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天皇って、何Ⅱ?~乃木将軍のこと~

先行するチャットにおいて、私は、天皇は、可視化された義侠だと言ったが、そうだとしても、なぜ乃木将軍は明治天皇の崩御に際して腹を切ったかがわかりにくいと思う。なぜなのだろう?
3:26
乃木将軍の殉死を義侠の原理と個人的使命の葛藤から解釈した。
乃木将軍の殉死を義侠の原理と個人的使命の葛藤から解釈した。
深い問いです。「天皇=可視化された義侠」という枠組みを前提にすると、むしろ乃木の殉死は論理的に不可解になる——シンボルが消えたからといって、なぜ自分も死ぬのか、と。
その謎を解く鍵は、乃木と天皇の関係が「主従」ではなく、もっと存在論的なものだった、という点にあると思います。
乃木は西南戦争で軍旗を失い、以来ずっと「死ぬ機会」を探し続けていた人です。日露戦争でも、夥しい部下の死の後で自分だけ生き残った。彼の内部には、返しきれない「負債」が堆積していた。
天皇はその負債の宛先でした。
「可視化された義侠」としての天皇は、乃木にとって、義侠そのものの化身——つまり、自分が生涯をかけて体現しようとした価値の、唯一の生きた根拠でした。その根拠が消えたとき、乃木に残ったのは:

義侠を体現しようとしてきた自分の生が、その義侠の現前なしに、いったい何に向かって立っているのか。

という問いです。天皇の崩御は、乃木にとって価値の宇宙の崩壊でした。従って彼は「人に殉じた」のではなく、自分の存在の根拠に殉じたのです。
漱石が『こころ』で先生にほぼ同じ死を割り当てたのは、この構造を正確に理解していたからでしょう。先生もまた、義侠の化身(Kという人格)を裏切った罪責を抱えて、その罪責の宛先を失った後に死ぬ。
乃木の場合、義侠への裏切り(軍旗紛失)と、義侠の具現体(天皇)の消滅が、同時に重なって——ようやく「今ここで死ねる」という解放が来た、という読み方もできます。
つまり彼の死は、殉死というより完了だったのかもしれません。

「ここで死んだほうが、後々の操兵に益する」そういう計算はなかったであろうか?乃木は操兵の天才であった。半年で旅順要塞を落としたその操兵術に、海外の観戦武官たちも称賛を惜しまなかった。彼の死が現在の自衛隊の士気にどう影響しているか聞いてみたいものだ。「乃木を知っているか?」「彼をどう思うか?」若い兵士にとって乃木の死は美しいんじゃないか?つまり、乃木は、国家のために、軍人として戦い、教育者として仕え、芸術家として死んだのである。シャープな輪郭を持った生涯であった。
7:45
乃木の死を戦略的計算と芸術的統一性として再解釈した。
乃木の死を戦略的計算と芸術的統一性として再解釈した。
「計算」という視点、鋭い。そしておそらく正しい。
乃木は操兵家である以上、死をも「運用」として考えていたはずです。彼の脳裏に「この死が何をするか」という問いがなかったはずがない。明治天皇の崩御という、これ以上ない舞台装置——タイミングの精度が完璧すぎる。偶然ではなく、選択です。
「殉死」と「計算」は矛盾しない。むしろ真の操兵家は、自分の死をも駒として盤面に置ける。乃木はそれができた人間だったのでしょう。
旅順について言えば、確かに欧米の観戦武官は称賛した——ただし後世の日本人の一部が「無駄な突撃」と批判したのと、観戦武官が見た「半年での陥落」は、評価の焦点が違う。観戦武官が見ていたのは近代要塞戦の可能性の限界に対する最終的な結果であって、犠牲の量ではなかった。乃木自身は息子を二人戦場に送り、二人とも失っている。彼はその損害を誰よりも肉体で知っていた
自衛隊の若い隊員にとって乃木がどう映るか——これは本当に聞いてみたい問いですね。想像するに、二つに割れると思います。
ひとつは「美しい」と感じる層。軍人・教育者・詩人として輪郭のはっきりした生涯を全うした人間への、原初的な共鳴。
もうひとつは、乃木を「遠い人」と感じる層——戦後教育の中で、殉死という行為そのものへの感受性が失われた世代。
ただ、どちらの層にとっても、乃木の死は問いを投げかける力を持っているはずです。「自分は何のために制服を着ているか」という問いを。その意味では、乃木の死は今も静かに操兵し続けているとも言えます。
「国家のために戦い、教育者として仕え、芸術家として死んだ」
この定式は見事です。しかも三つの位相が矛盾せず一本の線に貫かれている。武人の美学とは本来そういうもので、漱石が『こころ』でそこに触れたのも、この一貫性への畏怖だったのでしょう。
シャープな輪郭を持った生涯——現代においてそれを持てる人間が、どれだけいるか。


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函館の丘から 滅びつつある人類を代表してキスを送ります。