闇 613(師匠の墓参り編)
闇 613(師匠の墓参り編)

2026/07/16 thu
※1971年から書き始めて、とうとうこのシーンを書けるのだなという喜び。博多の部屋から見える景色がカンカン照りの昼間から、執筆に没頭して気付けばすっかり夜になっていた。でもこれはとても幸せな事である。
前回の章

二千二十三年七月一日、土曜日先勝。
夏、夏、太陽の照りつける夏!
暑い日差しの中を歩きながら、中央小学校の卒業式を思い出す。
一人一人が声を発しながら進行していくけど、「もうじき六年」という台詞を「もうじき六年生」と予行練習の際、大声で叫んだ俺は、当時体育館で爆笑の渦に包まれたあと担任の市倉利子に役割を外された。
こういうのって五十一歳になっても心に傷までと言わないまでも、案外しこりとして残っているもんなんだな。
ジャンボ鶴田師匠の墓参り、約一週間。
体調を崩さず塩山へ向かわないとね。
今日も大久保駅北口徒歩一分の場所にある駅前接骨院へ行き、高周波を掛けてもらう。
二千二十三年七月二日、日曜日友引。
七月でこんな暑いのに、八月になったらどうなるんだ?
そんな不安に駆られつつも、河本マンションの光熱費を少しでも節約しようとエアコンを入れずに我慢。
扇風機で何とか急場を凌ぐ。
それでも今月も、どうせ三万円以上請求されるんだろうな……。
二千二十三年七月三日、月曜日先負。
仕事から帰るとベタついた肌を洗うのに、水風呂へ入る。
ガス代も掛からないしいい事だ。
二千二十三年七月四日、火曜日仏滅。
暑苦しい中、大汗を掻いた状態で起きると夕方になっていた。
蒸し風呂のような中、よくもここまで眠れたものだ。
久しぶりの寿楽へ向かう。

青椒肉絲丼のセットを注文し、半ラーメンと餃子二つを有難く頂く。

このまま何事もなく八日の墓参りを迎えたいものである。
今日も時間になると、インカジ『レディ』へ出勤した。
二千二十三年七月五日、水曜日大安。
もうちょいで山梨県塩山のジャンボ鶴田師匠の墓参りへ。
今回予約した宿、宏池荘のホームページを眺めてみる。
何といっても写真では豪勢な食事が最大の楽しみ。

酒を飲みながら鶴田師匠の現役時代を語りつつ、酔ってその場でクテッと眠れる環境。
こんな事なら一泊だけど、二泊くらいにしとけば良かった。

仕事を終え、ゆっくり睡眠を取ってから、駅前接骨院で高周波。
あれだけ気になった腰も、そのお陰か随分楽になってきた。
二千二十三年七月六日、木曜日赤口。
串市場んで、以前新大久保駅近くにもの凄い旨いと評判のお好み焼き屋があったと聞く。
だが、おばあさん一人で営んでいた為、後継ぎ問題で数年前に閉店したようだ。
粉を練って焼くのがお好み焼き。
山芋を入れるとか、より質のいい肉を使うとかして美味しさの微調整は分かるが、何故ここまで語り草になるのかを聞いてみる。
すると大阪出身のマスターは、かすが入っていると言う。
ここでいうかすとはホルモンを揚げたものらしい。
そんなものが本当に旨味の秘訣なのか?
「かす言うんわ、牛の小腸などのホルモンをじっくりと時間を掛けて揚げ、余分な脂と水分を抜いた食材の事を言いますんや。外側はカリカリ、中はプルプルとした独特の食感があり、旨味がギュッと凝縮されているのが特徴なんですわ」
味道楽のマスターがそこまでいうお好み焼き。
それが西武新宿駅北口のほうの焼肉屋が、味を継承したと聞く。
調べてみると以前幸永だった店が、お好み焼き兼焼肉というスタイルになったようだ。
そういえばあの幸永が別の店に変わったなあと、あの辺歩いた時感じた事がある。
あそこの焼肉も、久しく行っていない内に、そんなお好み焼き屋を継承していたのか。
明日辺り早めに起きられたら、食べに行ってみよう。
俺はチェックを済ませると、インカジ『レディ』へ出勤した。
二千二十三年七月七日、金曜日先勝、小暑。
猛烈に腹が減って目が覚める。
時刻はまだ夕方四時。
さすがに幸永おおさか苑も、まだ営業していないだろう。
五時ぐらいには開くだろうと見切り発車で西武新宿駅へ向かった。
しかし開店は七時から。
まだ出勤するには早いし、また河本マンションへ戻るにも面倒臭い。
オスロバッティングセンターの斜め向かいにあるタイ式マッサージへ入る。
この店もラッキーハウス時代から通っているので、十年は経たないまでもそこそこ長い付き合いになっていた。
「社長サン、焼肉行くカ?」
マッサージの腕はいいが、過去何度か焼肉屋へ連れて行った為、すっかりタカり思考になっているタイ人女。
俺が機嫌いい時なら、ある程度の事は笑いながら了承するのを承諾している。
一度も口説いた事すらないが、出稼ぎに来ているのでその辺の嗅覚は鋭い。
まあお好み焼き屋へ一人で入るよりは、二人連れのほうがいいだろう。
西武新宿駅前通りの幸永おおさか苑へ行く。
まだ開店したばかりで客の入りは少なかった。

