くら寿司の販促漫画には愛の力を信じるマッドサイエンティストがいる──『回転むてん丸』のチア・ヴェンタ・ゾア


くら寿司の販促漫画には愛の力を信じるマッドサイエンティストがいる

くら寿司の販促漫画には、愛の力で世界を救おうとするマッドサイエンティストが登場します。何を言っているのかわからないかもしれません。私も最初はそうでした。そもそも、くら寿司の販促漫画にマッドサイエンティストが登場する時点で意味がわかりません。寿司を売るための漫画なら、寿司職人や魚や海の仲間たちが活躍するのが普通ではないでしょうか。

しかし、くら寿司とミヒラ三平の子供向けウェブ漫画『回転むてん丸』の第二期(章シリーズ)は違います。そこには、人を怪物に変える「忌まわしき結晶」が存在し、その力を巡って戦う人々がいます。革命で恋人を失い世界への復讐を誓った元貴族、戦争に人生を囚われた傭兵、人間の心を求める戦闘用ロボット、そして世界を滅ぼすと予言された子供まで登場します。

そして、その中でも特に異彩を放つ人物が、チア・ヴェンタ・ゾアです。チアは忌まわしき結晶を研究する科学者として登場します。彼は敵組織に協力し、危険な研究を行い、利用価値がなくなった仲間を平然と見捨てます。初登場時の印象だけなら、典型的な狂気の科学者に見えます。

しかし物語が進むにつれて、読者は奇妙な事実に気付きます。この科学者は、人間を道具として扱う冷酷な研究者ではありません。むしろ逆です。チアが研究を続ける理由は、妹トゥナの「忌まわしき結晶と戦う」という願いを助けるためでした。更に彼は、忌まわしき結晶から生まれた子供キッドを拾います。

ここから物語は奇妙な方向に進みます。なぜならチアは、世界を滅ぼす運命を背負った子供に対して、「魔王になるな」とも「世界を救え」とも言わないからです。彼が教えるのは命令ではなく、自己決定です。チアはキッドに「魔王の定義は自分で決めなさい」「何になりたいのかは自分で決めるのです」と語ります。チアは「生まれによって定められた運命」より、「自分で考えて選ぶこと」を重視します。チアは「キッドに与えられた役割」より、「キッド自身の意思」を重視します。

そして最終的にチアは、「キッドが自らのまごころによって自分を浄化し、忌まわしき結晶をこの世から消し去る」という途方もない仮説を立てます。チアは感情を理性の反対側に置きません。彼は「まごころによる救済」を願望や奇跡ではなく、一つの理論として扱うのです。

だからこそ私は、チアを「愛の力を信じるマッドサイエンティスト」と呼びます。彼は狂気の科学者です。しかし同時に、彼は運命より選択を信じる教育者であり、一人の子供の成長を見守る父でもあります。そして何より、その思想は『回転むてん丸』という作品全体の核心にも深く関わっています。この記事では、チアという奇妙で魅力的な人物について紹介します。

クロセル・キシレールを裏切る共犯者──チア・ヴェンタ・ゾアの初登場

チアは『回転むてん丸』の第二期において、最初から味方として登場する人物ではありません。むしろ初登場時の彼は、かなり怪しいです。というより、ほとんど彼は悪役です。彼が最初に、メガディス社の社長クロセル・キシレールが進める「最強のヒーロースーツを開発する計画」の協力者として登場します。

当時のクロセルは、ヒーローとして戦うことへの強い執着を抱いていました。彼は幼い頃から身体が弱く、ヒーローになれませんでした。そのため成長後は技術者となり、ヒーローを支援する企業メガディス社を築き上げます。しかし、クロセルはそこで満足できませんでした。彼は「支える側」ではなく、「戦う側」になりたかったのです。

その願望の果てにクロセルが手を伸ばしたのが、忌まわしき結晶でした。忌まわしき結晶は、人間の願望を増幅し、強大な力を与える代わりに人格や理性を蝕む危険な物質です。彼はその力を利用しようと考えました。彼は究極のヒーロースーツを完成させるために、怪物を生み出し、ヒーローたちと戦わせていました。

