壊してしまうのです。何とも皮肉な話です。
そしてクロセル自身もまた、怪物になりました。彼は忌まわしき結晶の研究から生み出したヒーロースーツの力を制御できず、形も理性も失いました。最強のヒーローになるはずだった男は、誰よりも「ヒーローではないもの」に変わってしまいました。
しかし、そこで終わりません。クロセルはむてん丸に敗れました。彼は忌まわしき結晶の力を永遠に失いました。そして、彼は共犯者のチアとシックに裏切られます。チアは用済みになったメガディス社のビルを爆破し、クロセルの周りに瓦礫が降り注ぎます。
クロセルは全てを失いました。夢も、力も、会社も、信じていた仲間も瞬く間に消えました。そこでクロセルを救ったのは、他でもない、本物のヒーローたちでした。彼らはクロセルがかつて憧れた存在であり、クロセルが利用しようとした存在であり、クロセルが超えようとした存在でした。
そのヒーローたちは、敵だったクロセルを見捨てませんでした。ヒーローたちは、「クロセルに助ける価値があるかどうか」など、秤にかけませんでした。ヒーローたちはただ、目の前の人間を救いました。それがヒーローだったのです。
クロセルは、あの瞬間に初めて「ヒーローとは何か」を理解したのではないでしょうか。そして後に、クロセルは再び戦場に戻ってくるのです。それは誰かに認められるためでもなければ、最強になるためでもありませんでした。クロセルは自分の過ちによって傷ついた人を救うために、戦うことを選びました。
最終決戦の中で、クロセルは人々の心のきらめきを見つめながら、「そのような光を見るために、自分もヒーローになりたかったのかもしれない」と呟きます。この台詞を聞いたとき、私は少し驚きました。クロセルは、本当にヒーローになったのだと思ったからです。もちろん、彼は変身して世界を救ったわけではありません。彼はむてん丸のように最前線で戦ったわけでもありません。彼は完璧な人格者になったわけでもありません。
エピローグでクロセルは、メガディス社のビルを爆破したチアに対して「賠償金を払え!」と怒って追いかけ回しています。この場面は、妙に俗っぽいです。しかし、それでいいのだと思います。ヒーローとは、生まれつき選ばれた完璧な存在ではありません。間違えることもあります。遠回りすることもあります。格好悪いところもあります。それでも、自分の過ちから目を逸らさず、誰かのために行動しようとします。クロセルは、そういう人間になったのです。
改めて整理すると、この男は技術者であり、ヒーロー企業の社長であり、ヒーローオタクであり、夢を諦めきれなかった少年であり、悪魔と契約した者であり、怪物であり、悪役であり、裏切られた被害者であり、ヒーローに救われた者であり、そして最後には誰かのために行動するヒーローでもあります。これだけの人生を送った人物が、くら寿司の販促漫画の脇役なのです。
クロセルは、「販促漫画なのに重い登場人物」なのではありません。販促漫画の脇役にしては、一人だけ別の作品の主人公一人分の人生を生きているのです。だから私は、『回転むてん丸』のことを思い出す度に、この妙に情報量の多い男のことを思い出してしまいます。
クロセルはヒーローになれなかった少年であり、ヒーローオタクを拗らせた悪役であり、遠回りの果てに本物のヒーローになった男です。そんな人生が「ビッくらポン!」の向こう側で描かれていたことを、私はたぶんずっと忘れないでしょう。