タイ人は焼肉屋じゃない事に不満を漏らすが、牛タン塩が置いてあるのを見ると目を輝かせる。
「社長サーン、私牛タン食べたいネ」
「別に頼んでもいいけど、いい加減その社長サンはやめろ」

かすを入れたほうがいいと聞いていたので、豚玉、イカ玉にかすを半分ずつ入れて自分で焼いてみるも、ボールに入った段階で肝心の粉を解いた生地が少な過ぎて、混ぜようにもこれで本当にいいのか不安になってくる。

イマイチうまく焼けず、結局店の人を呼んで焼いてもらう。

脂かすの入ったお好み焼きはそれなりに美味しかったが、絶賛するほどでもなかった。
それにしても、ここの女性店員は美人が多い。
タイ人女など連れてこないで、一人で入れば良かったと後悔したほど。
さて、明日は鶴田師匠の墓参りで山梨県塩山へ。
まだ出勤まで時間があったので、タイ式マッサージの店で少し睡眠を取ってからインカジ『レディ』へ出勤した。
二千二十三年七月八日、土曜日友引。
少し睡眠を取ってから、九時半に新宿駅で岡部さんと待ち合わせ。
先に着いた俺は、みどりの窓口で往復の特急券を購入。
片道三千六百七十円。
運賃自体は二千九十円で、指定席特急券が千五百八十円といった内訳らしい。
二人分七千円ちょっとで、塩山まで行けるのかというちょっとした興奮が全身を走る。
コーヒースタンドでモーニングを食べながら、鶴田師匠の亡くなった時に放映された特集映像を眺めた。
この時からもう二十三年も経ったのか。
本当に若い頃から鳴り物入りで全日本プロレスへ入団し、第一線を走り続けたジャンボ鶴田師匠。
プロテスト合格で浮かれて前日に酒を飲み、警察に捕まってぽしゃった俺などと鼻っから格が違う。
でもあの時坊主さんに背中を押され、強引にたまプラーザにある合宿所へ押し掛けたから、師匠との出会いが訪れた。
肩を叩かれ振り向くと、岡部さんが立っていた。
新宿駅九番十番ホームから特急かいじに乗るのは事前に調べてあったので、酒でも買おうと駅弁屋を発見。

俺はチキン弁当、岡部さんは鯖寿司と唐揚げ。
特急かいじが到着し、いよいよ山梨県塩山へ向かう。

乗車時間は一時間二十分。
プロレス話に花を咲かせながら酒を飲んだ。

あっという間に、塩山駅へ到着。
以前行った八王子や福生市へ行くのとそう変わらない事に驚く。
山梨県甲州市塩山上於曽にあるJR東日本中央本線の駅。
ここが鶴田師匠の生まれ育った場所……。