チアは、その研究に協力する科学者として登場します。つまり彼は、怪物騒動の被害を止めようとする側ではなく、その原因を作り出していた側の人物だったのです。しかもチアは、自分の立場に後ろめたさを感じているようには見えません。彼は研究者として淡々と行動し、忌まわしき結晶の力に強い関心を示します。

むてん丸がクロセルと激突したときも、彼は戦況を見守りながら興味深そうに観察しています。そしてクロセルが忌まわしき結晶の力を解放したとき、チアはそれを誇らしげに眺めます。チアはクロセルを「私の研究で結晶の力を得た戦士」と呼び、自らの成果を見せびらかします。更に彼は、「トゥナ、見てるかな?」と呟きます。この時点では、なぜ彼がトゥナに呼びかけているのかはわかりません。ただ一つわかるのは、チアがこの研究に個人的な理由を持っているらしいということです。しかし、その理由はまだ読者には明かされません。

そして物語は、更に奇妙な方向に進みます。クロセルはむてん丸との戦いに敗北します。クロセルは忌まわしき結晶の力も失います。クロセルが追い求めてきた「最強のヒーロー」という夢は崩れ去りました。普通の悪役なら、ここで部下が主君を助けたり、再起を誓ったりするでしょう。しかしチアは違いました。

チアは敗北したクロセルに対して、一切の忠誠心を見せません。それどころか、チアはメガディス社のビルを爆破します。理由は単純です。チアにとって、メガディス社のビルが「用済み」になったからです。その判断には躊躇も感傷もありません。つい先ほどまで協力していた相手の企業を、チアは自ら爆破してしまうのです。この時点のチアは、人間関係より研究を優先する冷徹な科学者にしか見えません。実際、ここまでの描写だけを見るなら、彼は典型的なマッドサイエンティストです。

ところが、『回転むてん丸』はここで終わりません。爆破されたビルの瓦礫の中で、チアはある存在と出会います。それが後に彼の人生を大きく変えることになる、忌まわしき結晶から生まれた奇妙な子供──キッドでした。そしてここから、読者が想像していた「悪の科学者」の物語は少しずつ形を変え始めます。

忌まわしき結晶から生まれた子供キッド

メガディス社のビルを爆破した後、チアは瓦礫の中で奇妙な存在を発見します。それは人間の子供によく似ていました。しかし、人間ではありませんでした。その子供は、忌まわしき結晶から生まれた存在だったのです。ここで改めて説明しておくと、『回転むてん丸』における忌まわしき結晶は単なるエネルギー源ではありません。それは人間の願望や欲望を増幅し、怪物を生み出し、人々を暴走させる危険な物質です。

これまで物語の中で忌まわしき結晶は、常に災厄の源として描かれてきました。そんな物質から、なぜ子供が生まれるのでしょうか。しかも、その子供は泣きもせず、自分が何者なのかも知りません。読者から見れば、どう考えても不吉な存在です。しかしチアは、その子供を処分しようとはしませんでした。研究対象として保管するわけでもありません。彼はその子供にキッドという名前を与えます。それが、後に『回転むてん丸』第二期の中心人物となる少年の名前でした。

ここからの展開が実に奇妙です。普通なら、危険な物質から生まれた未知の生命体など隔離されるでしょう。ところがチアはキッドを連れて帰り、育て始めます。しかもキッドの食事は普通の食べ物ではありません。忌まわしき結晶です。チアはキッドのために各地で忌まわしき結晶を収集し、それをキッドに食べさせながら、キッドの成長を見守ります。

