第101話 家康の書状をすり替えろ
駿河から上田に行くには中山道は和田峠を越えずばなるまい。標高一千六百メートルを超える山の頂は、夜明けを待たずして深い霧に覆われていた。〝才蔵が動けば霧が出る〟とは、彼が〝霧隠〟と呼ばれる所以であるが、家康の急使が通り掛かるのを今か今かと待ち受ける才蔵と月読とサスケの三人は、小道を塞ぐように突き出した老木の陰に身を潜め、月読などはスリルに高揚する鼓動を抑えて生唾を飲み込んだ。
「いいか、よく聞け。相手は家康直属の使番だ。おそらく歴戦の強者だから、追い剥ぎのような真似は通用せんぞ」
「じゃあ、どうするの?」
才蔵の低い声に、月読が興奮した口調でそう聞いた。
「まず月読。姿が見えたらお前が最初に飛び出して、馬の前で鼻緒が切れて転ぶんだ。そしてすかさず泣き真似だ。お前みたいな可愛い娘が声を挙げて泣いていたら、どんな非情な奴でも必ず馬を止める。そしたらサスケ、お前の出番だ。風上からこの〝馬酔の粉(馬酔木から作った粉)〟を撒け。こいつは馬を酔わせ、視界を奪う。これを吸った馬は驚いて暴れるから、使者どもは振り落とされないように必死で両手で手綱を握るだろう。懐を護る手が空くその一瞬が勝負だ。わしが霧に紛れて死角から近寄り、この偽の書状とすり替える」
あまり簡単そうに言うものだから、サスケは早くも疑念を抱き、
「え? そんなに上くいくかなあ・・・? 第一、書状が懐にあるとは限らないよ?」
と、もっともそうな事を口にするので、才蔵は彼をギロリっと睨みつけた。
「いいか書状というのはな、たいてい懐に入れるものだ。それが大事であればあるほど自分の命と引き換える覚悟で肌身離さず運ぶものさ。持っているのは、供回りに護られた中央の奴に決まってる。ガキのくせに生意気言うな」
「でも、お父さん・・・」
「その〝父さん〟はやめろ。何度も言わせるな! おっ? 来るぞ───」
複数の馬の蹄の音が霧の壁を破って近づくので、音のする方を見やれば、馬を走らせ峠道を降る四、五人の侍たちが姿を現した。
「あいつらだ。ぬかるな。今だ、いけ、月読!」
「あいよ!」
才蔵の合図と同時に月読は、急使の役割を担った村越直吉の走らせる馬の前に躍り出て、向かい来る馬を目掛けて一直線に駆け出した。
と───
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ののうノ野
磐城まんぢう書き下ろし小説『ののうの野』を不定期掲載しています。 時は戦国、かつて信州祢津地域に実在した”ののう巫女”集団にスポットを当て…
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