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これは病気なんでしょうか。

「どうしても見たい投稿があって、仕方がなくアプリをインストールして、適当なアカウントをその場で作って、その投稿だけを覗いてみるんです。もちろん、それが終われば二度と入れないように、パスワードは上を向いて入力するし、アプリも直ぐにアンインストールしますよ。

そう、Instagramのことです。もう三年近く前に、それまでずっと使用していたアカウントを全削除して、その世界からは完全に距離を置きました。でもね、怖いんですよ。毎回、どうしても見てみたい投稿があると、開かざるを得なくなるんです。それは過去に置いてきた記憶にもう一度触れたいということではなく、今という時間軸において気になっていることなのです。だって、そこまで過去に恐怖感を抱いて、今を不自由に生きるべきではないでしょう?

でも、自分のデバイスにそのアイコンがあると不快に感じてしまうのです。アイコンを開こうとすると、一気に緊張してしまう。過去とは全く関係のない一時的なアカウントを操作しているというのに、過去に置いてきた「彼ら」に見つけられてしまう気がして手が震えてしまうのです。実際に、「彼ら」の一部は、何故かリコメンドで僕の画面に浮上してくるんです。三年前と変わらないプロフィール画像を使っているんだなとか考えてしまって、二度と思い出したくなかった人のアカウントが突然目の前に現れるんです。呼吸もしていない、ただの写真でしかないし、それは本人でも何でもない趣味を映したものだったりするのに、街中で本人に遭遇してしまったかのような衝撃を覚えるのです。

「彼ら」の一部とは、確かに何かいざこざのようなものがあったような気がします。でも、恐怖感を覚える程度の何かではなかったような気もします。ただ、それは今となってはもうずっと昔のことに思えます。全て二十歳を迎える前の、もっと無知で若い頃の出来事なのです。それでも、その一部だけでなく、いつの間にか過去の関係性のほとんどが、「彼ら」のほとんどが怖いのです。

そして、操作する手が震える程のストレスを強いられているにもかかわらず、怖いもの見たさにそのうち一つをタップしてしまうのです。鍵がかかっていないと、そこから知っているアカウントを次々に覗いていって、自らより不快な気分に浸ろうと努めるきらいがあるようなのです。もちろん、何かの拍子に、「こんなこと、もうやめよう」と思い直して、やはりアプリごと目の前から消滅させます。

その後に残るのは、非常に悲しいという感情です。幸い、特別強いトラウマのような出来事は経験したことがありませんでした。ただ、長いこと一つの世界から置いていかれて、忘れられて、ある時点からの存在を失ってしまったような気分になるのです。

はい、確かに。当時はそれを望んでいたというのも事実ではあります。誰にも自分のことを好き勝手に語られることを恐れていたし、思い出してほしくない、忘れてほしいという強い気持ちがありました。調子が絶好調の時は、人前に出ても構わないのです。むしろ、積極的に自分から出ていくこともできていました。しかし、落ち目を感じると、その途端すっと存在を消したくなりました。良い面だけを知っておいて欲しかったし、それだけを僕として認識して欲しかったのです。ある時、物事が悪い方向に進行しているのを感じ、その流れで全てを削除しました。

そうですね、確かに矛盾しています。単純に、過去の身勝手な行動が今の自分を苦しめているというだけなのかもしれません。でも、これまで訴えてきた矛盾する感情は、現在でも解消されてはいないですし、解消すべき問題として捉えることもできていないのです。相変わらず、他人に見せて良いのは自分の良い面だけだという強い心情がここにあって、それがこの非常に悲しい感情と関連がある気がするのです。

そして、問題はこのInstagram自体にあるわけではないという気もします。もっと深いところに、強大な根っこがあるような気がするのです。つまり、Instagramは、何か僕の恐れているより大きなものの一つの枝先でしかないのではないか。問題は、これまで放置し、避けてきた「過去」と対峙できないことにあるのではないか、そんな気がするのです。過去を恐れているような。

先生、これは病気なんでしょうか。何か診断名があって、一般化され得る症状なのですか。薬はありますか。どうすれば良いのでしょうか。僕は、これからも蓄積する過去に恐れながら生きていくのでしょうか。そんなの、とても辛いです。去っていった人々の後ろ姿に、ただ執着し続ける人生なのでしょうか。これは病気なんでしょうか。お願いします。助けてください。」


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