客観的に見るとかなり危険な状況です。怪物を生み出す物質を食料にする子供と、その子供を育てるマッドサイエンティスト──どう考えても破滅的な未来しか見えません。そして実際、物語世界の住人たちも同じように考えます。忌まわしき結晶と戦う精霊は、キッドについて恐ろしい予言を語ります。その精霊は、「キッドは将来、魔王になり、世界を滅ぼす」と言います。その理由も明確です。忌まわしき結晶は、魔王を生み出す物質だからです。

つまりキッドは、単に危険な子供なのではありません。キッドは、生まれた瞬間から世界の敵になることが定められた存在なのです。しかし興味深いのは、『回転むてん丸』がこの設定を単純な善悪の物語として扱わないことです。なぜならキッド自身は、世界征服にも破壊にも興味を示さないからです。彼が知りたいのは、もっと根本的なことでした。

キッドが抱いているのは魔王の野望ではなく、「自分が何者か」という自己同一性への疑問です。そして、その問いに最初から向き合うことになるのが、養父となったチアでした。ここから『回転むてん丸』は、「魔王を倒す物語」ではなく、「魔王になると決められた子供が、自分で自分を定義する物語」へと少しずつ姿を変えていきます。その中心にいるのが、危険な研究者として登場したはずのチアなのです。

子供の意思と自立を信じる父──チアの教育思想

キッドが他の登場人物と少し違うのは、彼が最初から「自分は何者なのか」という問いを抱えていることです。海美・シーラは自由を求めます。シノブ・カジカはヒーローになりたいと願います。テツジン・グランキオは人間の心を知りたいと望みます。

しかしキッドの場合、その前提となる自己そのものが曖昧でした。なぜなら彼は人間から生まれたわけではないからです。キッドは忌まわしき結晶から生まれ、世界を滅ぼす魔王になると予言されています。出生も運命も、最初から決められているように見えます。だからこそ、キッドは繰り返し「自分は何者なのか」を問い続けます。

興味深いのは、チアがこの問いに対して答えを与えないことです。彼はキッドに、「お前は魔王ではない」とも言いません。逆に、チアはキッドに「お前は魔王として生きろ」とも言いません。チアが語るのは、全く別のことです。チアはキッドに、「魔王の定義は自分で決めなさい」「何になりたいのかは自分で決めるのです」と言います。

これは非常に特徴的な態度です。多くの物語では、大人は子供に正しい答えを与える役割を担います。しかしチアは違います。彼は答えを与えません。代わりに、答えを決める権利そのものをキッドに与えます。つまり彼は、キッドを導こうとしているのではありません。チアは、キッド自身が選べるように育てようとしているのです。この姿勢は物語の終盤で更に明確になります。

キッドはシック・ヴァラクロロフェノルによって特殊な傷を負わされた後、先代の魔王たちの記憶を吸収してしまいます。混乱したキッドは、チアに「お前は俺を見捨てるのか」と問いかけます。この場面は、『回転むてん丸』の第二期の中でも特に印象的です。なぜならキッドが求めているのは、運命についての答えではないからです。彼が確かめたいのは、自分が愛されているのかどうかです。

キッドの問いに対して、チアは「私がキッドを捨てるのは、キッドが自立したときだけであり、キッドが私を必要としなくなったときだけである」と答えます。これは非常に不思議な愛情表現です。普通なら、「何があっても見捨てない」と言う場面でしょう。

しかしチアは違います。彼は依存を愛情の条件にしません。むしろ、自立を愛情の到達点として語ります。必要とされ続けることではなく、必要とされなくなることを目標にしているのです。だからこそ、この言葉には強い信頼があります。チアは「キッドはいつか自分の足で立てる」という信念を前提にしているのです。

しかし、その直後に悲劇が起きます。キッドの暴走した力によって蔓がキッドの身体から生え、チアの身体を貫きます。チアは結晶の中に閉じ込められてしまいます。キッドは、自分がチアを殺したと思い込みます。絶望した彼の前に現れるのがシックです。そしてシックは、自らの命をキッドの魔王形態の燃料として捧げます。