驚いたのが、駅構内のコンビニエンスストアが営業していないという事。
そして降りる人もほんの数名しかいない寂れた駅だった。
手前で停まる大月駅のほうが、栄えている感じがする。
北口を出ると、すぐ右手に武田信玄公之像が見えた。

ここは武田信玄縁の地らしく、駅前にそびえる立派な像。
駅近辺のマップを見ながら、この辺は温泉地帯なのを知る。

小さなロータリーがあるだけで、辺りには飲食店が一軒も見当たらない。
道路へ出て目を凝らし、少し歩いた場所に看板が見えたが、どう見てもまだ営業していないようだ。
「智一郎、タバコ吸える場所はないのかな?」
「逆口行ってみます? 多分鶴田師匠の墓はこっちの出口からなんですけど、タクシー一台も見えないですし」
俺たちは再び駅を通って南口へ向かう。
何羽かの燕が近くを飛んでいる。
よく見ると、駅構内の階段のところに燕の巣があった。
「岡部さん、燕の巣があんなところに二つもありますよ」
「のどかでいい場所だなあ」
普段いる新宿ではあり得ない光景に感動を覚え、階段を降りる。
まだ南口側のほうが栄えているようで、土産物屋の他に飲食店が二軒ほど駅前に並んでいた。
こちらは大きなロータリーがあり、タクシーの運転手が暇そうに外で立ち話をしている。
タバコを吸い終わると、早速タクシーへ乗った。
「あのー…、この辺のお寺で……」
「ああ、恵林寺でしょ。武田信玄ゆかりの」
「いえ、そこじゃなくてジャンボ鶴田師匠の……」
「はいはい、慶徳寺のほうね」
「そうですそうです! 調べたらバスもあるけど、途中までで歩いて行かないといけない場所みたいなんで」
「よくファンの方がお見えになりますよ」
「まずはそこへお願いします!」
辺り一帯山だらけの塩山。
ここで師匠は育ち、あんな業績を残していったのだ。
途中でジャンボ鶴田園と書かれた看板が見える。
確かここって師匠の実兄が経営しているんだよね。
帰りに寄りたいなあと思ったが、今日は営業していないようだった。

巨峰やシャインマスカットのぶどうで有名らしいけど、俺フルーツそんな好きじゃないんだよね。
窓の外から見える緑の山々をひたすら眺め、十五分ほどで慶徳寺へ到着。
辺りには俺たちしかいない。
でも目の前にはジャンボ鶴田師匠の墓が大きくそびえ立っているのが見える。

鶴田師匠の墓前にて、岩上智一郎二十三年ぶりの対面。
岡部さんが気を利かせてくれ、運転手に言ってタクシーを待たせてくれた。
「智一郎、写真撮らないでいいのか?」
「お願いします!」
かつて師匠が全日本プロレスのリングの上で何度も右腕を突き上げて「オー」とやったパフォーマンス。
俺も同じように自然と右腕を上げていた。

違うだろって。
こんな事をしにきたんじゃないって。
二千年からこれまでの報告だ。
師匠、まずね、二千二十一年の十月、コロナワクチン打ったら翌日心臓が痛くなり我慢したけど、一週間後また地獄の苦しみでのた打ち回り病院へ行った。
家から五分程度の距離を途中で三回も倒れ、さすがに「三回目は起きれない…、このまま朽ち果てるのか……」と思ったら、すごい強い力で起こされた。
あれって鶴田師匠ですよね?
この時ね、俺は少なくとも師匠が救ってくれたのかなって感じた。
死に掛けながらも病院へ着くと、この一週間で心筋梗塞を二度も起こしていると。
医者もよく生きていたと驚いていました。
でもね、師匠言っていたじゃないですか。
プロレスラーは何を食らっても壊れちゃいけないって。
何の取り柄も無い俺だけど、教えだけは守ってますよ。
今日はね、墓参りの為だけにここへ来たんですよ……。
俺の方が年上になっちゃったけど、二十三年もこんな時間空けてしまい、本当にすみませんでした鶴田師匠。
気付けば俺は墓前で跪き、自然と土下座をしていた。

