『今日も世界で誰かが虚しくなっている。最後はヘッドスライディングという文化編』
夏の甲子園大会1回戦。
9回裏ツーアウトでランナー無し。
スコアは0対7で負けている。
この絶望的な場面で打席に入って考えている事は、ヒットやホームランを打つ事でも、フォアボールやデッドボールでもいいから出塁して次に繋ぐ事でもなく・・・
ヘッドスライディングを決める事だった。
野球に興味が無い人間でも、最後のバッターが内野ゴロを打って一塁にヘッドスライディング。
だがアウトになって試合終了という映像を一度は見た事があると思う・・・
それを今からやろうとしている。
だって、この国には最後はヘッドスライディングで終わるという文化があるからだ。
次のバッター(仲間)に責任転嫁するつもりはない。
ほぼ負けが確定している場面で甲子園に出てる高校球児が内野ゴロを打って最後にヘッドスライディングしないなんて法律違反・・・
いや憲法違反レベルに罪深い。
この思想も、全て最後はヘッドスライディングで終わるという文化の影響なんだろうな・・・
アルプススタンドを埋める選手の家族、控えの野球部員、吹奏楽部やチアリーダー、在校生、教員、野球部OB、卒業生・・・
そして試合中継を観ている全国の視聴者達から「最後にヘッドスライディング決めろよ」という心の声が聞こえてくる・・・
完全に被害妄想だ。
小学3年生から始めて野球歴10年。
高3最後の夏、エースで四番としてチームを甲子園まで導いたのに、気付けばヘッドスライディングの事しか考えられない体になっていた。
文化は時に罪だ。
女手一つで育ててくれた母さん・・・
あなたの一人息子は今、ヘッドスライディングを決める事だけを考えています・・・
でもね、三振やフライで終わるのは何だかもったいない・・・
どうせ散るならヘッドスライディングで散りたいと思っているのも事実なんだ。
でも、ファーストゴロなんか打って早々にアウトが確定した後にヘッドスライディングをしても・・・
ちょっと見てられないので理想はショートゴロ。
*
狙い通りショートゴロを打って無事に一塁ベースにヘッドスライディングを決めた。
そして高校最後の夏が終わった。
試合には負けたけど、責任は果たせた気がして安堵している。
だけど、これで正しかったのかなぁ?
『今日も世界で誰かが虚しくなっている』