こうしてキッドはついに魔王として覚醒します。世界を滅ぼすという予言が現実になろうとします。しかし、キッドは「本当に自分は魔王として生きるべきなのか」という迷いを捨てられずにいました。そのとき、彼の前に再びチアが現れ、「誰かに言われたことではなく、自分の目で見て考えることが大事」と語ります。ここでもチアは答えを与えません。チアが信じているのは善でも悪でもなく、選択する主体としてのキッドなのです。

そして最終決戦で、キッドは自らの意思で魔王形態を滅ぼします。それは予言への反抗でした。出生への反抗でした。そして何より、キッドが自分自身で選んだ結果でした。キッドの魔王形態が消滅したとき、結晶に閉じ込められていたチアも解放されます。戦いが終わった後、キッドは「俺は答えを見つけた。でも、それが正しいかどうかわからない」と言います。するとチアは「答えはいつでも変えていい」「複数の答えを持つのもあり」と答えます。

ここに至って、チアという人物の思想ははっきりと見えてきます。彼は運命を信じません。彼は絶対的な正解も信じません。彼は「一度決めた答えに縛られること」も求めません。彼が信じているのは、「自分で考え、自分で選び、必要なら何度でも選び直せる」ということです。だからチアは、魔王を育てた科学者であると同時に、自己決定を教えた父親でもあります。そして私は、この教育思想こそが、チアという人物を単なるマッドサイエンティストで終わらせない理由だと思っています。

愛を理論化する科学者

ここまで読むと、チアは奇妙な人物に見えます。彼は危険な研究を行う科学者でありながら、キッドには自分で考えることを教えます。彼は世界を滅ぼすと予言された子供を育てながら、その運命を押し付けようとしません。では、なぜチアはそこまでキッドを信じていたのでしょうか。その答えは、彼が忌まわしき結晶を研究していた本当の理由にあります。

チアが研究を続けていた理由は、たった一つでした。妹であるトゥナの願いを助けるためです。トゥナは忌まわしき結晶と戦い続けていました。そして兄であるチアは、トゥナの願いを別の角度から実現しようと考えます。ここで重要なのは、チアが忌まわしき結晶についてある事実を知っていたことです。

忌まわしき結晶は絶対に破壊できない災厄ではありません。それは、まごころによって浄化されます。普通の科学者なら、この現象を非合理的だと切り捨てるかもしれません。しかしチアは違いました。彼はそこで思考を止めません。むしろ逆です。彼は、「忌まわしき結晶がまごころで浄化できるなら、その原理を利用できるのではないか」と考えました。そして彼が辿り着いた答えが、キッドでした。

キッドは忌まわしき結晶から生まれた存在です。言い換えれば、結晶の力そのものが人格を持ったような存在です。だからこそチアは、「もしキッドが自らの意思で自分自身を浄化できたなら──もしキッドがまごころによって結晶の力を克服できたなら──キッドは結晶の力そのものを浄化し、この世界から忌まわしき結晶を消し去れるのではないか」と考えました。

これは非常に大胆な発想です。しかも興味深いことに、この計画は武力に依存していません。敵を倒すことでもありません。封印することでもありません。チアが目指しているのは、力を力で上書きすることではなく、力のあり方そのものを変えることです。だから彼はキッドを「兵器」として育てません。彼はキッドを「救世主」として育てることもしません。

チアはただ、キッドを「自分で考えられる人間」として育てます。なぜなら、この計画に必要なのは強さではないからです。キッド自身の意思だからです。誰かに命令されて行う浄化では意味がありません。運命によって強制される救済でも意味がありません。キッドが自ら選び、自ら望み、自らのまごころによって自分を変える──その瞬間にこそ、チアの理論は完成するのです。

だから振り返ってみると、第4章で紹介したチアの教育方針も別の意味を帯びて見えてきます。「魔王の定義は自分で決めなさい」「何になりたいのかは自分で決めるのです」という言葉は、単なる教育論ではありません。それは、キッドを信頼するという決意でもあります。