ほんと不肖の弟子ですみません。
結果も成果も出せず、すみません。
墓参りすらもこんな遅くにすみません。
感謝と懺悔しかないです。
師匠、俺ね……。
当時俺なりにちょっとは頑張ったんですよ。
あまり結果出せなかったけどね。
師匠と初めて会った頃二十歳くらいの時、線の細かった俺に「センスあるからもっと身体多くしよう」って言われ、ひたすらそれだけを考えて生きました。
師匠が亡くなった二千年に総合格闘技出て、俺、不完全燃焼だったけどレスラーの強さをちょっとは見せられたなと思っています。
そのあと一人の女に惚れて、いきなり三十歳からピアノ始めて。
でもね、俺頑張ってドビュッシーの月の光を丸暗記して、二千三年に川越市民会館でピアノ発表会で演奏したんですよ。
信じらんないでしょ?
そのあと二千四年になって初めて小説書き始めて、二千六年に岩上整体立ち上げてね。
二千七年夏に、処女作が文学賞を取れ、二千八年に全国出版して。
その四日後にまた総合格闘技の試合出て……。
やっぱりリングの上っていいもんなんですよね。
自分の選曲した好きなテーマ曲に乗って入場する瞬間が、最高に気持ちいいんですよね。
だって全部観客の視線が、自分に集まるんだから。
俺ね、本当は師匠にもっと早く報告したかった。
人生はチャレンジだと言い残して先に逝っちゃうから、本当俺も大変でしたよ。
あ…、二千八年から俺って、何の努力もしてなかったですね……。
まだまだ精進しますから!
「もういいのか?」
「岡部さんは写真撮らないでいいんですか?」
「俺はいいって。じゃあタクシー待たせているから、そろそろ行くか」
「はい!」
じゃあ鶴田師匠、また来るかは分からないけど、俺まだまだ頑張って生きますからね。
塩山駅から鶴田師匠の慶徳寺までタクシー往復で約六千円くらい。
これは俺が格好をつけて小銭をチップで運転手にあげたからで、正確には五千三百円くらいか。
「おまえ、電車賃もタクシー代も全部払ってんじゃねえかよ」
「いいんですよ。今日は逆に付き合ってもらっているんで」
予約した宏池荘という旅館まで駅から徒歩十五分程度。
俺たちは地図を見ながらゆっくり向かう。
行く途中、街中華の店を発見。
美㐂松という中華料理の店。

店内へ入っても誰の姿もいない。
大声で呼ぶと、しばらくして奥から声が聞こえた。
普段客などそう来る事がないのだろう。
店内に貼られたメニューを眺める。

ラーメンが六百円、カレーライスは七百円。
全体的に安い料金のところだ。

「俺は餃子とカレーライスにします。岡部さんはどうしますか?」
「さっき電車で駅弁食べたろ。俺はビールでいいよ。餃子をちょっとだけつまみにもらうから」

店内のテレビでは『どうする家康』というNHKの大河ドラマが流れていた。
岡部さんはこの番組を楽しみに見ているそうで、色々ないきさつを説明してくれる。
大河ドラマなんて最後に観たのはいつだろう?
小学校の時の『おしん』が最後じゃないか?
地元川越が舞台になった『春日局』ですら観た事がないのだ。
有村架純が出ていたので、そのシーンだけは熱心に凝視する。
おそらく俺は可愛い系の顔立ちの女性が好きなのだろう。

美㐂松でも料金を支払うと、岡部さんが「おまえ、ふざけんなよな」と逆に笑いながら怒ってくる。
本当に昔から世話になった先輩との時間は楽しい。
親しいからこそ、無駄にお金など使わせたくないのだ。
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