チアはキッドを制御しようとしていたのではありません。チアは、「キッドは自分自身の答えに辿り着ける」と信じていたのです。つまりチアとは、愛の力を信じる科学者ではありません。もっと奇妙な人物です。彼は、愛の力を理論化し、その可能性を証明しようとした科学者だったのです。

悪から生まれた子供は愛と希望の理論を証明した

『回転むてん丸』第二期の最終決戦は、単なるヒーローと魔王の戦いではありません。それは一人の子供が、自分自身についての答えを見つける物語でもあります。この時点でキッドは魔王として覚醒しています。キッドは先代の魔王たちの記憶を受け継ぎ、圧倒的な力を手に入れています。予言は現実になったように見えます。忌まわしき結晶から生まれた子供は、ついに世界を滅ぼす魔王になりました。

もしこの物語が運命論の物語なら、ここで結末は決まっていたでしょう。しかし『回転むてん丸』は、最初から別の物語でした。むてん丸は仲間たちの協力によって、キッドの魔王形態の核へと到達します。そこで彼が見たのは、世界を憎む怪物ではなく、苦しむ子供でした。キッドは長い間、自分が何者なのかわからずに生きてきました。彼を苦しめていたのは、世界への憎しみではありません。答えのない問いでした。

だからこそ、この最終決戦で重要なのは力ではありません。むてん丸はキッドを打ち倒そうとしません。彼はキッドに手を差し伸べます。その優しさに触れたとき、キッドは養父チアとの記憶を思い出します。キッドはずっと答えを探していました。しかし振り返ってみれば、その旅路の中で、キッドは既に答えの一部を受け取っていたのです。

むてん丸の友情を受け入れた瞬間、キッドは「自分は魔王として生きる必要はない」と理解します。そして、その瞬間に奇跡が起きます。キッドは自らの意思で魔王形態を滅ぼします。キッドは誰かに倒されたのではありません。キッドは封印されたのでもありません。キッド自身が、自分の中にある魔王を否定したのです。ここで証明されたのは、単なる友情の勝利ではなく、チアの理論です。

愛と希望によって世界を救う──言葉だけなら非常にロマンチックです。しかしチアは、それを感傷として語りませんでした。彼は研究し、観察し、仮説を立て、キッドを育てました。そして最後に、その理論は証明されます。だからこの場面は、「愛の力が勝った」というよりも、「愛の力が実証された」と言った方がチアらしいのかもしれません。

更に興味深いのは、この結末が『回転むてん丸』の善悪観そのものを象徴していることです。キッドは忌まわしき結晶から生まれました。文字通り、悪の力から誕生した存在です。しかし彼は自分が何者なのかを問い続け、苦しみ、悩みました。そして最後には、彼は他者との絆を受け入れました。彼は「悪魔らしくない悪魔の子」です。

一方で、シックは元々、普通の人間でした。しかし彼は怪物であることを受け入れ、人々の願いを利用し、契約によって他者を怪物へ変えていきました。彼は「悪魔らしい人間」です。この対比は非常に象徴的です。

悪から生まれた者が善を選び、人間として生まれた者が怪物になるのです。そこでは出生も種族も本質ではありません。何者として生まれたかではなく、何者になることを選ぶのかが重要なのです。だから『回転むてん丸』の最終決戦には、「人間だから善」「怪物だから悪」という単純な構図は存在しません。そこにあるのは、自分自身をどう定義するのかという問いです。

そしてキッドは最後に、自分自身の答えを選びました。その選択によって魔王は滅び、チアは救われ、忌まわしき結晶も消え去ります。つまり世界を救ったのは、予言でも運命でもありません。自分で考え、自分で選ぶという、一人の子供の意思だったのです。

なぜオタクはチアを好きになるのか

チアについて語るオタクたちは、だいたい似たような言葉を使います。

  • 「情報過多」

  • 「妹が好きすぎるシスコン」

  • 「ビルを爆破するマッドサイエンティスト」

  • 「子供を拾うマッドサイエンティスト」

どれも間違っていません。実際にチアは妹のために危険な研究を続けています。彼は共犯者だったクロセルを裏切ります。彼は研究施設として使っていたメガディス社のビルを爆破します。彼は瓦礫の中から見つけた謎の子供を育てます。改めて並べてみると、本当に情報量が多いです。オタクたちが「情報過多」と呼ぶのも無理はありません。実際、pixivにおける作品数を見ても、チアは『回転むてん丸』の中でもかなり人気の高い人物です。

しかし私は、チアの魅力は単なる属性の多さではないと思っています。確かに彼は奇妙です。しかし、その奇妙さの中心には一つの一貫した思想があります。それは、「人は自分で考え、自分で選ぶべきだ」という考え方です。チアは研究者です。そして彼は研究という営みを深く信じています。だからこそキッドに対して、彼は「誰かに言われたことではなく、自分の目で見て考えることが大事」と語ります。

この言葉は単なる人生訓ではありません。研究者としての信念そのものです。研究とは「権威を信じること」でも、「誰かの答えを暗記すること」でもなく、「自分で観察し、自分で考え、自分で結論を出すこと」です。だからチアは、キッドに運命を押し付けませんでした。彼はキッドに「魔王になれ」とも、「魔王になるな」とも言いません。彼はキッドに答えを与えるのではなく、答えを探す方法を教えます。それがチアの教育でした。そして私は、この姿勢こそが彼を単なるマッドサイエンティストから特別な存在にしているのだと思います。

更に面白いのは、チアが何に忠実で、何に忠実でないのかが非常にはっきりしていることです。チアは家族に忠実です。彼は妹トゥナの願いを助けようとします。彼はキッドを育てます。彼はキッドが自立する未来を信じます。しかしその一方で、彼は組織に対して全く忠実ではありません。研究のために協力していたメガディス社が不要になれば、チアはメガディス社のビルを爆破します。

社長であるクロセルが敗北したときも、チアはクロセルを助けません。チアはむしろ、クロセルを平然と置いていきます。そして戦いが終わった後も、ビルの弁償を求めるクロセルに対して、チアは真面目に対応しません。チアは笑いながら「また今度」と言って逃げようとします。もちろんクロセルは怒ります。そして結局、チアは捕まります。

この場面は非常に面白いです。なぜならチアは冷酷な人物ではないからです。チアの家族への愛情は本物です。チアのキッドへの愛情も本物です。しかし同時に、会社への忠誠心や組織への帰属意識は驚くほど薄いのです。彼は善人でも悪人でもありません。組織人でもありません。彼はどこまでも研究者なのです。彼は自分の目的を持ち、自分の仮説を持ち、自分の信念に従って行動します。その結果として、家族には献身的でありながら、会社は平然と爆破するという奇妙な人物になっています。

だからチアは分類しにくいのです。彼は「悪役」とも、「善人」とも言い切れません。彼は父親でもあり、科学者でもあり、教育者でもあり、マッドサイエンティストでもあります。そして、その全てが矛盾せずに同居しています。私は、オタクたちが本当に好きなのは「ビルを爆破するマッドサイエンティスト」という表面的な面白さだけではないと思っています。チアの魅力はむしろ、その奥にある一貫性──研究を信じること、子供の意思を信じること、家族を愛すること、まごころの力を信じること──だと思います。

チアは奇妙な人物です。しかし、その奇妙さには筋が通っています。だから彼は印象に残るのです。そして私は今でも不思議に思います。研究と家族を愛し、自己決定を尊重し、愛と希望の理論を証明しようとしたこんなマッドサイエンティストが、どうしてくら寿司の販促漫画に登場しているのでしょうか。しかし、『回転むてん丸』という作品を知れば知るほど、その問いは別の形に変わっていきます。もしかすると、『回転むてん丸』がおかしいのではありません。私たちが「販促漫画に濃密で真剣な登場人物が出るわけがない」と思い込んでいるだけなのかもしれません。

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